木村朗国際関係論研究室
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No.14 TITLE:「なぜ原爆は日本に投下されたのか?54回目の長崎「原爆の日」に問い返す!」 DATE:10 Aug 1999 17:06:27

長崎は今日、戦後54回目の「原爆の日」を迎えた。その「平和宣言」では、核兵器全面禁止条約の早期締結と今世紀中における核兵器廃絶宣言の実行が各国(とくに核保有国)の指導者に対して呼びかけられた。また日本政府に対しては、昨年に続いて「核の傘」に依存しない安全保障体制の構築や「北東アジア非核地帯」の創設を訴えている。
しかし、昨年の印パの核実験や最近の北朝鮮・中国によるミサイル発射実験の動きによって核不拡散体制が動揺しているばかりでなく、NATO軍がコソボ紛争において核使用を示唆する発言を行うなど、今日の世界における核をめぐる状況はかなり厳しいものとなっている。
また、その一方で、被爆者の平均年齢がすでに70歳近くとなり、高齢化が急速に進むなかで被爆体験をいかに後世に継承していくかが焦眉の課題となっている。
こうしたなかで、コソボ紛争でのNATO空爆の正当性をめぐる議論との関わりで、日本(広島、長崎)への原爆投下の意味と背景を改めて問い直す動きが生まれている。
そこで、今回は「なぜ原爆は日本に投下されたのか?」という問題にスポットをあてて考えることにしたい。なぜなら、この問題は単に過去における日本への原爆投下の正当性ばかりでなく、将来における核兵器使用や核廃絶の問題とも深く関わっていると思われるからである。

これまでの日本への原爆投下の是非に関する議論は、
@ 原爆投下が日本の早期降伏という形での戦争終結につながった
A 本土決戦(九州上陸作戦)が行われた場合の米兵の犠牲者(50万人から百万人−『トルーマン回顧録』)を最小限にとどめることができた
B 戦争の早期終結によって本土決戦が避けられたことは、(結果的にしろ)何百万人の日本人の生命をも同時に救うことになった
C アジアでの侵略戦争を自ら引き起こし、南京虐殺などのあらゆる残虐行為を行った日本人に、原爆投下の非人道性云々を言う資格はない
という「米側の論理」に、ともすれば日本側(とくに政府)が沈黙を強いられ、結局あいまいな形で終わらされるパターンが多かったように思われる。

しかし、こうした議論は、今日でもある米国民の素朴な反日感情(「リメンバー・パール・ハーバー」)や日本国民の罪悪感を最大限に利用し、当時の米政府の真の狙いを覆い隠すとともに、過去の日本への原爆投下ばかりでなく将来の「ならず者国家」(あるいは「テロ集団」)への核兵器使用さえ正当化しようとするものであると言わざるをえない。
というのは、こうした議論が、以下に述べるように、数多くの事実誤認や誇張・歪曲を含んでおり、意図的に重要な争点をずらしたり、またその逆に不必要な論点を作ったりしているからである。

まず最初に指摘しておかなければならないことは、「原爆(投下)が戦争を早期終結させたのではなく、原爆(投下)があったために戦争終結が遅れたのだ」という基本的事実である。この議論は、一見奇異に思われるかも知れないので、補足説明をさせていただく。
1. アメリカはイギリスとの間に結んだハイドパーク協定(1944年9月)で原爆投下の対象を当初のドイツ(敗戦濃厚となりつつあった、また原爆開発がほとんど進んでいなかった)から日本に変えることをほぼ決定していた。(敗色濃厚のドイツには原爆開発成功前から投下中止を決定し、降伏直前であることを知りながら敢えて日本には投下したアメリカの決定の背後に、人種差別の臭いを感じるのはわたしだけであろうか。)
2. アメリカは、1945年春以降の日本側のソ連を仲介とする終戦工作を暗号解読などで知っていた。また、ソ連・スターリンからの直接の打診(日本側からの依頼への回答をどうするか)に対して無視するように対応した。
3. ポッダム宣言で、降伏条件を緩めること(例えば、天皇制の何らかのかたちでの存続)も可能であったのに、日本側の拒否を見通した上で「無条件降伏」を敢えて突きつけた。また、ポッダム宣言を出す前に、トルーマン大統領は日本へ原爆を投下する事実上の決定を行っていた。
4. 原爆の威力がいかに大きいかを知らしめるために、例えば東京湾などで事前に投下して警告を与えるという選択肢(原爆開発に協力した科学者からの提案、人道上からみて当然の措置!)をトルーマン大統領は無視した。
5. ソ連がドイツ降伏後3ヶ月以内に対日戦に参戦するというヤルタ会談でも確認された合意が存在していた。この合意は、アメリカ側の要請(日本の関東軍を叩くためにどうしても必要とされ、代償としてソ連に北方領土の割譲や中国満州での鉄道・港湾権益の供与を日本・中国の頭越しに約束!)にソ連が応える形でできたもので、原爆投下時点においても有効であった。
6. 日本側の降伏を決定づけたのは、2度の原爆投下(8月6日の広島、8月9日の長崎)ではなく、ソ連の対日参戦(8月8日)であった、というのが最近の日本側の研究で明らかになりつつあること。
以上の事実から、アメリカがポッダム会談直前に開発に成功した原爆を何としても投下できる環境・条件を作ろうとしていたこと(「はじめに原爆投下ありき!」)が理解できよう。
@ の前提が崩れたならば、当然AとBも崩れるのが当たり前であるが、Aに関しては、九州上陸作戦にともなう当時の米側推定死傷者数が、「2万人以内」(1945年6月18日の会議用資料)や「6万3千人」(1995年に開催予定であったスミソニアン原爆展の展示案)に比較してもかなりの「誇張」であると言えよう。また、日本側の犠牲にも「配慮」したとの理由!は、2カ所の原爆投下で1年以内に約20万人(広島約13万人、長崎約7万人)、今年で33万人を上回る原爆犠牲者のことを思えば一考にも値しない「ためにする議論」といわざるを得ない。

「米側の論理」でもう一つ問題にしなければならないのは、Cの論点である。確かに、アジアで侵略戦争を起こしたのは日本であり、「開戦の責任」や戦争中の残虐行為を正当化することはできないことは言うまでもない。また、日本側の議論では、ともすればこうした「加害者意識」が弱く「被害者意識」が全面に出がちであったことは否めない。今日でもなお、植民地支配・侵略戦争を真に反省・謝罪することなく、本当にやらねばならない戦後補償を行おうとしない日本側(とくに政府・自民党など)の責任は大きいと思われる。しかし、だからといって、日本に対する原爆投下を正当化することはできないのは無論のことである。また、一切の批判を許そうとしないかたくなな姿勢の背後に、かえって米側の正当化しようとしてもできない「苦悩」や「いらだち」(「罪悪感」とはまた別のもの!?)を感じるのはわたしだけであろうか?
原爆(核兵器一般)は「悪魔の兵器」と言われるように、人類がこれまで創り出した兵器の中でも最も非人道的な兵器であることは言うまでもない。罪もない婦女子を含む非戦闘員が直接の犠牲となったばかりでなく、その後今日にいたるまで人体・環境への破壊的影響でなお多くの人々が次々と犠牲になっている恐ろしい兵器である。毒ガスやその他の兵器が禁止されているのに、核兵器が禁止されずに放置されている現状は「狂気の沙汰」としか言いようがない。今一番必要なことは、この原爆や核兵器の非人道的性格を正しく認識して、それを禁止・放棄することである。
現在の核保有大国、とくにアメリカが日本への原爆投下を含むあらゆる核兵器の使用を「非人道的行為」「戦争犯罪」「違法」と認識する時こそが、人類にとっての「核廃絶」実現の一歩である。21世紀を迎えようとしている今、一時も早くその日が来ることを心から願ってやまない。

1999年8月9日(54回目の長崎「原爆の日」に)
                              木村 朗
 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )