木村朗国際関係論研究室
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Last Update :04/04/21

 

 

 

No.52

 

TITLE:「イラク人質事件を巡る『自己責任論』の欺瞞性を問う−いまこそ、自衛隊撤退と占領終了の実現を!−」 DATE:04.22. 2004

     

  イラクで武装抵抗グループに拘束されていた日本人5人全員(最初の3人ばかりでなく、あとの2人も)が無事に解放にされたことを素直に喜びたい。しかし、この間の政府・マスコミの対応は首をひねりたくような愚劣・不適切なものであり、それが一層強められる形で今日まで続いているだけに怒りをおさえることができない。

 

まず政府は、最初のケースで相手側から与えられた3日間の猶予を待つことなく即時に「自衛隊を撤退させる理由も意志もない」・「テロや脅しに屈することはしない」と表明した。武装抵抗グループとの一切のパイプ・交渉を持たない段階で自衛隊の撤退を直ちに拒否したのは、それをきっかけに人質が見せしめとして殺害される可能性があっただけに、きわめて拙速でかつ重大な判断の誤りであったと言わねばならない。また、そうした政府の対応に驚愕した人質の家族があまりの不安と焦りから必死の思いで「自衛隊の(一時)撤退」を国民に直接訴えると、政府側は自己責任の原則を唐突に持ち出してあからさまにその家族と人質本人たちを非難した。今回人質となった人々の状況認識や危機管理のあり方にたとえ甘さがあったにせよ、人質本人たちやその家族が自衛隊派遣自体に反対の意向を持っていることや自衛隊撤退拒否という政府の政策判断に異議を唱えたことを理由に、邦人保護が政府の当然の責務であることを放棄するかのような対応(まさしく、「いじめ」・「「嫌がらせ」の類である!)をすることはあってはならない。また、マスコミも、こうした政府の姿勢を何ら批判することなく、人質となった被害者やその家族に対して誹謗・中傷を行う世間一般の悪しき風潮を助長した。人質事件の一応の解決後も、このような見方・風潮が日本社会全体に広がって異論・反論を許さないような空気を生み出している。人質の家族が記者会見のたびに頭を下げて「謝罪の言葉」を口に出さなければならないような情景はきわめて異様としか言いようがない。テレビを見ていて暗澹たる気持ちにさせられたのは自分だけではないのではないか。とくに、海外渡航の禁止を法制化しようという動きは、憲法が保障する個人の「移動の自由」を国家が一方的に制限しようとするとんでもないものであった(もちろん、こうした動きは、20億円の救出費用!?の分担を求めようとする動きとともに行き過ぎとしてその後しだいにおさまってはいるのであるが…)。それは、まさに現在の日本が排外主義的ナショナリズムと自己中心主義、国家主義的潮流と集団同調圧力に覆われて危険な翼賛状況・体制となっていることを示す象徴的な出来事と言えよう。  

 

こうした日本政府の対応は責任転嫁そのものであり、小泉首相が人質家族との面会申し入れを拒否したことに示されているように、非常に冷淡かつ無責任である。また、「米国追従」・「ブッシュの忠犬コイズミ」とどんなに言われようとも米国による大義なき侵略戦争を一貫して支持し、米軍主導の占領軍への支援を第一目的とした自衛隊派遣(航空自衛隊はクウェートからイラクへの米兵、武器・弾薬への輸送をすでに行っている!)を圧倒的多数の国民の反対を無視して行った自らの責任を隠蔽するものである。一部で指摘されているように、政府・与党関係者による意図的な情報リーク・操作によって武装抵抗グループと人質被害者による「自作自演説」が流布されたとすれば由々しきことである。また、日本のマスコミとそれに流される世間の姿勢は、事の軽重、問題の本質を根本的に見誤ったものと言わざるをえない。イラクの人々にとっていま本当に必要な「人道支援」(自衛隊が行う形だけの欺瞞的なものとは対照的である!)を身体を張って行おうとするのは勇気ある人道的な 、きわめて人間的な行為であり、賞賛されることはあっても非難されるような筋合いのものでは決してないことは明らかだ。そして、イラクでの占領統治の現実、すなわちイラクの多くの無辜の人々(その多くは子どもたちである!)が毎日のように殺されている戦場の真相を世界の人々に伝えようとするジャーナリストの使命も何人にも否定できないものである。民主主義とは、何よりも「権力の抑制」と「少数者の尊重」であることをここであらためて確認したい。

 

幸運にも人質の無事解放につながったのは、米国以外に太いパイプをさほど持たない日本政府の対応のおかげなどでは決して無い。それどころか、政府・与党関係者の深い配慮を欠いた対応(たとえば、小泉首相の「テロリスト」発言や川口外相の敵意丸出しの態度)が相手側の反発を買って解放を長引かせた一因となった可能性があるだけに、政府・与党関係者による「自画自賛」(とくに、安倍幹事長が人質が解放されてもいない段階で行った「自衛隊の撤退拒否という毅然とした政府の対応が人質解放をもたらした」との発言)にはただあきれるばかりである。また、今回の事件をめぐる日本政府の動きで気になったのは、米軍特殊部隊による人質救出作戦についての相談を米国政府との水面下での交渉で密かに行っていたふしがあることである。人質事件が解決されずにまだ続いている最中に行われた、来日したチェイニー米副大統領と小泉首相との会談でもこのことが話されたと言われているだけにこのことは見過ごすことができない。なぜなら、米軍特殊部隊による人質救出作戦が強行された場合、武装抵抗グループだけでなく人質たちからも犠牲が出た可能性もある危険な賭・選択であったからである。

 

イラクで現在起きているのは、イラクを「支配」するためにやって来た米軍とその同盟軍に対する激しい怒りを共有するスンニー派とシーア派、強硬派と穏健派といった垣根を越えた全国民的な蜂起、抵抗・解放運動(「レジスタンス」)であり、米国のいう「単なるテロ」などでは決してない。イラクの泥沼の現状は、「第二のヴェトナム」というよりも、むしろ「イラクのパレスチナ化」であると同時に「アメリカのイスラエル化」と言うのが事態の本質をより言い表わしていると思われる。イスラエルがアメリカの直接・間接の支持・協力を得てパレスチナ側の指導者暗殺を次々に行っている 、いまのパレスチナをめぐる構図は、まさにそのことの裏返しである。イラク開戦前から米国はイスラエルに軍事調査団を派遣して抵抗運動の封じ込め政策・弾圧方法の習得に努めたばかりでなく、またイラクにおいても少なからぬイスラエル軍事顧問団が占領軍に対して「適切な指導」を行っているのは、それを象徴している。

 

日本人人質全員の無事解放という今回の結果をもたらしたのは、人質となった被害者家族の懸命な訴えはいうまでもなく、日本のNGO関係者を中心とした市民の世界的ネットワーク、アルジャジーラなどの中東の放送局・メディア、イラクの聖職者を含む心ある人々の献身的な努力であったというのが事の真相である。今回の事件では、NGO関係者の活動によって「外交は国家の専管事項ではない」という新しい現実が浮かび上がったばかりでなく、欧米諸国にこれまで独占・支配されていた観のある国際情報秩序がインターネットの世界的普及やアルジャジーラなどの中東の放送局・メディアの台頭・健闘によって風穴が開けられつつあること、解放に尽力されたイスラム教聖職者の方々をはじめとするイラクの人々(武装抵抗グループを含む!)の人道的対応ぶりと日本および日本人に対する親愛の情の深さ(ヒロシマ・ナガサキの惨禍への理解と困難な占領・復興体験への共感−単に日本によるODA援助の 影響というよりは、日本のNGOによる人道援助活動の影響 が大きいのでは!?)などが明らかになったことは大きな収穫である。

 

今回の事件に関連して本来的に問われなければならないのは、そもそもの原因である米国の大義なきイラク戦争と不当な占領統治であり、イラクのファルージャやナジャフ(あるいはパレスチナ)ですでに行われた、またこれから行われようとしている大虐殺・大量殺戮であろう。国際社会は、イラクのファルージャやナジャフ(あるいはパレスチナ)で行われつつある虐殺を直ちに中止させるとともに、米国中心の占領統治の全面的終了とそれに代わる国連主導の復興統治を実現させなければならない。米軍を中核とする占領軍の速やかな撤退と国連による治安維持のための限定的な平和維持部隊の派遣がそれにともなって求められることは言うまでもない。

 

きわめて残念ながら日本政府の基本的な認識と具体的対応は、こうした考え方とはまったく逆行するものである。サマワでは自衛隊駐屯地域に対して迫撃砲攻撃や自衛隊駐留反対デモが行われるなど、駐屯地以外での「人道支援活動」をまともに行う条件・環境が失われつつあるにもかかわらず(いまのイラクに「非戦闘地域」など存在しない!)、さらに警備体制を強化して追加部隊の派遣を行おうとしている。また、政府は今回の人質事件で警視庁所属の「国際テロ緊急展開チーム」を現地に派遣して情報収集などにあたらせたばかりでなく、将来における人質事件の再発に備えて人質救出を任務をする特殊部隊を自衛隊の中に創設しようとする動きさえあらわれている(すでに今年3月末に設置されたとの情報もある!)。これは、人質事件に世間の関心・耳目が集まる中で、有事関連法案の審議が密かに着実に行なわれていることとも考え合わせると、日本がさらに「戦争国家」・「警察(監視)国家」へ傾斜していく契機になりかねない危険なものであると言わねばならない。しかし、日本がいま行わなければならないのは、自衛隊による米軍支援という形で不当な占領統治に加担・協力することではない。イラクの人々がいま最も切実に求めていることは何かを相手の立場になって考えれば、日本がなすべきことは自ずから見えてくるであろう。劣化ウラン弾の実態調査と被害者救済が、ヒバク(被爆・被曝)治療の経験がある日本にできる最重要な貢献であることは言うまでもない。日本および日本人に対して親愛の情を持っていてくれたイラクおよび中東の人々の信頼を取り戻すのはいまからでも決して遅くはない。米国との「有志連合」の中から、スペインシンガポールに続いて、ホンジュラス、ドミニカ、タイ、ノルウェーなど撤退の動きが表面化しそれに拍車がかかっているいまこそがそのチャンスである。これまでのところ(まったくの幸運でしかないが)自衛隊と現地のイラクの人々との間で直接の衝突による流血の惨事という最悪の事態をかろうじて避けられているいまのうちにこそ、自衛隊の即時撤退という勇気ある決断をするときである。

2004年4月22日              

                      木村 朗 

 

       この原稿の一部(下記を参照)を「まちづくり県民会議ニュース」に寄稿しています。

     「イラク人質事件をめぐる自己責任論の欺瞞性を問う」

イラクでの日本人人質事件の一応の解決を素直に喜びたい。しかし、この間の政府・マスコミの対応は首をひねるばかりで、怒りをおさえることができない。

まず政府は3日間の猶予を待つことなく即時に表明した、自衛隊の撤退拒否は、拙速でかつ重大な判断の誤りであった。また、人質の家族が「自衛隊の(一時)撤退」を国民に直接訴えると、自己責任を強調してその家族と人質たちを非難した。また、マスコミも、こうした政府の姿勢を批判することなく、人質家族へ誹謗中傷を行う世間一般の悪しき風潮を助長した。このような政府の対応は、大義なき侵略戦争を支持し、米軍が主導する占領軍支援を第一目的とした自衛隊派遣を行った自らの責任を隠蔽するものである。また、マスコミとそれに流される世間の姿勢は事の軽重、問題の所在を見誤ったものと言わざるを得ない。民主主義とは、何よりも「権力の抑制」と「少数者の尊重」にあることをあらためて確認したい。

2004年4月19日              

      木村 朗 (「みんなで平和をつくる会」メンバ−)

                                          
 

                        

 

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )