木村朗国際関係論・平和学研究室
コラム・バックナンバー

Last Update :05/06/11

 

 

No.56

 

 

TITLE:

「21世紀における平和教育の新たな課題に向けて」

 

DATE:31.12. 2005

 

     

 2005年10月末に米軍再編の「中間報告」と自民党「新憲法」草案が相次いで出された。両者は密接な関係を持っており、その主な狙いが、海外での日米共同の軍事作戦を可能にすることにあることは明らかだ。米軍の世界的再編は従来の前方展開戦略と新しい先制攻撃戦略が結びついた形で進められており、キャンプ座間や横田基地への日米司令部機能の集中に象徴される在日米軍と自衛隊の一体化は、「日本全土の沖縄化」を進め、集団的自衛権の行使を合法とするための憲法改悪を先取りしたものであり、日本を「戦争のできる国」(=「小さなアメリカ」・「第二のイギリス」)にするものであることに他ならない。

 先の総選挙(きわめて非民主的な「小選挙区制」のトリックとマスコミを巧みに利用した「劇場型選挙」で自民党の「圧勝」が演出された!)でも敢えて民意を問わず、また議会での十分な審議を全く欠いた形で行われた今回の日米両政府による一方的な決定は、議会制民主主義が危機に瀕していることを示している。戦後一貫して「日本(本土)と米国の二重の植民地状態」に置かれ続けてきた沖縄をはじめ、新たな基地負担を強いられる全国各地の地元自治体や地域住民の意向を無視した、こうした頭ごなしの決定が到底受け入れ難いのは当然である。また、過去の戦争に対する反省・謝罪と不戦の誓いの上に出来た平和憲法の全面的改悪は、アジア諸国に対する大きな背信行為となるばかりでなく、世界の非武装化という人類共通の理想の実現に向けた先駆的な役割を自ら投げ捨てることを意味している。

 このように現在の状況は、戦後民主主義が新しいファシズム・軍国主義の台頭によって最大の危機に立たされているばかりでなく、権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によって拝外主義的ナショナリズムが煽られ、その結果、異論を許さないような集団同調主義が急速に強まり危険な翼賛体制が出現しつつあるといっても過言ではない。このことは、「テロ」の定義が、本来の意味での「国家テロ」、すなわち「恐怖を利用した国家による強権的支配・統治」でなく、「ある特定の政治目的のために非合法勢力によって行われる無差別的な暴力行為」という米国流の定義に歪曲化されつつある現状を見ればよく分かるであろう。

 21世紀の日本と世界のあり方を決定する重要な選択、すなわち平和か戦争かという決定的な岐路にまさに直面しているといえよう。いま私たちが反対の声を上げなければ、こうした状況がさらに悪化することは目に見えている。かってと同じ過ちを再び繰り返さないためにも、まだ言論の自由が保障されているいまだからこそ、一人ひとりが悔いのない選択・行動をする必要があるのではないだろうか。

また、このようなときに、平和学・平和教育の存在意義そのものも問われていることは間違いがないだろう。九州平和教育研究協議会が発足して20周年になる今日、新たな決意で平和教育の課題に真剣に取り組んでいきたいと強く思う。

2005年12月30日

          木村 朗(鹿児島大学教員、平和学専攻)

※ この原稿は『九平研通信 NO.76』への寄稿です。                                   

 

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