12.荘川桜へ
ひるがののエードを出発して300m、向地さんがまたもよおしてきた。
コンビニのトイレに立寄ることにする。

トイレで地元のおばあちゃんに応援される。


荘川村の牧戸まで長い下り坂を下る。
牧戸まで行くとあと5キロで荘川桜である。

ここで丹代さんに追いつく。
丹代さんを追い越し、荘川桜に向かう。
6時35分に荘川桜に到着する。

エードにはSTAFF仲間の谷口さんがサポートしていた。
谷口さんは口ひげをはやし、一見怖そうなおじさんである。
はじめてあった時、土建家のオヤジかと思った。
寅一のニッカボッカと地下足袋を履かせたら日本一似合いそうな感じがするが、海宝さんの主催する大会のTシャツやさくら道の文集の表紙等、皆がよく目にするものをデザインしている繊細な技術の持ち主、ゲージツ家である。
そして優しいおじさんである。

ここのエードは3人でマッサージを行っていた。カレーも2杯食べ終えたころ、マッサージが空いた。
私が、先にマッサージしてもらう。
向地さんも食事が終わりマッサージしてもらう。
私のマッサージが先に終わり、カレーをもう1杯食べる。

ひるがので飲んだ胃薬が効いたのか、朝になり胃が活発に動き出したか、カレーを3杯食べる事が出来た。

向地さんのマッサージも終わったので、出発する事にする(29日7時20分)


出発前にKadoさんが来てくれた。
関家君、加来さん、ワニさんのサポートにもここでお会いできた。

関家君は皆さんご存知のアジアチャンピョンの関家君
24時間走アジア記録保持者で長い距離を走るのは日本一、アジア一速いランナー。
スポーツクラブが一緒で、現在エアロビクスに嵌っている
エアロビクスに関しては私が師匠になる...

加来さんは同じジムの仲間で、立派なあごひげを生やし、温厚な方である。
顔を逆さまにしても顔に見えるようなひげの持ち主である。
来年のさくら道に参加したいがため、今回はサポートで参加。私設のエードを運営していた。
大変感謝している。

ワニさんは、ランナーで申し込んだのだが、怪我で今回はサポートに廻った。
夫婦で参加予定だったので、旦那のサメさんが走っている。
二人で世界中のウルトラマラソンに参加し、仲の良い夫婦である。
栗山では旦那がサポートにまわり、私と巡回していた。
変った格好で走るランナーがいたので、
"なんだあれ??スイカか"と驚いていたらそれがサメさんの妻、ワニさんだった思い出が有る。
時々変な格好で大会に出没し、皆さんの心を和ませてくれる素敵な女性である。



荘川さくらにて
香具師の元締めKadoさん、起こりの向地さん、仕掛人の私
13.白川郷へ(命名:試練坂  暴露1 そして懺悔)
荘川桜を出て おしっこがしたくなる。
100mぐらい進んだところで向地さんと連れションをする。
場所が悪かったのでKadoさんに見られ、Kadoさんが飛んできた。
デジカメに立ちション姿をフォーカスされてしまった。
フォーカスショット(いかにも向地さん一人で用を足しているような姿)

小用も終わり出発。
残り時間が24時間を切り、時間計算しやすくなった。
向地さんに"時速5キロで歩いて残り時間が2時間以上ある"と言い出す。
これは24時間走の距離計算法で、何キロで走れば良いのかと考える方法である。
フルマラソンの時も、スタートして2時間過ぎた時、残りの距離を元に計算する。
2時間で30キロ走っていれば、"残りを時速12.2km/hで走ればサブスリーだゴールが見えてきた"と目安になり、後少し頑張ろうと励みになる考え方である。

日もすっかり上がり、交通量が増え始めてきた。
荘川桜を過ぎてすぐの、尾神橋を渡っていると前から来る乗用車が、前方を見ず、白山に気を取られながら運転してくるのがわかる。
運転者は私たちに気づかない。
かなり近寄ってきた。
橋の上、橋下は50m以上あるかと思われるところ。
もし跳ねられたらと考えると非常に恐怖である。
私達に気付かずよそ見運転、すれ違うまで、本当に恐怖だった。(一番怖かった)

そして雪崩よけのトンネルを進む。
ここも怖かったが、橋の時の件に比べたら可愛いものだ。
大型車とのすれ違いは、乗用車がかなり寄って来たので怖い思いをした。
昨年は車の通らない時間帯だったので、トンネルの怖さも、始めて知った。

御母衣ダム手前、福島保木トンネルで前方を行くランナー数人がバイパスに進まず、旧道を進んでしまう。
地図を見て確認しながら走らないのだろうか??
私たちは地図を確認し、バイパス側に入る。
長いトンネルを過ぎると御母衣ダムはもう少しである。

御母衣ダム手前で旧道に入り、ダムに到着(29日 8時30分)

ここからの下り坂、エードがすぐ下に見えるのだが、道路は大きく迂回する。
昨年ここで、もよおしてきてしまい、トイレが真下に見えるのになかなか着かず辛い思いをした。
今年も、もよおしきた。同じパターンだ!!
トイレが近くに見えているのに凄く遠くに感じる地獄のようなこの坂を"試練坂"と命名したい。

試練坂を下り、エードに到着、尻をおさえてトイレに掛け込む。

ここで私はハミ便をしてしまう。
便器の脇に少しおつりを残してしまった。
後からトイレに入った人には不快な思いをさせてしまったであろう。
反省をする。

向地さんに"城定さんは酷い人だ"と言われそうなので内緒にした....

そしてそそくさとエードを出発。



私の後にトイレに入った人がいると思います。
その方たちに
”不快な思いをさせて申し訳ございませんでした。どうかお許し下さい。”
ここでお詫びさせてもらいます。


向地さんが催した時は私は催さず、私が催した時に向地さんが催さず、大きい方のタイミングはずれていたので休憩時のロスが少なくて済んだ。
小さい方に付いては何故か同じ時間で催した。
何回も連れションをした。
水分を飲むタイミングが同じだからだろう。


1キロほど行くと今度は宮本さんの応援に合う。
私が厳しかったか、向地さんは宮本さんに会えて感激していた。

宮本さんは昨年春井さんの伴走で、さくら道を完走している視覚障害者のランナー
貝畑さんと稚内から沖縄まで伴走で日本を縦断した事の有る。日本一、いや、世界一続けて長い距離を走ったと言える、視覚障害者ランナーである。

サポート受け、出発する。


そして田口建設に到着する。

ここでおかゆもらう。
美味しいのでお代わりする。
丹代さんが到着したので先に出発することにする。

登りで歩き、下りで走るを繰り返していたら寺沢さんに追いつく。
そして近づき、離れを繰り返しているとイノブタのサポートカーに合流する。
サポートを受けて再出発する。

寺沢さんは毎年"寺沢ゼッケン"なるものを作って皆に配る。
これはお守りで、これがあると完走出きると言われている。
甲州夢街道の時、寺沢さんは作るのを怠ったが為、リタイアしてしまった事がある。
寺沢ゼッケンは魂がこもっており、本当にお守りのようなゼッケンである。


少し走ると加来さん、ワニさんのサポートカーが氷を持って来てくれた。
口に含んで出発する。
暑い時に冷たいもので、カラダも心も和ませてもらった。

氷をもらった場所は昨年"イタドリ"を食べたところだった。

出発時に小林譲に"イタドリ食べないようにちゃんと補給してね"と言われたのを思い出す。
小林譲は今頃どこを走っているのだろうか??
小林譲は栗山での打上の時、余ったメロンを丸ごと3個、1度に食べた、食いしん坊美人ランナーである。

白川郷のエードに到着。
寺沢さんと一緒に休憩、ビール、梅酒を飲ませてもらう。
梅酒が大変美味しかった。
向地さんはすっかり、酒のみランナーになっていた。
走りながら飲むビール美味しさを知ってしまったみたいである。





14.ささら館へ(まっちゃんと合流)
白川郷入口のエードを過ぎ、世界遺産である合掌造り村、白川郷へと入る。
白川郷のトイレに立ち寄り、向地さんが用を足す。

向地さんのトイレとオナラの回数が多いので、痔にならないか心配する。
昨年野辺山で伴走をした時、私が何回もトイレに通ったことを思い出す。
大会前に切痔になり、大会中、何度もトイレに通い、大会が終わったら切痔が治っていた経験がある。
この切痔、オナラを出し過ぎると切れるみたいである。走りながら沢山出したら切れたとか、大きい音のオナラを出して切れたとか、大きい物を出して切れるとか、これは20歳ぐらいに発病し、時々病魔が現れる。
この事を向地さんに伝え、向地さんのお尻を心配する。
世界遺産の場所にふさわしい話題であった???


合掌造りを見ながら、進む。
観光客が沢山歩いている中、不思議な二人連れが進んでいく。

合掌造りの村を過ぎ、白川橋を渡っていたら向地さんは歩道から足を踏み外し、顔面から転ぶ。
橋の終わりが近づき安心して気を許してしまい、向地さんを転ばせてしまった。
向地さんは顔を切り、血を流す。
擦り傷2箇所、出血1箇所であった。
去年上梨で転んで膝を怪我した教訓でカットバンを用意していたがここで役に立った。

出血は多めだが"ちょっとだけ血が出ているだけだよ"とウソをつきカットバンを貼る。
向地さんには悪い事をした。

そしてコンビニに立ち寄る。
南さんや鈴木さんとこのへんから供走(きょうそう)するようになる。

向地さんは食欲が無いみたいだったので、私だけコンビニで弁当を買い補給する。
そして出発する

出発してすぐ吉富さんに会う。
向地さんは"時速5キロで歩いても2時間以上余裕がるから頑張ろう"と応援をする。
今まで私が言っていた事を今度は向地さんが言う様になった。
意識の変化に喜びを覚える。
絶対に時間内ゴールは大丈夫だと確信する。

気温も上がり暑くなる。
炎天下は暑いので歩き、トンネルで走るように作戦を練る。

この先からトンネルが続く事になる。
トンネルでは向地さんを歩道に乗せ、私が車道を走る。
懐中電灯を対向車に向け存在をアピールしながら走る。
命がけである。
私が轢かれても向地さんがまき込まれない様にロープではなく手を繋いで走る事にする。

トンネルの所々、水が漏れて滑りやすくなっている。
通過は向地さんの腕をつかんで進む事にする。
対向車は邪魔臭いと思ったのか、男同士で手を繋いでホモでも走ってきたとでも思ったのか、ホーンを鳴らすものや、わざと近づく車もいて恐怖だった。
乗用車やトラックよりも、バスは避けずに突っ込んできて本当に性質が悪い。
バスの運転手は2種免許を持っているはずだがマナーを疑ってしまうところだ。

命がけでトンネルを抜け、椿原橋手前で夢街道の帽子をかぶった見なれたハゲが寝ていた。
ゼッケン見てマッチャンである事に気づいた。
”寝ていないで一緒に行こう”と声をかけた。


私と向地さんがそのまま走っているとマッチャンが追いかけてきた。
短いトンネルを抜ける頃、マッチャンが追いついた。

椿原橋を過ぎたあたりでマッチャンが伴走してくれると言ったので変わってもらった。
マッチャンはWandaの旦那さんで、向地さんとの伴走は何年もやっているみたいだった。
初めてあった時、スキンヘッドで怖面で"こいつはまともじゃない、その筋の人間か??"と思ったが、実際は優しい良い男だった。
Wandaとお似合いのカップルである。

伴走の前を私が走る事にした。
マッチャンと向地さんは足の長さが合っているのか、ピッチが合っていた。
本人達はお互い足が長いとしきりに言っていたが、人と比べた事が無いのかと思うくらい疑問に思い、無視をした。
何度も繰り返して言っているのを耳にした。

加須良トンネルは私が先を走り、懐中電灯で車を避けさせながら走る事にする。
一人で伴走していた時に比べると遥かに楽だった。恐怖心は全く無かった。

合掌大橋を渡り、越前トンネルを過ぎたあたりでエード発見。
昨年ここの距離が一番辛かった思い出があり、エードで大変助かった。
そして1キロも進むと今度は加来さんとサメさんがエードを開こうとしていた。
"手前にエードがあるからもっと手前か先にエードを設置すると良いよ"と伝える。
ささら館の先に行ってエードを設置してもらえば良かったのだが、手前でエードをするとの事であった。
加来さん達のエードを後にして、少し進むと道の駅ささら館に到着した。
3人でツレションをして、出発する事にする。




まっちゃんに伴走を頼み、一人先に走っているところ


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