木村朗国際関係論研究室
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Last Update :15:42 97/09/09

明石氏辞任とボスニア紛争の転機

−大国の介入と国連PKOの危機−

 

 昨年一一月にクロアチアのザグレブにある国連保護軍本部で明石康氏と直接会って話を聞く機会に恵まれた。旧陸軍官舎の屋根裏部屋を改造した執務室で、初対面にもかかわらず旧ユ−ゴ問題について率直に語ってくれた明石氏の温かい人柄と強靭な意思がうかがえる表情が今も強く印象に残っている。その明石氏が旧ユ−ゴ問題担当国連事務総長特別代表を辞任することになった。NATO軍によるセルビア人勢力への大規模空爆の実施と米国主導の和平交渉の進展という形でボスニア紛争にまさに大きな転機が訪れようとしている時に、これまで約一年一〇カ月、旧ユ−ゴPKOの最高責任者として和平実現に心血を注いできた紛争調停の主役から去らねばならない明石氏の無念さをひしひしと感じるのは私ばかりではないだろう。この決定の背景には国連にかわって主導権を握ろうとする米国の圧力があったとも囁かれているが、任期終了直前の突然ともいえる「明石辞任」の意味するものは一体何であろうか。

 国連活動の中立性と武力不行使を重視する明石氏の一貫した姿勢に対しては、これまでも「セルビア人勢力悪玉説」をとる米国や紛争当事者であるイスラム教徒主導のボスニア政府などから「セルビア人勢力寄り」・「腰抜け」といった露骨な批判がたびたびなされてきた。今回の辞任表明に際しても、米国・ボスニア両政府などは歓迎の姿勢を隠しておらず、「これで国連とNATO、米国との関係が良好となる」(オルブライト米国連大使)のようにまるで明石氏を「邪魔者扱い」するかのような発言もみられる。また、武力に頼らないであくまでも紛争の平和的解決をはかる国連の活動様式はボスニア紛争のような力と力が直接衝突するケ−スでは無力であり逆に紛争解決を長引かせるものだ、と「国連の限界」を強調する論調が目立っている。しかし、国連活動の中立性と武力不行使の原則は、明石氏の個人的信念であると同時に、「紛争当事者の合意」や「国連指揮権の保障」などと並んで国連の伝統的PKOの基本的柱をなすものである。したがって、これらの原則自体の限界を指摘する一方で大国の力による外交の成果を無条件に受け入れるこうした見方には実は重大な問題点があるといわざるをえない。

 国連PKOの象徴的存在であった明石氏の今回の辞任に関連して、カンボジアPKOでの「成功」と比較する形で旧ユ−ゴPKOの「失敗」が早くも取り沙汰されている。が、果たしてそう単純に評価できるのであろうか。たしかに明石氏自身もボスニア紛争の調停が「不調」に終わったことを認めているが、注目すべきは、その原因として挙げられた、紛争当事者の平和への意志の欠如と国際社会の結集の不十分さ、の具体的内容をどう考えるかであろう。カンボジアと旧ユ−ゴという二つの国連PKOの決定的相違は、紛争当事者の停戦合意およびPKOの受け入れ同意と大国間の協調がまがりなりにもあったカンボジアに対して、旧ユ−ゴ(とくにボスニア)ではPKO派遣の前提となる紛争当事者の合意がない上に諸大国がそれぞれの政治的思惑から「介入」を行なったところにある。旧ユ−ゴ(およびボスニア)紛争で重要なのは、紛争のの基本的性格を「内戦」ととらえるか否か、また、国連の役割を「紛争の調停者」に求めるか否か、という二つの問題に対する国際社会の対応のズレである。旧ユ−ゴ紛争の場合、欧米では当初から「セルビア人勢力(およびその後ろ盾である新ユ−ゴ)が侵略者・加害者である」との見方が根強く、ドイツによる一方的国家承認や米国単独の海上監視解除にみられる国際社会の足並みの乱れや空爆実施をめぐる国連(明石氏)とNATO(米国)との軋轢を生んできた。旧ユ−ゴ(とくにボスニア)紛争がここまで長期化した最大の理由は、内戦初期に軍事的劣勢から喪失した領土の回復に燃える反セルビア人勢力に一部の大国が武器密輸・資金援助などさまざまな形で肩入れをしてきたことにある。また、明石氏が指摘しているように、国連が「紛争の調停者」に撤したからこそ人道的援助活動に活路が開かれ三百万以上の人々の貴重な命を救うことができたのである。

 旧ユ−ゴでの国連PKOの経験からいえることは、国連が調停者であることをやめ特定の勢力を敵視し大国の力による外交に依存して封じ込めるという選択は、国連が紛争の当事者となることを意味しており、国連の大国支配を強めるばかりか永続的な平和をかえって危うくするものである、という苦い教訓であろう。この点で、空爆実施権限の軍事部門司令官への委譲と新ポスト問題でのPKO局長から特別顧問への格下げという「二重の明石はずし」(オルブライト国連大使の主張によると伝えられる)は、国連内部の問題の粋を越えて、国連の指揮権自体を揺るがせる深刻な問題を提起しているといえよう。

 明石氏が指摘するように、旧ユ−ゴPKOは、マケドニアでの「予防外交」など注目すべき活動が含まれたまさに「壮大な実験」であり、日本と国連との関わりにとっても多くの問題を提起しているといえよう。今回の停戦が早期の本格的和平実現に結びつくことを切に願うとともに、国連PKOの象徴的存在でもある明石氏が今後とも国連改革問題などで活躍されることを心から期待したいと思う。

 

木村 朗(鹿児島大学法文学部助教授)

※幻(!?)の投稿文(1994年9月某日)


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