木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

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No.2 TITLE:鹿児島に「非核神戸方式」の導入を! DATE: 3 Feb 1999 23:22:52

この記念すべき平和コラムの第一回通信として、自分自身も事務局担当として深く関わってきた鹿児島県内港湾の非核化をめざす意見広告への取り組みを要点を絞ってご紹介したいと思います。(なお、意見広告への協力の呼びかけ文および意見広告自体はそのまま全文、写真・絵も併せて、関連資料に掲載されているので、そちらでごらん下さい。)

 鹿児島県では、すでに1997年までに県を除く96市町村のすべてが非核・平和自治体宣言や議会決議、陳情・請願採択などを行い、何らかの形で非核・平和の意思を表していました。またその一方で、新ガイドライン策定(「日米防衛協力のための指針」、1997年9月)以来、鹿児島県内の民間空港・港湾への米軍機・米艦船の寄港回数も全国的に見ても有数になっておりました。そこで、こうした状況に危機感をもっていた鹿児島県内の研究者・弁護士・医者16名が呼びかけ人となって、「錦江湾・鹿児島の海の非核化をめざす意見広告の会」が結成されました。

 その後、この会が中心となって、個人1口1,000円(団体1口、10,000円)以上のカンパを呼びかけて4ヶ月間活動した結果、約285万円の募金を最終的に集めて、南日本新聞(1998年12月1日朝刊)および朝日新聞(1999年1月15日朝刊)に「非核・平和利用を求める県民宣言」を中心にわたしたちの意見広告を掲載する事ができました。

 ここで、その全文をご紹介します。

「鹿児島県の港湾における非核・平和利用の徹底を求める県民宣言」          
世界の恒久平和と核兵器廃絶は人類共通の長年の願いであり、その実現に向けて被爆国日本は特に大きな責任を負っています。鹿児島県ではすでに県内全ての96市町村が非核・平和自治体宣言や議会決議、陳情・請願採択等を行い、何らかの形で非核・平和の意思を表わしています。私たちは、これに示された県民の総意を生かすために、ここにあらためて鹿児島県に対して、国是である「核を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を遵守し、県内港湾、とりわけ鹿児島港における非核・平和利用を徹底するよう求めます。 私たちは、県民の親しめる平和な海を実現するために、核積載艦船の鹿児島県内の港湾への入港を断固拒否します!

 この運動の途中で、1998年9月に霧島演習場で初めての日米共同軍事訓練が実施されたことや、この運動と趣旨を同じくする「1998年10月に鹿児島港における非核平和利用に関する決議」が鹿児島市議会で採択されたこと、1998年11月末に日向灘での日米共同掃海訓練に参加する海上自衛隊艦艇(掃海母艦、掃海艦、掃海艇合わせて22隻など)が寄港したこと、1998年12月のアメリカによるイラク爆撃に鹿児島にも1997年に寄港したことがある米強襲揚陸鑑ベローウッドが参加したこと、さらに現在開催されている第145通常国会で新ガイドライン関連法案の審議がなされることなどを考えれば、意見広告を出したタイミングも悪くなかったなと感じています。

 最後に、「非核神戸方式」について少しコメントさせていただきます。

この方式は、寄港を希望する外国艦船に「非核証明書」の提出を義務づけたものであり、市議会決議(1975年)が出されてから今日まで米艦船の神戸港への入港を一度も認めていない、という画期的な成果をもたらしています。それだけに、今日この方式への関心は賛成・反対双方の側で強まっており、高知県で橋本知事が条例化という形でこの方式を導入しようとしているのに対して外務省がクレームをつけたり、昨年政府・外務省からの圧力もあって神戸港へカナダ軍艦が入港する事態(これはあくまでも非核国カナダの軍艦で、寄港地も海上自衛隊基地であったので、「非核神戸方式」が直ちに放棄されたとは思われません)が生じたりしています。

 いずれにしても、強調しておきたいことは、国是である「非核3原則」と日米安保体制の下でのアメリカにより「核の傘」の提供とは根本的に矛盾しており両立することはできないこと、国家中心の軍事的安全保障よりも人権(すなわち、市民・国民の生命と安全)を最優先する「人間の安全保障」(この問題については、別の機会に改めて論じたいと思います)を重視する必要があるということです。

 そのためにも、地域から平和を考え、市民・国民みずからが「自分たちの安全は自分たちで守る」という立場で行動することが大切ではないでしょうか?ここでご紹介した、鹿児島県における非核・平和のための意見広告の取り組み・運動は、もちろん内部に様々な弱点問題点(例えば、個人中心といいながら団体・組織への依存から脱しきれなかったこと、今最も元気のある女性たちの主体的参加・協力を十分得ることができなかったことなど)を抱えながらも、ささやかではありますが、そうした考え方・行動の一環であったのではなかったかと思っています。

 以上、鹿児島での意見広告を通じた非核・平和の取り組みをご紹介してきましたが、この紹介の中でわたしが行った運動の評価・位置づけが必ずしも「意見広告の会」全体の意思・見解をあらわしたものではないことをお断りしておきます。と同時に、皆さま方からの率直なご感想・ご意見をお待ちしております。

1999年1月21日(鹿児島県知事・県議会議長への要望文提出を「意見広告の会」として行った後で)

木村 朗

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )