第1章 伴走の依頼

1.伴走のきっかけ
私がボランティアとして伴走を始めたのには、ちょっとわけがある。
ある出来事がもとで、一時的ながら目に障害を負うという経験をしたことがあるのだ。

中学3年の冬、高校入試目前、
放課後の学校で、サッカーをしていて、友達の蹴ったボールが私の右顔面を直撃してしまった。
それが原因で、右目は眼底出血を起こし、全く見えなくなった。
翌日から病院に通い、少しずつ快復して行き、どうにか正常な視力に回復することが出来た。

そして、今から6年前。 
走り始めて3ヶ月後、ちょうど年末のことである。
早朝ランを始めると、目ががちかちかしはじめたのである。(火花のような)
快復せず、どんどん悪化して行った。
気づいた時には、被写体が何重にも見える、まるでトンボの目のような状態になってしまった。

病院に行って診断された結果は、網膜静脈血栓。
視力も0.1以下に下がってしまった。(現在は1.5)
それから1ヶ月以上に及ぶ検査後(毎週ごとの、糖尿病の疑い、脳腫瘍の疑いなどを一つずつチェックするような検査が続いた)、突発性であることが判明。

二月中旬に2度ほど(片目づつ)レーザーによる手術をうけ、視力を取り戻すことが出来た。
手術による後遺症で、視野は若干狭くなったが。

こんなふうに目の障害を体験した私は、少しでも目の不自由な人の役に立ちたいと思って
いた。「伴走」というボランティアの仕事に出会ったのは、そんな時だった。



2.Kadoさんからの依頼
24時間走で200km以上を走る事を目標にしていた私が、目標を達成してまもない11月のある日の事だった。
大阪のKadoさんから一通のメールが届いた。
それはこんな内容だった
"視覚障害者でさくら道に申し込んだが伴走者が見つからないランナーがいます。伴走してもらえないでしょうか..."
当面の目標をクリアしたので、もっと長い距離、24時間走で220キロ以上走る事を目標に掲げた時であった。
ちょうどその時、さくら道での伴走話が舞い込んできたのである。
来年は軽装でさくら道に挑み、タイムを縮めようかなとも考えていた時だった。

しかし、好奇心と挑戦心が湧き、"一人で走るよりきつく、自分には絶対にプラスになるな、良いチャンスかも知れない、だったらやろうかな"と考えたのである。

数ヶ月前、伴走仲間の亀井さんに、"さくら道はタイムを縮めることを目指したいが、5年後ぐらいに僕が伴走するので二人で出ない"と約束していた時だった。
五年後を考えていた時に、思いもかけない話が私の元へ舞い込んできたのである。

亀井さんは私の伴走仲間で、2年前のさくら道では時間外であるが、津川さんと完走をした人。

2年前、私が白鳥でリタイアした時の事である。
金沢に向かうタクシーの中から、
雨の中を二人でゴール目指して一生懸命走っている姿を見た
二人が眩しい見えリタイアした惨めさも同時に味わった。
"自分は何でリタイアしてしまったのか..."
二人は さくら道完走への執念 を植え付けてくれた恩人である。

伴走相手の津川さんは、海宝さんのレースを手伝う、旅行会社の社長。
スパルタスロンの完走経験も有る。

さくら道では亀井さんと柳川さんの伴走を行ったとともに、さくら道の伴走で時間外であるが初めて完走を行なった人なのである。

しかし、一方ではダジャレの名士、サポートしている時など、ダジャレばかり言っている。海外に行った時も外人にダジャレを言うらしい。ランナーとしてではなく、国際的なダジャレ親父として有名かもしれない。
海宝さんが津川さんと現地視察に行って来た直後、海宝さん宅に行くと、海宝さんも津川流のダジャレに洗礼されてしまい、ダジャレを連発することがある。
さくら道で津川さんと走った亀井さんはやはり洗礼されてしまい、ダジャレを連発する。
笑いがとれる時は良いが、時々外してしまいしらけてしまった時、私も苦労をするのである。


話を戻すが、
あまり深く考えない私は、さくら道の呼びかけ人である海宝さんに電話を入れて
"来年のさくら道、伴走の話が来たのだけど、伴走やると時間内完走できないかもしれないけど良いかな??"と相談したところ"良いよでも大変だよ" と快く承諾してもらい、色々なアドバイスもしてもらった。
承諾してもらったので、Kadoさんに返事をして、来年のさくら道は伴走と言う事に決めたのである。



3.向地さんの情報
さくら道で向地さんの伴走をすると言うことを聞いた友達数人が"向地さんは我侭だ""結構文句を言う""伴走大変だよ""琵琶湖は大変だった、伴走者を3人も変えた""飛ばして伴走者を潰す"とかいろいろな情報が私の耳に入ってきた。
この話を聞き、"Kadoさんに嵌められたかな??""Kadoさんはそんな人で無いしな""やるだけやるさ""向地さんとは1度や2度は喧嘩しないといけないだろうな"と決意をして挑んだのだった。

注意
向地さんへの誤解を晴らすためにも、この完走記は最後まで読んでください


次へ