アメリカが、降伏直前の日本(米側は当時の戦況分析で、原爆がなくても日本は1945年11月までには降伏するであろう、と推定していた)に敢えて原爆を投下した理由としては、以下の諸点が考えられる。
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日本の「卑怯な」真珠湾攻撃に対する「復讐」・「報復」とその背景にある人種差別観
原爆投下に執着した理由として、アメリカ側は対日戦ですでに多くの犠牲者を出しており、戦局不利のため条件付で降伏しようとしていた日本を最後に「懲らしめる」必要があった。また、当時の日本軍壊滅作戦を「ねずみ叩き」にたとえるような人種差別観の存在を見過ごすことはできない。
A
ソ連に対する示威・威嚇−いわゆる「原爆外交」
「(日本への原爆投下は、)第二次大戦最後の軍事行動であるよりは、むしろ戦後の米ソ冷戦の最初の大作戦の一つであった」(ブラケット教授)。アメリカは、ソ連の対日参戦を防ぐためというよりも、ソ連参戦の影響力を最小限にとどめ、戦後の日本占領政策へのソ連の発言権を封じ込めることを最大の狙いとしていた。
B 新型兵器の実験
周知のように、広島に投下された原爆「リトル・ボーイ」と長崎に投下された「ファット・マン」は、それぞれ異なるタイプの原爆(広島−ウラン型、長崎−プルトニュウム型)であった。そのため、どうしても2発目の原爆を長崎に投下する必要があった。「米側の論理」によっても、この長崎への2発目の原爆投下を正当化することはとうていできない。
C
巨大な開発費用の「回収!」−議会・国民からの強い圧力の存在
1944年からの「マンハッタン計画」には、約20億ドルという莫大な予算が投じられた。トルーマン政権は、もし原爆が開発されていたのに日本に使用しなかった場合、議会や一般国民から「壮大な無駄」「国民への裏切り」という批判が強く出されることを恐れていた。
D 米軍将兵の命の救済
原爆投下を正当化する「米側の論理」で真っ先に出される理由であるが、これは確かに米側の本音でもある。ただし、原爆投下のチャンスが来るまで日本が降伏することを引き延ばした事実(もちろん、「国体の護持(天皇制の維持)」のためには国民の生命をも省みようとしない日本側の「狂気」も戦争継続の大きな要因であった)を忘れてはならない。また、いかに多くの米兵の命を守るためでも、戦闘員の犠牲を避けるための民間人殺戮は明らかな国際法違反である。また、都市への無差別爆撃は、ニュルンベルク裁判・東京両裁判で確認されたように、「戦争犯罪」および「人道に対する罪」を構成する。したがって、独軍によるゲルニカ爆撃や日本軍による重慶爆撃ばかりでなく連合軍によるドレスデン爆撃や米軍による東京爆撃なども当然含まれる。この点、米軍が原爆の効果・威力を正確に知るために、通常爆撃をされていない都市(「市街地」)をわざわざ選んで投下したのは「違法」かつ「非人道的行為」そのものであり、「戦争犯罪」および「人道に対する罪」に当然当たると指摘できる。
以上、日本への原爆投下の背後に複数の政治的軍事的理由があったこと、原爆投下を正当化しようとする「米側の論理」が必ずしも説得力をもつものでないことを指摘した。
しかし、わたしの真意は、米国による日本への原爆投下の不当性を明らかにすることによって、侵略戦争を引き起こし数々の非人道的な残虐行為を行った日本側の戦争責任に目を閉ざそうというのではない。むしろ、その逆で、日本軍が犯した重慶への無差別爆撃や南京虐殺などの「戦争犯罪」・「人道に対する罪」が「正義」を掲げる連合国(とくにアメリカ)側にも東京大空襲や凄惨な沖縄戦、そして2回の原爆投下という勝つためには手段を選ばないような戦争のやり方を強いたということを理解することが大切だと思ったからである。旧日本軍の蛮行に由来するこうした反日感情は、今なお米国民ばかりでなくアジア諸国の民衆のなかにも根強く、原爆投下を正当視することにもつながっているという事実に注意しなければならない。