木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :03/02/13

 

No.41

 

TITLE:「鎌田定夫先生を偲んで−平和へのゆるぎない信念を継承したい」 DATE:03.03. 2002 

      

鎌田先生の訃報をお聞きしたのはその日(2月26日)の夕方でした。長崎市で行われたそのお通夜(27日)と告別式(28日)に参列させていただいて帰ってきた今も、まだ鎌田先生が本当に亡くなられたという実感がわきません。お通夜や告別式に参列された多くの方々のお言葉・思いから鎌田先生のこれまでの多様な活動の足跡や意外な側面をお聞きし、あらためて鎌田先生の存在の重さと影響力の大きさを痛感しています。

 

鎌田先生に最後にお会いしたのは、昨年9月22/23日に鹿児島大学で開催された第14回九州・沖縄地区平和研究集会(略称・九州平和学会)でのときのことでした。鎌田先生が九州・沖縄地区担当の日本平和学会理事をされており私が開催地の責任者ということで、事前の準備の段階から研究集会のテ−マ・内容ばかりでなく、報告者への連絡やマスコミへの広報、懇親会の人数・会費などまで、さまざまな点について細やかなご配慮と的確なアドバイスをしていただきました。今思えば、すでに2年前から大病を患われており、当初は研究集会への参加もご無理ではないかと思われていた中でのことであり、鎌田先生の平和へのゆるぎない情熱と信念を象徴するエピソ−ドでした。研究集会での冒頭のご挨拶では、9/11テロ後の世界の変化を懸念され差し迫っていたアフガニスタンへの米国の攻撃に明確に反対されるとともに、地域から市民一人ひとりが声を上げて行動を起こすことの大切さを指摘なさいました。当日の司会をしていた私は、いつものように制限時間オ−バ−となったご挨拶の長さも今回は一向に気にならず、鎌田先生の一言ひとことを聞き漏らすまいとしていたように思います。また、9/11テロ直後に開かれた研究集会であったということで緊急集会声明「テロと報復の連鎖を断つために」を採択することになりましたが、その際に文言の修正で少しもめたときにも、休み時間にお体を横たえたままで、あまり気にしないでも大丈夫だよと声を掛けていただいたことが今でも忘れられません。

 

もうひとつ鎌田先生には、2年前の「NATO空爆とコソヴォ難民問題を考えるチャリティ−・シンポジウム」の件で大変お世話になったことが思い出されます。これは、私がユ−ゴ問題を専門にしていて九州在住のユ−ゴ人・チャスラヴ氏(セルビアではなくモンテネグロ出身)とアルバニア人・ファトス氏(ユ−ゴのコソヴォではなく、隣国アルバニアの出身)と知り合っていたため、難民支援のために何か出来ないかということで、鎌田先生にもご相談したところ、快く引き受けて下さいました。そして、そのシンポジウムを長崎市で開催していただいたばかりでなく、鎌田先生のご郷里でもある都城市(宮崎県)で開かれたシンポジウムにも駆けつけてご参加・ご挨拶いただいたことです。突然で無理な私の願いを長崎平和研究所や長崎市関連の平和行事などでスケジュ−ルが立て込んでおり、かつ体調も不十分であったにもかかわらず、何とか都合をつけて引き受けていただいた鎌田先生には感謝の念で今も一杯です。また、この件では、鎌田先生はNATO軍によるユ−ゴ空爆の不当性を指摘されるとともに、いわゆる「人道的介入」論を批判する論理・理論を早急に平和運動の側が構築する必要があると強調されていました。しかし、当日のシンポでは、アルバニア人のファトス氏が人権抑圧を阻止するためのNATO空爆の正当性を主張したことに対しても一定の理解を示されていたお姿が印象深く残っています。

 

鎌田先生と最初にお会いしたのは私がまだ九大の院生時代で恩師の石川捷治先生から勧められて、長崎市で開かれた長崎平和文化研究所主催のシンポジウムに参加させていただいたときのことでした。鎌田先生は当時、長崎平和文化研究所(長崎総合科学大学付属)の所長でかつ「長崎証言の会」代表委員として精力的な活動をされており、すでに長崎の平和運動における中心的人物でした。鎌田先生が信子夫人とご一緒ににこやかな笑顔で話しかけて下さったときの様子を昨日のことのように思い出します。それ以来鎌田先生には、私が鹿児島で大学に籍を置くようになって14年たった現在まで、直接・間接に多くの影響を受け、平和への真摯な姿勢や平和研究の厳しさ、平和教育の大切さや平和運動の重要性と難しさなどさまざまなことを学ばせていただきました。1997年1月に鎌田先生が私財を投じられて創設された長崎平和研究所にも客員研究員として参加するようにお声を掛けていただきました。にもかかわらずこれまで何一つとして形にしてお返しすることが出来ていないことが悔やまれます。ぜひ、もう一度お会いしてお話をお聞きしたいと痛切に思いましたが、それも今はかないません。鎌田先生がお亡くなりになった今、その平和への強い信念を継承し、鎌田先生が21世紀の平和研究の重要課題とされていた「被爆体験の思想化」や「原爆投下の意味の普遍化」(日米の共通認識の確立)、現在最大の岐路にある平和運動・平和教育の再構築など、残された私たちが出来る限りの努力をしていきたいと思います。

 

最後に、鎌田定夫先生、これまで本当にお疲れさまでした、そして本当にありがとうございました。どうか、ゆっくりとお休み下さい。そして、私たちをいつまでも見守っていて下さい。

 2002年3月2日

                                木村 朗

   

 

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )