木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

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No.5 TITLE:自自連立政権と新ガイドライン関連法案を問う!(その2) DATE: 3 Mar 1999 17:16:17

99年度予算案が衆議院を戦後最速で通過し、現在、参議院予算委員会においてこれも終始政府・与党側のペースで審議が行われている。また、新ガイドライン関連法案は、予算案成立の目途がつき次第、すでに設置することが正式に決まっている衆議院特別委員会(委員長・山崎拓前防衛庁長官)で本格的な審議が行われる手はずとなっている。ここで、衆議院予算委員会での審議を中心に、自由・自民両党と公明党による非公式協議、自民党の「危機管理プロジェクトチーム」(座長・額賀福志郎前防衛庁長官)などの動きも合わせて、新ガイドライン関連法案をめぐるこれまでの議論を振り返ってみたい。

その第一の特徴は、「安保国会」とも呼ばれる今の国会であるが、「各論あって総論なし」「はじめに賛成ありき」という(きわめて異常な!)審議の進め方である。これまで行われた質疑は、「周辺事態」の定義や国会手続きのあり方など各論に集中しており、冷戦後の日米安保体制の必要性やアジア・太平洋地域の安全保障のあるべき姿、日本の国際貢献のあり方など根本的な問題が論じられることはほとんどなかった。その原因として、なるべくそうした土俵での議論(総論)を避けようとする政府・与党側の一貫した戦術・姿勢や、野党側に明確な防衛・安全保障政策が乏しく、特に民主党や公明党が同法案に基本的に「修正」で対応する構えを取っていることなどが指摘できる。また、これと関連して注意する必要があるのが、「はじめに有事ありき」「軍事的脅威には軍事力で対抗する」という危機管理型あるいは軍事力中心の発想である。この発想が問題なのは、ある日突然に発生した危機・非常事態(「有事」や「地域紛争」など)に対して軍事力でいかに迅速・効果的に対応するか、というシナリオを前提としており、その際に現在の国防・危機管理体制では対応不可能なのでより強化された新たな国防・危機管理体制を構築すべきだ、という結論を導きやすい特徴・性格をもっているからである。このことは逆に言えば、どうすれば危機や有事の発生を未然に防ぐことができるか、という政治・外交的努力を軽視する事になるばかりでなく、まず現行体制の枠の中でそうした危機に対処するには何が必要か、という議論を封殺することを意味している。

第二の問題点は、(第一の点とも関連するが)新ガイドライン(「日米防衛協力のための指針」)そのものの本質的性格についての議論の欠如である。「新ガイドラインとは何か」について、政府・与党側はこれまで、「アジア太平洋の平和と安定の維持」のために活動する米軍を「憲法の枠内」でより効果的に支援するものである、という説明を行ってきた。
しかし、こうした曖昧な説明では、「これまでの日米安保体制(の運用)とどう違うのか、またなぜそうした変更が必要なのか」などの本質的問題がよく見えてこない。新ガイドラインの本質は、「防衛型安保」(「日本有事」中心の「五条安保」)から「攻撃型安保」(「極東有事」中心の「六条安保」)への転換、すなわち、地域紛争あるいは有事への対応を口実とするアメリカの先制攻撃戦略への自衛隊の積極的参加とそれを支える日本の総動員態勢の確立によって日米軍事同盟をさらに一段と拡大・強化することにある。これは、まさに日米安保体制の「変質」あるいは「実質的改訂」であると同時に、明らかに集団的自衛権の行使を禁じた平和憲法を全面否定する性格をもつものである。

 この新ガイドラインによって日本は、これまでのアメリカの対日防衛義務への見返りとしての軍事基地提供という単なる「間接的対米協力」から、自衛隊ばかりでなく民間・自治体を全面的に取り込む形での積極的な後方支援(しかも、地域を限定しない!)という「直接的対米協力」へと新たな一歩を踏み出すことになる。ここでの最大の問題は、第二次大戦後に世界的規模で地域紛争にことあるごとに武力介入してきた米軍の行動とその前提となる「アメリカの正義」を肯定的に評価できるか、ということである。これまでの経験から言えることは、ベトナムやグレナダ、ハイチ、パナマ、イラクなどの事例を持ち出すまでもなく、「アメリカの正義」は必ずしも普遍的な「国際社会の正義」ではなく、「人道的介入」と「侵略行動」とは紙一重で米軍の行動を常に正当化することはできない、という当たり前の結論である。そうであるならば、このような米軍の軍事行動に日本が全面的に参加・協力することは、「侵略行動」に日本が積極的に加担する(ケースもありうる)ことを意味している。また、これと関連して、現在(おそるべきことに!)自民党の危機管理プロジェクトチームが北朝鮮への対ミサイル先制攻撃を検討しているだけに(「南日本新聞」2月24日付)、その危険性はさらに強まっていると言わざるを得ない。

第三の特徴は、「アメリカに対する日本の主体性の欠如(あるいは「日本のアメリカへの従属性」)」という、日米安保体制の本質的性格に関わる問題である。第二次大戦後の日米関係が、「敗戦」「冷戦」という背景もあって、戦勝国で超大国でもあるアメリカの敗戦国・日本に対する絶対的的優位性、つまり、「アメリカの支配」と「日本の従属」、という一方的(支配・従属)関係を特徴としていたことは周知の事実である。このことは、アメリカ占領軍による沖縄支配と米国主導の自衛隊創設、日本の独立達成と引き替えの日米安保条約の締結といった出来事に象徴的にあらわれているばかりでなく、日米安保体制の「(自発的な)植民地型従属同盟」という本質的性格が今日まで基本的に続いていることにも示されている。そして、今回の日米安保「再定義」および新ガイドラインによって、日本は、より一層アメリカの軍事戦略の中に取り込まれるとともに、アメリカへの依存性・従属性を強めることになった。なぜなら、新ガイドライン関連法案の中心となるいわゆる「周辺事態法案」では、「周辺事態」あるいは「周辺有事」(この概念自体の問題性は、「その3」で論じる)が具体的に何を示しており、誰がいつどのようにしてそれを判断・決定し、それに対していかに対応するのか、といった最も重要な点が明記されておらず、アメリカ側の判断・決定に事実上「白紙委任」する形となっているからである。この問題について日本政府は、最終的には日米双方の「協議」で「調整」するとの説明を行っているが、
有事であるか否かの情報をアメリカ側が独占している状況下で日本側が独自の主体的判断ができるのか、また万が一日米双方の判断・決定が異なった場合に日本側がアメリカ側の要請を拒否できることができるのか、ははなはだ疑わしいと言わざるを得ない。というのは、日米安保体制の具体的運用を調整するために設置されたはず(日本側の主体性を確保するものと評価・説明された!)の「事前協議制」が、協議の前提となる「装備の変更」(核兵器の持ち込みなど)や「作戦行動範囲の変更」(例えば、ベトナム、ペルシャ湾への出撃)があったにもかかわらずこれまで一度も発動されることなく終わっているからである。そして、こうした事実は、日本側に自分からアメリカ側に「事前協議」を「発議」したり、アメリカ側の「回答」(実際は、「報告」!?)を「拒否」する権利(あるいは意思!)がもともとないことを示していると思われる。

 以上、ここでは、新ガイドライン関連法案をめぐるこれまでの議論の特徴と問題点を、特に重要と思われる三点に絞って論じてみた。ここで論じられた点以外の重要な問題があることはもちろんであるが、それらの点については、次回に新ガイドライン問題についての各論を論じる際に、できる限り言及したいと思う。それにしても、現在の国会内外の動き(自自両党への公明党の急接近、「憲法調査会」の設置、「有事法制」論議の活発化、君が代・日の丸の法制化、選挙制度の「改革」など)には不可解なものが多い。わたしたちも今からより一層監視の目を強めなければならないと思われる。

 1999年3月3日(「君が代・日の丸」の法制化が報道された朝に)
                                木村 朗

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )