木村朗国際関係論研究室
文書BOX

Last Update :01:35 99/01/18

沖縄問題と安保「再定義」のギャップ

ー普天間「返還」と本土の「沖縄化」ー

 昨年九月の米兵による沖縄の少女強姦事件は、在日米軍の七五%の集中という過重な負担を長年にわたって一方的に強いられてきた沖縄の人々の強い憤りを生んだ。大田知事をはじめ八万五千人が参加した翌一〇月の沖縄「県民総決起集会」は、度重なる米兵・米軍の犯罪・事故や騒音被害への怒りと恐れを背景に、「基地のない沖縄」を求める沖縄の島ぐるみの運動・闘争と全国からの支援活動のエネルギーの大きさを示すものであった。このような「沖縄の声」の高まりに、日米両政府はどう対応してきたのか。少女暴行事件をめぐっては、米側の迅速な対応と日本側の硬直した姿勢が対照的であった。だが、両者に共通していたのは、「沖縄の声」に真剣に耳を傾けるのではなく、沖縄問題を安保存続の危機あるいは安保強化の障害としてとらえ、その観点から沖縄の県民感情の早期沈静化をはかるというものであった。日米首脳会談前後に出された、沖縄基地「縮小」計画や日米安保共同宣言には、そうした観点・考え方が貫かれている。

 まず沖縄の米軍基地問題では、普天間「全面返還」を含む在沖米軍基地の二〇%返還(日米特別行動委員会の「中間報告」)は、確かに、日米首脳が「政治のイニシアティヴ」を自画自賛するように、「一定の成果・前進」であるともいえよう。しかし実際には、米軍の有事即応能力維持のための基地機能の県内外への移転=「基地ころがし」が条件となっており、兵力削減を伴う基地縮小・撤去を求める「沖縄の声」に応えるにはほど遠い内容であった。すなわちそれは、基地機能の移転先が嘉手納など県内中心となっているばかりでなく、基地強化を迫られる岩国や日出生台など県外の移転先予定地との関係も含めて、新たな負担と苦痛を沖縄に強いるものに他ならない。現時点で、心ならずも「基地負担の公平化」を言わざるを得ない大田知事の苦悩する姿が、それを物語っている。

 また、日米安保共同宣言は、米国の東アジア戦略報告(九五年二月)、日本の新防衛大綱(同年一一月)に続く、日米安保「再定義」作業の総仕上げであった。この「再定義」によって、日本は米国の二一世紀のアジア太平洋戦略(抑止力重視、北朝鮮・中国の「封じ込め」)に自動的に組み込まれることになった。国民の預かり知らぬところで、日米安保条約の実質的な改訂がなされたといえよう。その特徴は、第一に、安保体制の「広域化」である。これは、条約の適用範囲を従来の「極東」から「周辺地域」を含む「アジア太平洋」(実質的には世界全体)にまで拡大させることを意味している。第二の特徴は、「有事」に対する日米防衛協力の強化である。安保の目的・重点が、明らかに五条「日本防衛」から六条「極東有事」に移行したことを示している。以上の点を、物品役務相互協定の締結や日米防衛協力の指針見直し、国内における保保連合の動き等を含めてみれば、今回の安保「再定義」の真の狙いが、集団的自衛権の事実上の容認と有事立法の実現にあることが浮かび上がってくるであろう。

 さらに、この安保「再定義」を沖縄問題との関連で考えれば、日米両政府(とくにアメリカ)は、基地負担の「本土並み」を願う沖縄を取引材料にして、逆に、本土の「沖縄化」という「安保強化」を一挙に実現させたともいえよう。なぜならば、普天間「返還」の代替措置の一環として、「有事」における米軍による日本全国の自衛隊基地ばかりでなく、民間の空港・港湾施設の自由使用への道が開かれることになったからである。今必要なことは、日米安保体制を強化することではなく、抑止力重視の冷戦型思考や二国間軍事同盟から転換して、対話と信頼醸成を重んじる多国間の新しい協調的安全保障体制をアジアに構築するための努力であろう。その中で、沖縄問題の真の解決と安保解消も見えてくるはずである。

 

木村 朗(鹿児島大学法文学部・国際関係論)

『南日本新聞』(1996年5月6日付)


インデックス木村朗国際関係論研究室平和問題ゼミナール

CopyRight(C)1997-1999, Akira Kimura. All rights reserved.
Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )