木村朗国際関係論研究室
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Last Update :23:17 99/06/29

 
No.13 TITLE:NATO空爆の是非について DATE:29 Jun 1999 10:32:17
  率直なご質問をどうも有り難うございました。高木さんが指摘されていることは、非常に重要でかつ微妙な問題だと思います。
  NATO空爆の是非については、僕自身も正直に言ってかなり迷いました。ちょうど九州政治学会と釜山政治学会との合同研究会で釜山に行っていた最中の出来事で、あとから情報を確認し、その後の空爆の状況も見た上で最終的に「今回の空爆は、動機や効果などで一定の必要性は認められるとしても、やはり行き過ぎであり、法的・形式的には違法行為であり、政治的・実質的にも正当化することはできない」との結論にいたりました。
 まず最初に明らかにしておきたいのは、「人道的介入権」の将来的な意味での積極的意義や軍事的圧力・軍事的制裁といった軍事介入一般を僕自身が必ずしも全面否定しているわけではないということです。ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺やカンボジアのポル・ポト派による虐殺、ルアンダでの部族間対立による虐殺などに対しては国際社会は断固たる行動を示す必要があったと思います。また、昨年10月にNATOが軍事的圧力をかけてミロシェビッチから一定の譲歩を引き出したことはそれなりに評価できると思います。
  しかし、今回のコソボ紛争の場合にそれが同じように言えるかは疑問だと思います。それはなぜかというと、空爆以前のコソボではセルビア側の掃討作戦は続けられていたとはいえ(もちろんコソボ解放軍の活動も活発であった)OSCE監視団1400名の存在で一定の抑止がされていたこと、セルビア側のアルバニア人弾圧は決して正当化できないとはいえトルコによるクルド人弾圧など同様な人権抑圧状況のケースは世界で現在23ほどあるということ、またランブイエでの交渉決裂の真の原因はセルビア側の非妥協的姿勢のみでなく、NATO側の高飛車な対応とアルバニア側への一方的肩入れにも責任があったことが明らかだからです(『世界』6月号参照)。
  さらに、空爆の目的と効果を考えても、空爆の正当性・有効性には疑問を持たざるを得ません(平和コラムにすでに書きましたので繰り返しません)。もし、今回の空爆が、セリビア側が交渉中に新たな大規模な「住民追放(「民族浄化」)」作戦を展開しOSCE監視団も強制退去させられ国連安保理で米英決議案が一応提出されて(ロシア、中国などの反対で)不採択となった後に、NATO空爆が地上軍投入をともない、NATO軍兵士ではなくアルバニアおよびセルビアの民間人の犠牲を避けることを最優先にする形で行われていたならばその正当性はかなり高まっていただろうと考えることはできます。しかし、現実には、NATO側の戦死者ゼロに対して、セルビア側では民間人約1、800名、軍人・警官など約5、000名?、アルバニア側ではNATO空爆で約300名(すべて民間人)、セルビア側の攻撃で約10、000名?(コソボ解放軍兵士と民間人を合わせて、しかし、このNATO側発表で課題評価と思われる))という結果となったわけです。
  そして、今回の停戦の結果結ばれた協定の内容はランブイエ協定とほとんど変わらない(いや、いくつかの点でユーゴ側の主張が認められた)ものとなっています。ユーゴ側が空爆で受けた被害総額は500億ドルから1500億ドルで今後もとの状態に戻るには10年から15年かかるであろうと言われています(コソボには復興援助が集中しても、セルビア側がミロシェビッチ政権が続く限り除外されることは明らか)。
  いずれにしても、NATO空爆依然と比べれば、コソボの状況はさらに悪化したことだけは確かです。このことは、軍事力行使によって民族問題を根本的に解決することはできないことを示しています。
  高木さんも指摘されているように、紛争の未然防止のために国際社会が迅速に対応するシステムを構築する必要があると思います。ただ、そこで注意しなければならないのは、国際社会の普遍的基準とは何か?ということです。NATOやアメリカの正義がそのまま国際社会の正義でないことだけは確かだろうと思います。

(なお、この文章は、NATO空爆に関する質問を寄せていただいた高木さんの了解を得て、転載させていただきました。)

>◇NATO空爆の是非について◇
>
>  はじめまして。私はこの春、日本の大学を卒業してこの9月からイギリスの大
>学院で平和学を専攻する予定の高木といいます。
>
> 先生のホームページに今日初めて目をさせていただきました。そこで、コソボ
>問題に関して先生の意見を聞かせていただきたいんですが、私はあの軍事介入
>に関して今日の国際社会の中、つまり国際法の整備、独立した強制力のある機
>関の欠落等といった状況を見る限りにおいて積極的には反対できないと思いま
>す。あの状況で国連の安保理に対応を持ち込んだとしても、麻痺状態になるこ
>とは明らかであり、また事務総長自体も空爆に対してとある文書の中で国連憲
>章52条の規程に言及をし、NATOによる空爆も止むを得ずといった上で、
>安保理を通して解決されるのが望ましいということを述べるのがやっとといっ
>た感じでした。
>
> ゆえに、わたしはもちろん空爆前、空爆後、さまざまな問題がありましたが、
>あの時点での状況や以上に述べたようなことを考慮に入れると、空爆という選
>択は一定の支持をせざるをえないのではと思いました。
>
> 一方で、このコソボ問題を機に私は国際法というものがより武力による介入、
>攻撃等を事前に抑止するような法整備をすべきだと思いました。わたしは国際
>法とは一定の抑止力と捉えています。国際法は、当然、独立した三権の欠如等
>といったことにより強制力といったものはほぼないといえます。ただし、条
>約・慣習法といったものに対してはどんなに国際的に影響の強い国であって
>も、いっていの制約を受けることは間違いないところであります。しかしなが
>ら、国際法はひとたび政治性が加わると機能しなくなっています。これにはさ
>まざまな原因が考えられますが、やはり国際法というものが厳密に定義されて
>いないということが最大の理由ではないかと思います。もちろん厳密な定義は
>大国に不利益を生じると思われるものは、大国による批准の拒否等といったこ
>とにより葬り去られて来ました。しかしこれは促進するべきであり、またこれ
>に対する責任を主として負うべきものは国連にほかならないと思います。
>
> だらだらと自分の意見をかいて申し訳ありません。先生はどう思われますか?
>
>DATE:[29 Jun 1999 10:12:57](平和問題ゼミナール掲示板より)

  1999年6月29日
                                 木村 朗

 

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