木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :01/01/25 

 

No.34

 

TITLE:「平和の世紀」から「戦争の世紀」へ−21世紀を迎えて− DATE:25Jan. 2001 

    

    20世紀は、「国家」、「革命」、「民族(あるいはナショナリズム)」、「核」、そして何よりも「戦争」という、どちらかと言えば重い言葉との関連で語り継がれようとしている。確かに、20世紀最大の出来事は何と言っても「(日本への)原爆投下」であり、二度にわたる世界大戦やベトナム戦争、朝鮮戦争、中東戦争・湾岸戦争、ソマリア、ルアンダ、ボスニア、チェチェン、コソヴォ、アフガニスタンなど数多くの世界各地での地域・民族紛争やそれにともなって生じた膨大な難民の存在がそのことを物語っている。20世紀は、19世紀から受け継いだ「ナショナリズム」と「帝国主義」が「国家」の最大限の膨張(対外的な「領土」・「植民地」、「勢力圏」の拡大や軍隊・警察を含む官僚機構の肥大化)をもたらし、人類に第一次大戦および第二次大戦という凄絶な「国家総力戦」(ナチスによる「ホロコ−スト」や「毒ガス」・「原子爆弾(核兵器)」の使用を含む)を経験させることになった。そして、「国家(主義的)社会主義」とも呼ばれる「ファシズム」や「スターリン主義」は、20世紀における歪んだ「国家主義」、「民族主義(あるいはナショナリズム)」、「集団主義」、「全体主義」の象徴であった。

  これに対して、21世紀は、「人間」、「人権」、「民主主義」、そして「平和」という言葉と結びついた世紀であってほしいという「希望」と「期待」(あるいは、そうであらねばならないと言う「決意」と「意思」)が強く表明されているのは当然であろう。また、ある意味で、21世紀の人類・世界がどうなるかの鍵は、20世紀の人類・世界がどうであったか、という評価・総括の仕方にかかっている。別の角度から20世紀を眺めると、科学技術の発達を背景にした未曾有の生産力の増大と人口の爆発的増加、帝国主義による世界的な植民地体制の崩壊、大衆民主主義の到来と君主制・独裁制から共和制・民主制への移行・転換という形で、人類・世界は前世紀よりも確実に「進歩」、「前進」したと言えよう。もちろん、こうしたプラスの側面の「恩恵」から「排除」されている、2,000万人以上の難民や20億人以上にも上る「(絶対的)貧困者」の存在を忘れてはならないが。

  このように考えてくれば、21世紀の人類・世界には、次の三つの選択肢が開かれていると指摘できよう。第一の選択肢は、20世紀のマイナス面の遺産を克服しプラス面の遺産を発展・強化させる道である。すなわち、21世紀の人類・世界にとっての最大の課題は、紛争防止・難民救済・貧困(格差)解消・環境保護であり、そのために民主主義・人権意識を強化し本当の意味での「平和な世界・社会」を実現することである。「人類益」、「普遍的倫理(あるいは正義)」、「社会的公正」、「平等」、「個人」を重視するとともに、現在の「国連」を民主的に改革・強化することを通じて将来の世界的統合(「世界政府」・「世界連邦」)の実現につなげなければならない。また新しい世界秩序を考える際には、「20世紀社会主義(ソ連型社会主義)」のマイナス面を克服した新しい社会主義的原理の創造・導入も不可欠であろう。

次にあげる第二の選択肢は、20世紀の遺産をマイナス面も含めてそのまますべて肯定する立場(すなわち現在の秩序を自分たちにとってきわめて有利であることを自覚している大国・先進国、あるいは富者・強者の位置)から、世界秩序の現状打破と根本的再編に乗り出す道である。この場合に持ち出されるスローガンは、「競争」、「効率」、「自己責任」、「自力救済」であり、各国家・各民族は自分の所属する組織・集団あるいは自分個人の利益のみを最大限に追求する。その結果、21世紀は、限りある資源・エネルギ−・食料を力で奪い合って際限のない紛争・流血と環境破壊・餓死が生じるような、まさしく(今以上の)「地獄絵」「弱肉強食」の世界・社会となることになる。そして、すでに一部の国家、民族、集団、個人はそうした(最悪の)事態に備える準備を始めているように思われる。

  最後に残された第三の選択肢であるが、これは言うまでもなく、前二者の中間の道で、「現状維持」あるいは(前二者のどちらかの方向の)「漸進的変革」である。これは、現時点で考える時に最もありそうな選択肢・将来図であるといえよう。

 ここで私の結論として強調しておきたいのは、これまでに述べた三つの選択肢のなかで、最初にあげた第一の道を、21世紀の人類・世界はたとえそれがいかに困難であっても歩まなければならないということである。もちろん、現実的には、第三の選択肢となる可能性が高いことは否定できない(第三の選択肢の中でも、第一あるいは第二の選択肢のいずれに近い道となるかは、現時点で楽観的立場か悲観的立場のどちらかに立つかによる)。しかし、個人であれ、集団であれ人間の将来を決定するものは、「能力」というよりも「意思」である。そう考えれば、現時点で私たちは、21世紀を本当の意味での「平和な世界・社会」を実現する「可能性」・「必要性」を認識して、それを「現実性」・「必然性」に変えるための強い「決意」と「意思」をもって身近な問題から取り組む「努力」を始めなければならないであろう。

  2001年の最初の平和コラムを書き終えて

                                 木村 朗 

  

 

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