木村朗国際関係論・平和学研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :05/06/11

 

 

No.54

 

 

TITLE:「NPT体制の危機克服に向けて我々に何ができるか」

 

DATE:06.11. 2005

 

     

 NPT(核拡散防止条約)体制の形骸化が叫ばれて久しい。その主たる原因は、第6条の核軍縮の義務に一向に真摯に向き合おうとしない、核保有五大国(とりわけ米国)の姿勢にあることは言うまでもない。さらに、ブッシュ政権の登場とその新しい攻撃的な核戦略の採用によって、今日、NPT体制は崩壊の危機にあるといえよう。そこで、この危機的な状況下において、我々は(「加盟各国」はではなく、世界各国の一人ひとりの「市民」がという意味)何が出来るのか、何をしなければならないのか、をここで考えてみたい。

今年は、原爆投下・第二世界大戦終結60周年であり、原爆投下の是非や戦争と秩序のあり方があらためて問われている。その際、原爆投下が軍事的に必要でなく、政治的に有害であったことは自明であり、何よりも、道徳的には絶対的な過ちであったばかりでなく、法的にも明らかな戦争犯罪であったことをまず確認する必要がある。そして、この「原爆投下(核兵器使用)の犯罪性と違法性」を前提にして、NPT問題を根本的に問うことが重要である。

NPT体制は、単に核不拡散、すなわち核非保有国への核の拡散防止を加盟国に強制することを目的としたものではない。むしろそれは、核保有国の核軍縮義務を明記することで核兵器廃絶の実現、核のない世界への展望を論理的必然性あるいは潜在的可能性として含むものであることが強調されなければならない。この「核不拡散の禁止・防止」と「核軍縮の義務的推進」は表裏一体の関係ではあるが、NPT体制の存続にとって決定的な鍵を握っているのが後者であることは確かである。なぜなら、核非保有国は、核保有国の核軍縮義務の誠実な履行を前提条件にして、この不平等な条約を受け入れたのであり、もしそれが履行されなければ、このNPT体制を存続させる意味の大半は無くなるからである。NPT体制の崩壊は、直ちに核拡散のなし崩し的拡大という無秩序・混乱をもたらすものではなく、それが必ずしも「最悪のシナリオ」であるというわけでもない。なぜなら、NPT体制を離脱した核非保有国だけで、新たに「核兵器禁止条約」体制を構築し、核保有国に対して、より有効な形で、核非保有国に対する先制使用の禁止や核兵器廃絶の履行を迫るという選択も可能だからである。ここで注意すべきは、NPT体制を離脱した核非保有国のほとんどは、自ら核武装への道を選択しようとするわけではなく、むしろ逆で、これまで以上に積極的に核拡散ばかりでなく、核廃絶に向けた取り組み・努力を行うであろうと予想されることある。新アジェンダ連合諸国や非同盟諸国のこれまでの活動・主張の軌跡を見れば、そのことは一目瞭然であろう。

問題は、以上のような認識・立場を前提にして、核兵器保有国に何を迫るか、ということである。この点で最も重要な視点は、「問題なのは核兵器の数ではなく、それを使用とするドクトリン(教義)であり、政策である」(英国・レベッカ・ジョンソン氏)。核抑止論の克服(あるいは、それと裏腹の原爆投下の完全否定)は、このような視点に立ってこそ初めて可能となるのである。また、具体的な方策としては、1.非核保有国に対する核保有国による核の先制使用の放棄、2.(中央アジア5カ国の最近の合意にみられるような)非核地帯設置の拡大、3.核保有国相互間における核先制使用の放棄、4.核実験の全面的・即時禁止、5.核兵器の新たな開発・生産の即時禁止、6.核兵器の使用の全面的禁止。7.時期を明確にした形での核兵器の段階的廃棄、という手順で、核兵器廃絶に向かって着実に努力することである。

NPT体制をめぐる問題を考える際に、もう一つの重要な視点は、「核兵器(・戦争)と通常兵器(・戦争)の有機的関連」であろう。これまで、核問題は特別視され、「核兵器(・戦争)」と「通常兵器(・戦争)」という二つの問題は、区別されることはあっても、その関連が問われることはほとんどなかった。ここに実は、大きな「落とし穴」があったといえよう。なぜなら、日本への原爆投下(核戦争の開始)は、アジア・太平洋戦争(通常戦争)の末期に行われたのであり、その後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争においても、通常戦争の延長上に核兵器の使用が検討されたというのが現実だからである。換言すれば、実際には、核戦争と通常戦争とは常に重なる形で行われてきたし、今後もそうなる可能性が最も高いという事実である。また、湾岸戦争以来、非常に残虐でかつ巨大な破壊力をもつ非人道的な新兵器が米国などによって使用されてきたこと、特に新型兵器のなかには劣化ウラン弾のような放射能兵器も含まれており、「核兵器(・戦争)と通常兵器(・戦争)の区別」がますます曖昧かつ困難になっているのが現状である。

 そこで、我々は、以上のような現状を正しく認識した上で、「原爆投下(核兵器使用)の犯罪性と違法性」という問題に再び立ち戻る必要がある。それは、最近の「新しい戦争」で頻繁に使用されるようになっている新型兵器は、その破壊力や残虐性から見ても、道徳的にも法的にも到底正当化できない性格のものである。そして、こうした新型兵器の使用禁止と核兵器廃絶の実現とは、明らかに密接な関連があるということである。特に、「非戦闘員と戦闘員の区別」という人道的原則に、真っ向から対立する、新型兵器の使用による、無差別爆撃と大量殺戮が、今日、「正義」や「人道」の名の下に頻繁に行われているという深刻な現実を直視する必要がある。その意味で、こうした蛮行を止めさせるための具体的な努力、例えば、アフガン戦争・イラク戦争等に対する世界的規模での市民による国際戦争犯罪法廷の動きや無防備都市宣言運動の拡がりは、原爆投下の犯罪性・違法性を問う新たな試み(ここ広島での「原爆裁判」の開催など)や核廃絶を求める原水爆禁止運動の取り組みなどと密接かつ有機的な関連があるといえよう。

 そのことを十分に自覚・認識したうえで、5月のニューヨークでのNPT再検討会議に臨むべきであるというのが、私の主張・結論である。日本政府による「核の傘」を容認した上での「核軍縮」の主張は、日米安保という軍事同盟を是認した上での平和憲法・非武装の主張と同じく、世界や国際社会に対して十分な説得力を持ち得ないものであり、その欺瞞的ともいうべき曖昧な立場・発想からの根本的転換が今日求められていると言えよう。

 最後に、最近亡くなられた、大庭里美さん(アボリッション2000国際評議員)と栗原貞子さん(原爆詩人)のお二人に、心からのご冥福を祈りたい。

2005年3月10日               

               木村 朗(鹿児島大学・平和学)

※本稿は、『報告書 NPT体制の再検討−広島・長崎からの提言』(広島市立大学・広島平和研究所発行、2005年3月)に掲載されています。

 

 

※ これまで私の個人的都合からあまり更新がなされなかったことをお詫びします。今後はなるべく間をおかずにアップしていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

                          木村 朗 

                        

 

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