木村朗国際関係論研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :03/03/31

 

 

No.48

 

TITLE:「狂気の帝国」による国際法違犯の侵略戦争を即刻中止せよ!一片の道理なき「ブッシュの戦争」に加担する小泉政権は即時退陣を! DATE:03.31. 2003 

      

  国連安保理で多数派を形成して新決議を採択することに失敗した米英両国は320日に、世界中の圧倒的多数の反戦・平和の声にも一切耳を貸さずについにイラク攻撃に踏み切った。「イラクの自由」あるいは「衝撃と恐怖」と命名された米軍の作戦によって、一方的な攻撃開始から1週間以上たったいま現在も、イラクでは多くの死傷者が出て人々が泣き叫び逃げ惑う地獄のような絵図が昼夜を問わず繰り返されている。

 この戦争には、国連安保理での武力行使を容認する新決議の採択如何にかかわらず、そもそもの最初から一片の道理も正当性もないことは明白である。湾岸戦争後のイラクは、多国籍軍による徹底した攻撃・破壊とその後の一方的な経済封鎖や米英によって勝手に設けられた飛行禁止空域での25万回以上にもなる空爆、さらに湾岸戦争で大量に使われた劣化ウラン弾の後遺症などによって多くの人的あるいは物的損害を受けて国力は大幅に弱体化していた(人的犠牲者は150万人をこえ、軍事力は3分の1以下にまで低下したといわれる)。米英両国が主張したようなイラク攻撃の理由(大量破壊兵器の開発・保有とその隠匿、アルカイダなどのイスラム過激派・テロ組織とのつながり)はいずれも確固たる証拠もなく、「独裁的な」フセイン政権の下での人権抑圧を理由とする「政権転覆(あるいは体制転換)」を目的とする「予防的先制攻撃」も国際法的な正当性を持ち得ないことはいうまでもない。

大量破壊兵器の国際的な査察がいま最も必要なのはイラクではなく、200発以上ともいわれる核兵器をすでに開発・保有し「国家テロ」(国連決議を無視した入植地拡大とパレスチナ人虐殺)を繰り返すイスラエルであり、それを建国以来一貫して全面的に支援し続けあらゆる非人道的な大量破壊兵器を保有する世界最大の軍事国家・テロ国家(テロ支援国家)米国であることは明らかだ。また、「独裁政権」による「人権侵害」からの「自由」「解放」を米国が本気で考えているならば、イラクと同じかそれ以上の「独裁政権」で米国の同盟国・友好国あるトルコやサウジアラビア、エジプトなどの「民主化」をこそ最優先すべきである。まさに傲り高ぶった「狂気の帝国」(「デモクラシーの帝国」などでは決してない!)によるまったく新しいタイプの「侵略戦争」「植民地戦争」であり、すべての戦争責任は米国のブッシュ政権にある。現在米英軍などによって行われている「人種差別」「恐怖と憎悪」に基づく一方的な「無差別爆撃」「大量殺戮」は許すことのできない「戦争犯罪」「人道に対する罪」として裁かれなければならない。米英両国が掲げる戦争目的がいかに不当で欺瞞に満ちているかは、劣化ウラン弾やクラスター爆弾だけでなく新型爆弾(すでに使用された電磁波爆弾や今後使用される可能性のある“すべての爆弾の母・MOAB”やミニ原爆“B61-11の改良型”)などを使用して放送局・浄水場・発電所・石油関連施設などの民間施設なども躊躇なく破壊するという、その汚い戦い方にも如実に現れている。今回の攻撃でも住宅地や市場・病院・学校などに対するおなじみの「誤爆」が繰り返されているが、それに対して一切反省・謝罪するどころか居直っているかのような米軍当局の傲慢な姿勢がそのことを端的に物語っている。

 だとするならば、弱体化したイラクをあくまでも脅威だとしてフセイン政権打倒にこれほどまでに固執する米英の真の戦争目的はどこにあるのだろうか。

 9・11事件以後の事態の推移を仔細に検討するならば、それは、第一に、中東地域で米国のコントロールに服さないイラク・フセイン政権を打倒することによってこの地域での米国の覇権を完全に確立し、第二に、石油埋蔵量が世界第2位で石油産業を国有化しているイラク・フセイン政権から石油採掘権などの利権を剥奪して世界の石油価格を米国(政府およびメジャー)がコントロールできるようにし、第 三に、中東地域での最大の同盟国であるイスラエルの安全保障の強化を実現する(米国内での最大の経済的エリートであるユダヤ人グループの圧力に注目せよ!)というブッシュ政権の隠された目的が浮かび上がってくる 。また第四に、支持率の低下や経済状況の悪化という現状から脱して次の大統領再選へつなげるというような内政上の理由をあげることができる(先の大統領選挙での不正行為や数々の汚職スキャンダルから国民の目を逸らさせる目的もあろう)。もちろん、これにイラクによるブッシュ・シニアへの暗殺未遂に対するブッシュ・ジュニアの個人的恨みをつけ加えることも可能だ。

ブッシュ政権は、巨大な軍産学共同体(軍需・石油産業や一部の情報・金融産業など)の支援、キリスト教右派・原理主義とユダヤ教右派・強硬派の同盟、という二つの背景をもち新保守主義(ネオ・コンサーバティブ)というイデオロギーを掲げて登場した。また、ブッシュ政権は発足以来その正統性に疑義が出されて支持率も低迷していた(ブッシュが大統領になれたのは、マイケル・ムーアも指摘するように、不正な大統領選挙、とくにブッシュの弟が知事をつとめるフロリダ州での選挙のおかげであって真に勝利したのはゴアであるという批判をつねに投げかけられていた)。そのブッシュ政権の政治基盤の弱さを救ったのがあの9・11事件であった。そして、この9・11事件が勃発する以前からすでにブッシュ政権は、アフガニスタン(タリバン政権)やイラク(フセイン政権)などを打倒して新米政権を樹立するという中東地域の「民主化」構想をもっていたと考えられる。というのは、9・11事件よりも先にラムズフェルド国防長官やウォルフォウィッツ国防副長官、リチャード・パール国防政策諮問委員会委員長ら(いずれも新保守主義の強硬派)が率いる国防総省によってアフガニスタン攻撃作戦が作られていたという事実や9・11事件直後にアフガニスタンばかりでなくイラクをも同時に攻撃することがブッシュ政権内で同じく新保守主義の強硬派によって唱えられ激論が交わされたという事実(かろうじてパウエル国務長官らの主張によってイラク攻撃は「後回し」にされた!)がのちに明らかになったからである。この点で、9・11事件や炭素菌事件などの背後に大きな陰謀があったという指摘が注目される(日本では、田中宇、木村愛二、成澤宗男各氏の論考を参照のこと)。

このように、ブッシュ政権が押し進めようとする戦争は新しい帝国主義的性格が濃厚である。それにもかかわらず、アメリカ国民の過半数がこの戦争を支持しているのは、9・11事件後のアメリカで「テロの恐怖」が異常に煽られて「法」「人権」よりも「力」「安全」を最優先する状況(例えば、アラブ・中東系米国人への礼状なき「予防拘束」の実施、フセイン大統領など外国の要人暗殺の容認、盗聴・検閲の強化)が意図的に作り出され、戦時下の情報統制・翼賛状況が進む中で国家権力と一体化したマスメディアが巧妙な情報操作を行ってきたからである。犠牲者の遺族などから司法・裁判を通じた真相解明の強い要求があるにもかかわらず、9・11事件や炭素菌事件などの闇・謎の解明が一向に進まず、先の大統領選挙でブッシュ・共和党陣営が行った明らかな不正行為の事実さえも一切顧みられないというのは、米国社会の現在おかれている状況がいかに深刻かを物語っている。それは、現在行われている「汚い戦争」においても目に余るほどの米英側の情報操作とプロパガンダが行われていること無関係でないことはいうまでもない。

米英軍は、今回の戦争を、1.短期間で、2.犠牲者を最少にして、3.イラク市民を味方にする、というシナリオ(楽観的なというよりは、これ以外に正当性を確保出来することができない唯一の選択肢であった!)がいずれも現実に裏切られて無惨な結果に終わっている。開戦当初のフセイン大統領殺害を狙ったピンポイント爆撃(!?)は失敗に終わり、イラク攻撃を正当化するための大量破壊兵器の存在やイラクとアルカイダの関係を示す証拠を血眼になって追究しているにもかかわらず発見できずにいる。そればかりか、トルコを通じた地上軍派遣の断念や激しい砂嵐、イラク側の激しい抵抗と米英軍側の犠牲者の増加、イラク南部地域での住民蜂起の不発と「解放軍」として歓迎してくれることを期待したイラク市民からの強い反発、開戦後のアラブ・中東地域を含む全世界での反戦・平和運動のさらなる高揚と反米感情の急激な強まりといった予想外の事態に直面している。こうした事態に直面した米英指導部は、内心の動揺を隠しながら、フセイン政権の残虐非道ぶりといったなりふり構わぬプロパガンダを強める一方で、非人道的な新型兵器の相次ぐ使用や民間人・民間施設への容赦のない攻撃を行ってイラク市民に多くの犠牲者を出し続けている。

戦争が長期化する様相が支配的になった現在、米国は10〜12万人の新たな援軍の増派を決定し、何としてもこの「汚い戦争」を完遂して形だけの「勝利」を追究する姿勢を見せている。国際社会は、この道理なき「侵略戦争」を直ちに止めさせなければならない。そのために、国連緊急総会を早期開催し、平和実現へのイニシアティヴをとることをアナン国連事務総長や国連加盟国、とくに常任理事国である仏中露などに働きかける必要がある。また、わたしたちは、世界の中でも米国への際だった支持・理解を一貫して見せている小泉政権に対して、米国追従・戦争協力政策からの即時転換か、さもなければ即時退陣を求めなければならない。わたしたちはいま、「侵略者の側」「殺す側」に立つのか、それとも「殺される側」「侵略される者」の側に立つのか、という根本的な選択を迫られている。それは21世紀の世界のあり方をめぐる、戦争の違法化や武力行使の原則禁止などの国際法秩序・「法の支配」を守るのか、「力こそが正義」とするような新しい「狂気の帝国」の支配を許すのか、という決定的な闘いでもある。

「騙し絵のような米軍提供の戦争映像の奥に、隠された無告の人々の惨憺たる死体を見る必要がある。」(『朝日新聞』3月22日付)と辺見庸氏が指摘しているように、いまこの瞬間でも理不尽な暴力によって殺され続けているイラクやパレスチナの無辜の人々への人間としての共感・想像力を持ち、何をするべきかを真剣に考え行動する時である!

 2003年3月30日(徳之島での反戦集会に参加して)

                    木村 朗(鹿児島大学、平和学専攻)

                        

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )