2.Kadoさんからの依頼
24時間走で200km以上を走る事を目標にしていた私が、目標を達成してまもない11月のある日の事だった。
大阪のKadoさんから一通のメールが届いた。
それはこんな内容だった
"視覚障害者でさくら道に申し込んだが伴走者が見つからないランナーがいます。伴走してもらえないでしょうか..."
当面の目標をクリアしたので、もっと長い距離、24時間走で220キロ以上走る事を目標に掲げた時であった。
ちょうどその時、さくら道での伴走話が舞い込んできたのである。
来年は軽装でさくら道に挑み、タイムを縮めようかなとも考えていた時だった。

しかし、好奇心と挑戦心が湧き、"一人で走るよりきつく、自分には絶対にプラスになるな、良いチャンスかも知れない、だったらやろうかな"と考えたのである。

数ヶ月前、伴走仲間の亀井さんに、"さくら道はタイムを縮めることを目指したいが、5年後ぐらいに僕が伴走するので二人で出ない"と約束していた時だった。
五年後を考えていた時に、思いもかけない話が私の元へ舞い込んできたのである。

亀井さんは私の伴走仲間で、2年前のさくら道では時間外であるが、津川さんと完走をした人。

2年前、私が白鳥でリタイアした時の事である。
金沢に向かうタクシーの中から、
雨の中を二人でゴール目指して一生懸命走っている姿を見た
二人が眩しい見えリタイアした惨めさも同時に味わった。
"自分は何でリタイアしてしまったのか..."
二人は さくら道完走への執念 を植え付けてくれた恩人である。

伴走相手の津川さんは、海宝さんのレースを手伝う、旅行会社の社長。
スパルタスロンの完走経験も有る。

さくら道では亀井さんと柳川さんの伴走を行ったとともに、さくら道の伴走で時間外であるが初めて完走を行なった人なのである。

しかし、一方ではダジャレの名士、サポートしている時など、ダジャレばかり言っている。海外に行った時も外人にダジャレを言うらしい。ランナーとしてではなく、国際的なダジャレ親父として有名かもしれない。
海宝さんが津川さんと現地視察に行って来た直後、海宝さん宅に行くと、海宝さんも津川流のダジャレに洗礼されてしまい、ダジャレを連発することがある。
さくら道で津川さんと走った亀井さんはやはり洗礼されてしまい、ダジャレを連発する。
笑いがとれる時は良いが、時々外してしまいしらけてしまった時、私も苦労をするのである。


話を戻すが、
あまり深く考えない私は、さくら道の呼びかけ人である海宝さんに電話を入れて
"来年のさくら道、伴走の話が来たのだけど、伴走やると時間内完走できないかもしれないけど良いかな??"と相談したところ"良いよでも大変だよ" と快く承諾してもらい、色々なアドバイスもしてもらった。
承諾してもらったので、Kadoさんに返事をして、来年のさくら道は伴走と言う事に決めたのである。

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