木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :04/18/13

 

No.42

 

TITLE:「日本は本当に法治国家・独立国家といえるのか−有事法制は憲法改正(集団的自衛権行使と自衛隊の軍隊化)に直結する!」 DATE:04.18. 2002 

      

一昨日(16日)有事法制関連三法案が閣議決定され翌日国会(先ず衆議院)に提出された。ただちに特別委員会が設置され、連休前にも衆院本会議での審議に入る予定だとされている。わたしは、憲法改正の先取りと国家総動員体制づくりともいえるこの危険な法案の成立に強く反対する。

 

有事法制案の具体的検討に入る前にまず検討しておく必要があるのが、「なぜ今、有事法制が必要なのか」ということである。冷戦後の日本をとりまく国際環境で最も大きな変化は、いうまでもなく最大の脅威・仮想敵国とされていたソ連の消滅である。その結果、大国間の全面的な核戦争の可能性が著しく減少したのと同様、現時点で日本が特定の国によって大規模な軍事攻撃による直接侵略を受ける可能性はほとんどなくなった。それは、日本政府自身さえ認めている共通の国際認識である。それでは、なぜ今の時期にこのような形で唐突に出されてきたのか。それを説く鍵はやはり日米関係のなかにある。

 

日本での有事法制へ向けた動きは、(1954年の自衛隊創設以前に制服組主導で密かに始められていたともいうが−纐纈厚「戦後有事法制論議の軌跡」『世界』2002年5月号参照)1965年に暴露された「三矢研究」(正式には「昭和38年度 統合防衛図上演習」)を発端に、福田内閣時代の1977年より本格的に「研究」(あくまでも「法制化を前提としない」形で)が開始され、1981年に第一分類(「防衛庁所管の法令」)、1984年に第二分類(「他省庁所管の法令」)の報告がそれぞれ出されたものの、第三分類の「所管省庁が明確でない事項に関する法令」が残されたまま今日に至っていた。一方、冷戦終了後、PKO等協力法(1992年)、日米安保共同宣言(1996年)、新ガイドライン=「日米防衛協力のための新しい指針」(1997年)、周辺事態法(1999年)、2001年の対テロ特措法(=「米軍等支援法」)および自衛隊法改正などによって、自衛隊の海外派兵を可能とする法的枠組みが整備されていった。

 

ここで米国との関係で注目されるのは、1994年に「核開発疑惑」問題で北朝鮮と戦争直前の状況にまでいたった米国が日本に突きつけた要求と2000年10月に出されたア−ミテ−ジ報告(「対日政策提言」)である。前者では1700項目もの対日要求が出されたが日本に有事法制がなく実効的な支援体制が期待できないとの失望を米国側に与え(日本側の支援体制の不備は、韓国の強い反対やカ−タ−元米大統領の仲介工作とともに米国が戦争を回避させる一因となったともいわれる)、後者の報告では集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更と有事法制(特に情報管理法制)の整備・確立への強い「期待」があからさまに示されていた。こうした米国の日本に対する期待・要求は、2001年の対テロ特措法(「米軍等支援法」ともいえるもので、“戦時”での米軍への「後方支援」を可能とした)および自衛隊法改正(とりわけ「防衛機密」規定の導入)で一定程度満たされることとなったが、それでも不十分と考える米国の意向に添う形での日本の回答が今回の有事法制導入の動きであったといえる。

 

 このように見てくれば、今回の有事法制導入の最大の狙いが、日本有事への本格的対応などではなく、米軍への軍事支援・協力をより有効なものにすることであったことがよくわかる。米国が今回の日本政府の動きを「高く評価」する一方で、日本国内では反対派・慎重派ばかりでなく支持派・推進派の双方から強い不満が出ていることは、まさにこの法案の性格・本質を端的に物語っているといえよう。

 

2002年4月18日

                       木村 朗

                                                                  
 

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