「原爆神話からの解放(中)−原爆『天佑』説と日本降伏の真実」

日本への原爆投下の理由としては、すでに述べた「早期終戦・人命救済説」の他にも、日本の「卑怯な」真珠湾攻撃と「野蛮な」戦争捕虜虐待に対する「報復」とその背景にある人種的偏見の影響、20億ドルという巨大な開発費用の「回収」を求める議会・国民からの強い圧力の存在、新型兵器の威力を試すための人体実験の必要性などが指摘されている。いずれも「早期終戦・人命救済説」以上に説得力があると思われる。

それでは、米国はなぜあの時期に急いで原爆を日本に投下しなければなかったのであろうか。その背景には、当時ヨーロッパを舞台に拡大しつつあった米ソ対立、すなわち冷戦があった。ソ連がドイツ降伏(1945年58日)後3ヶ月以内に対日戦に参戦するというヤルタ会談でも確認された合意が存在していた。この合意は、満州の関東軍を叩くために米国側が要請し北方領土・満州の権益と引き換えにソ連がそれに応えたもので、原爆投下時点においても有効であった。716日の原爆実験の成功から86日の広島への原爆投下までの短期間に米国が事を性急に運んだ理由も、ポツダム会談でソ連が対日参戦を公約した815日に間に合わせるためであった。すなわち、それは、原爆投下によってソ連参戦前に日本が降伏すれば(例えソ連参戦後に日本が降伏した場合であっても)、対日占領政策を含むアジアでの戦後のソ連の影響力拡大を封じ込めることができるというのが最大の狙いであった。その意味で、まさに「(日本への原爆投下は、)第二次大戦最後の軍事行動であるよりは、むしろ戦後の米ソ冷戦の最初の大作戦の一つであった」(英・ブラッケット教授)のであり、日本への原爆投下の真の理由もそこにあった。

もう一つの原爆神話は、日本が降伏を決定した最大の要因は原爆投下であった、という原爆「天佑」説である。それは、原爆投下以外に日本を降伏させる方法はなかった、という米国の立場を正当化するものであり、日本は戦術や精神力ではなく科学力の差で負けたのだ、という日本側(特に軍部)にとっても都合のいい論理であった。原爆投下を正当化するこの見解は、8月6日の広島への原爆投下によって9日に早められたソ連の対日参戦の影響を不当に過小評価するものである。戦後、占領軍ばかりでなく、日本政府によってもこれまで基本的に受け入れられてきた。しかし、最近の研究(例えば、荒井信一『原爆投下への道』、進藤栄一『戦後の原像』)によって、日本にとってソ連参戦の「衝撃」がいかに大きく決定的なものであったかが次第に明らかにされつつある。日本降伏の決定要因として、原爆投下とソ連参戦の「ダブルショック」のどちらを重く見るかは別として、いずれにしても、当時の日本は米軍による激しい戦略爆撃や海上封鎖によって継戦能力をすでに失っており、原爆投下や九州上陸作戦が実施されなくともソ連参戦後間もなく日本が降伏していたことだけは確かであろう。

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