木村朗国際関係論研究室
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Last Update :01:35 99/01/18

 

民族問題を考える

最近、「民族問題」という言葉を耳にする機会が多くなってきました。この問題は、おおざっぱに言えば、旧ソ連・東欧地域での領土・国境をめぐる民族対立に代表される「旧(ふる)い民族問題」と、ドイツにおける難民襲撃事件に象徴される人の自由移動が引き起こす「新しい民族問題」の二つに分けることができます。ここでは、「旧い民族問題」の一つである旧ユーゴでの民族紛争を取り上げ、この問題にアプローチする際の重要なポイントを二、三考えてみたいと思います。

まず最初に指摘しておきたい点は、旧ユーゴ紛争はその背景・原因がかなり複雑であり、大セルビア主義を掲げて「民族浄化」を行っているセルビア人勢力(とくにミロシェヴィッチ・セルビア大統領)に全(すべ)ての責任がある、といった一般的な見方は必ずしも事態の全容を正しくとらえたものではない、ということです。ボスニア中部を中心にムスリム人(イスラム教徒)とクロアチア人との間で激しい衝突が発生し、双方の間で血なまぐさい「民族浄化」が行われているという最近の状況を見れば、そのことは明白であると思われます。重要なのは、大セルビア主義を生じさせた原因は何かという視点であり、この点では、クロアチアなどで逆に少数民族となるセルビア人に対する「同化」「排除」の動きなどをもっと重視する必要があるということです。

第二点は、旧ユーゴ紛争への国際社会(ECや国連など)のこれまでの対応は適切なものであったか、という問題です。この点に関しては、私はかなり否定的で、そもそも最初の対応から問題の多いものであったと考えています。具体的には、ECやアメリカが当初の「ユーゴ統一」支持の立場を途中で放棄してクロアチア、スロヴェニアなどの独立の早期承認に動き、内戦に拍車をかける結果を招いたことです。とくに、国家的統一の条件を欠いたまま、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの即時独立承認を行ったことは、それを契機に今日まで続く泥沼の内戦が始まっただけに大きな誤りがあったといえるでしょう。また、その後の新ユーゴへの一方的経済制裁や武力行使を許容する最近の動き(ソマリアに続く国連の「平和執行部隊」)も、それが「セルビア人悪者論」を前提とし周辺諸国からの武器援助や義勇兵派遣を事実上黙認するなかで行われているだけに無条件に支持することはできません。ここでの重要ポイントは、「民族自決権」を楯(たて)にした「力による独立」の動きにいかに対処するかであり、また力による紛争の強制的封じ込めは問題の根本的解決とはならないということです。

冷戦終結後の世界各地ではさまざまなタイプの民族問題が起きており、私たちもカンボジアPKOへの自衛隊派遣や国内の外国人労働者の問題など、身近な所からその解答を求められていることは確かなようです。

 

木村 (鹿児島大学法文学部)『朝日新聞』(1993729日付け)


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