木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :02/02/13

 

No.40

 

TITLE:米国同時多発テロの背景と日本」 DATE:02.13. 2002 

     

     木村 朗(鹿児島大学法文学部教授、平和学・国際関係論専攻)

1954年8月北九州市小倉生まれ(47歳)、福岡県立小倉高校から九州大学法学部に入学

    1988年3月九州大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学

    1985年9月から1987年3月まで旧ユ−ゴスラヴィアのベオグラ−ド大学政治学部へ政府交換留学生として留学、その後、1994年9月、1998年3月、2001年8月に現地をそれぞれ1ヶ月ほど再訪する。

    現在の主なテ−マは、旧ユ−ゴ紛争と国連PKO、日米安保体制と沖縄問題、原爆投下問題、対米テロと対アフガニスタン報復戦争など

    自主ゼミで社会人も参加できる「平和問題ゼミナ−ル」を1997年2月から毎月1、2回のペ−スで開講

    市民グル−プによる「かごしま平和ネットワ−ク」、「21活憲ネットかごしま」、「STOP報復攻撃かごしま市民の集い」などに参加

 

「9・11(米国同時多発)テロ」からすでに2ヶ月以上がすぎ、10・8から始まった米英によるアフガニスタンへの「報復戦争」が1ヶ月をたった現在も続いています。そこで、この問題についてのわたしの考えを少し述べさせていただきます。

まず、9・11に起きた対米テロをはたして「戦争」と呼べるのでしょうか。ブッシュ米大統領は、この対米テロを「新しい戦争」であると宣言し、「米国の敵」を「世界の敵」と見なして米国と同じ戦列に加わることを「国際社会」に強要しています。10・8から始まった米英によるアフガニスタンへの「報復戦争」も、個別的および集団的な自衛権の発動として正当化しようとしています。しかし、この無差別テロ自体は国際的な「凶悪犯罪」であり、いかなる理由があっても決して許すことの出来ない非人道的な行為ですが、「戦争行為」そのものと見なすには無理があります。テロの実行グル−プは明白な容疑が固まった段階で国際的な警察・司法協力のもとで厳しく処罰することは当然です(国際刑事裁判所が設立されていない現在の時点では国連主導の国際法廷設置が妥当と思われます)。とはゆえ、状況証拠のみで明白な証拠開示もしないで犯行グル−プをビンラディン率いる「アルカイダ」と決めつけて、「アルカイダ」の壊滅ばかりでなく、それを支援したという理由でアフガニスタンのタリバン政権の打倒をも目的とした「報復戦争」を行うのは明らかに過剰防衛です。そして、このテロとの戦いという「正義」を掲げた「報復戦争」では、クラスタ−爆弾や劣化ウラン弾などの非人道的兵器が大量に使用されているばかりでなく、度重なる「誤爆」(実際には「誤爆」かどうか疑わしい事例も含まれている)で多くの民間人が犠牲となっている現状をみれば、この「報復戦争」が目的ばかりか手段においても正当性をもたないものであることは明らかです。

また、そもそも「9・11(米国同時多発)テロ」を引き起こした背景と原因は何であったのでしょうか。一番大事なことは、9・11に起きた対米テロは、(ブッシュ米政権が主張しているような)すべての始まりではなく、それまでのアメリカの行動・政策がもたらした結果であるということです。「なぜアメリカが狙われたのか(あるいはアメリカはなぜこれほど憎まれるのか)」という根本問題を考えて、その本当の原因をなくすことこそが最大のテロ対策であるということです。ここで、そのすべての原因に言及することはできませんが、背景・遠因としての貧困・飢餓・差別・抑圧といったグロ−バリズム(アメリカ流資本主義の世界化)の矛盾と、直接の原因としてのブッシュ政権になってより顕著となった米国のユニラテラリズム(単独行動主義)、とくにあまりにも偏ったイスラエル寄りの中東政策を指摘しなければなりません。

そして最後に、「暴力(テロと報復)と憎しみの悪循環」という現在の状況のなかで日本は一体何をなすべきなのでしょうか。日本政府は、米国の「報復戦争」をテロへの戦いと同一視してこれを全面的に支持し、戦時における米軍への後方支援という形で「米国の戦争」に積極的に協力・加担しようとしています。詳述は省きますが、テロ特措法や自衛隊法の「改正」が日本国憲法ばかりでなく現行の日米安保条約の枠からも大きくはみ出す内容(「戦時」に、「地域無限定」で、「国連決議」や「国会の事前承認」の歯止めもないなど)のものであることは明らかです。今の日本政府の対応は、「湾岸戦争のトラウマ」から抜け出すために「はじめに自衛隊派遣ありき」を何がなんでもはたさなくてはならないという脅迫観念にとりつかれているようにしか見えません。しかし、従来の専守防衛の基本原則を放棄し、日本国憲法で禁止されている(と政府も言っている)集団的自衛権を事実上行使することになる重大な決定を満足な審議もせずに(たったの3週間!)で行うことがはたして許されていいのでしょうか。

私たちは、このような戦争協力への道を断固として拒否し、それに変わる代案、すなわち軍事協力ではなく「和平への仲介と難民支援」という、日本にしかできないような国際協力を今こそ全力で(国家レベルばかりでなく、市民レベルでも)行うことが求められていると思います。幸い、現在はインタ−ネットを通じて市民が国境の壁を越えて自由に世界の人々と連帯・協力することができるようになっています。現在の状況はわたしたちにとって、ピンチであると同時にチャンスでもあることを自覚して、一人ひとりができることからまずはじめることが最も大切ではないでしょうか。

(「戦争・平和・宗教を考える会」2001年11月14日での報告資料)

 

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )