木村朗国際関係論研究室
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Last Update :01:35 99/01/18

国際関係と平和を考える

木村 朗(国際関係論担当)

 

T 国際関係論とは何か−−平和研究との関連で−−

国際関係論(学)と通常呼ばれる学問は、@国際政治学(史)の延長、A国際政治学、国際法(国際機構論)、国際経済学を三本柱とし政治地理学、人口学、外交史、社会学、心理学、自然科学等々の諸分野を包摂する総合科学、Bある特定の地域を理論的歴史的(あるいはテ−マ別)に分析・検討する地域研究、C戦争の諸原因と平和の諸条件を探る平和研究(平和論・学)の一環、等々とみなすさまざまな立場がある。こうした状況は、国際関係論という学問領域に固有の対象や方法が存在するか否かについて今日必ずしも見解が一致していないことを示している。(国際関係論一般については、百瀬宏『国際関係学』東大出版会、または斎藤孝編『国際関係論入門』有斐閣を参照)。

次に、国際関係論の成立・発展のプロセスをみてみよう。研究・教育の一分野としての国際関係論は、人類初の総力戦であった第一次世界大戦後に主に米英で誕生した。その背景として、民衆のなかでこれまで国家に独占されてきた「外交」に対する関心と「平和」に対する切実な要求が急速に高まっていたことがあげられる。E・H・カ−の言葉をかりれば、「戦争を防止しようとする熱情的な欲求が、この研究の最初の進路と方向を決定した」ということになろう(邦訳『危機の二十年』岩波書店)。当時の国際関係論は、新しい国際平和秩序の構築を国際機構の改革・強化によって実現することに関心を注いでいた。しかし、その考え方はかなり楽天的かつユ−トピア的であり、制度論と法律論に偏りがちであったという特徴・限界をもっていた。

その後、第一次大戦後の平和と安定は29年の世界恐慌を契機に崩れ、30年代に入るとファシズム勢力が急速に台頭して世界全体は戦争前夜の様相を呈する。このような国際的危機が到来する中で、国際関係(国際政治)を支配するのは力である、という主張が強まり、国際関係論においてもそれまでのユ−トピアニズムが現実主義に取ってかわられることとなった。国際関係の現実を「権力政治」と「国益」の概念で説明するこうした考え方は、第二次大戦後に冷戦が発生・拡大する中で米国を中心にその後長期間にわたって国際関係論の主流となった。その代表的論者であるH・J・モ−ゲンソウ−は、「国際関係論の核心は国際政治論であって、国際政治論の主題は主権国家間の力のための闘争である」(邦訳『国際政治−権力と平和』福村出版)という権力理論による「政治的現実主義」を体系化した。この考え方は、その後、行動科学的手法の導入や総合科学・地域研究の発展ともつながって今日の国際関係論の基本的潮流となっている。

以上のように、国際関係論研究は誕生以来いまだその歴史は浅いが、その出発点が第一次世界大戦の悲惨な体験であったことが示しているように、「国際関係論は本来的に平和の維持や実現をめざすもの」(高田和夫『現代世界と平和』法律文化社)であるといえよう。この点で注目されるのは、近年になって活発化している「平和研究」の動きである。平和研究は第二次大戦後の冷戦期に主流となった政治的現実主義を批判して、東西緊張緩和のイニシアティヴを追求することから出発した。それは現実の国際政治に対する切迫した問題意識と社会科学が平和の実現に貢献しうるという期待に基づいて生まれた、戦争の諸原因と平和の諸条件を科学的に研究しようとする新たな活動分野である。平和研究のこれまでの歩みをふりかえってみると、「消極的平和=直接的暴力である(核)戦争がない状態」の達成から「積極的平和=構造的(あるいは間接的)暴力である貧困や社会的不平等・差別などが解消された状態」の実現へとその対象・目的を拡大・強化してきたといえる(J・ガルトゥング著・邦訳『構造的暴力と平和』中央大学出版部/1985年、および坂本義和編『暴力と平和』朝日新聞社/1982年を参照)。

また平和研究は、本来「平和」という価値の実現を志向するものできわめて実践性が強く、国際社会はいかにあるべきか、についての構想力がつねに求めれているといえる。しかし、平和研究はまだ萌芽的段階で方法論や研究体制が未確立など課題は多いが、本来平和を求める学問として出発した国際関係論に新たな光を投げかけていることは確かであろう(平和研究一般については、松尾雅嗣『平和研究入門』広島平和文化センタ−、また山田浩編『新訂 平和学講義』を参照)。

 

U 現代世界の現状と課題−−問題意識を養うために−−

現在、国際関係は構造と力学の両側面で大きな変容過程にあるといわれている。すなわち、戦後世界の基本的枠組みであった米ソ二極を中心とする冷戦構造が崩壊し、「統合(=求心力)」(経済のボ−ダ−レス化を背景とする相互依存の深化と国際統合の進展)と「分離(=遠心力)」(地域主義と民族主義の台頭による多民族国家の崩壊と既存の価値観・システムの動揺)という二つの相反する力がせめぎあっている。同時に、これまで冷戦構造の下で比較的おさえられていた、民族・宗教対立の激化、南北・南南問題の深刻化、環境破壊の進行、人口爆発と飢餓・貧困の拡大、大量難民の発生、人権侵害の拡大、テロ・麻薬の増大といったさまざまな矛盾が一挙に目に見える形で噴出してきている。こうした現代世界の現状と課題を体系的につかんでみたいと思う人は、例えば、『講座・国際政治』全五巻(東大出版会、1989年))あるいは『講座・世紀間の世界政治』全六巻(日本評論社、1993年)をまず手にしてみるのがいいであろう。

また国際問題に接近するもう一つの方法は、自分の今最も関心のあるテ−マを選択してそこからまず始めることであろう。今日の世界が抱えているさまざまな矛盾・課題を大きく分類すれば、以下の五つの問題群に分けることができるであろう。第一は、戦争と平和をめぐる諸問題、第二は、開発・発展をめぐる南北・南南問題、第三は、地球環境破壊と生態系危機をめぐる問題、第四は、人間疎外と人権抑圧をめぐる問題、第五は、差別・抑圧をともなう民族(人種を含む)問題、である。ここで全ての問題に詳しく触れることはできないので、現在とくに注目されている民族紛争との関連で、第一の平和問題および民族問題を取り上げて考えてみることにしたい(その他のテ−マについては、例えば、南北問題では谷口誠『南北問題−解決への道−』サイマル出版会/1993年、地球環境問題では石弘之『地球環境報告』岩波新書/1988年、人権問題では『現代世界の人権<アムネスティ−人権報告@>』明石書店/1993年などをとりあえず参照のこと)。

第二次大戦後から今日にいたるまで、世界全体で大小あわせて150以上もの武力紛争が発生し、その犠牲者は約2000万人(その犠牲者の5人中3人が民間人、とくに女性・子供・老人)にのぼるといわれる。また、現在でも、世界各地で約40の軍事紛争が行なわれており約500万の兵士が直接戦闘に従事しているという。これらの紛争(戦争)は、その多くが第三世界に地域的に集中しているばかりでなく、戦時における従来の国際的取り決め(例えば、1907年の「開戦に関する条約」や1949年の「捕虜の待遇に関するジュネ−ヴ条約」など)に基づくことなしに行なわれているのが特徴である。つまり、戦後に発生した軍事紛争の多くは、正規軍による「戦争」(主権国家相互間の組織的な武力による闘争)ではなく、政府軍対ゲリラ間の武力闘争である「内戦(あるいは内乱)」であった。また、こうした特徴は冷戦後の紛争においてより顕著となっており、内戦(内乱)の原因としても「体制・イデオロギ−の選択をめぐる政治対立」以上に「諸文化・宗教の差異から生ずる民族(あるいは人種・部族)対立」が大きな比重を占めつつあることを指摘できる(国際紛争一般については、国連大学編・武者小路公秀監訳『紛争と平和の世界的文脈1〜3』国際書院/1989年、中川原徳仁=黒柳米司編『現代の国際紛争』人間の科学社/1982年、進藤栄一『現代紛争の構造』岩波書店/1987年を参照)。

国際紛争との関連で重要なのは、現代世界における国際連合(以下、国連)の役割であろう。冷戦終了後の世界で頻発する地域・民族紛争に対処するうえで、今日最も注目されているのが国連による平和維持活動(以下、PKO)である。PKOは、1956年のスエズ動乱への国連緊急軍(UNEF)の派遣以来これまでに35件が設置されたが、そのうち22件までが88年以降に実施されたものである。現在は、世界全体で16件のPKOが、84ヵ国の約7万人が展開しているといわれる。こうしたPKOは、その質的変化により「第一、第二、第三期に分けられる」(明石康・国連旧ユ−ゴ問題担当国連事務総長特別代表)。第一期の「伝統的PKO」は、停戦合意の成立後、紛争当事者の受け入れ同意に基づいて停戦監視や軍の撤退監視を行なうものである。第二期は、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のように、紛争の終結から選挙による民主的政権の樹立に至までの包括的和平プロセスに取り組むもの。第三期は、停戦合意のない段階でも紛争地域の人道的援助活動などのため一定の強制的措置(武力行使を含む)をとる権限を伴って展開するもので、ガリ事務総長が92年に「平和強制部隊」構想として新たに提唱した。

これらのPKOのうち、第三期の試みとして注目された第二次国連ソマリア活動(UNOSOM)は、国連自体が紛争に巻き込まれ多数の犠牲者を出して挫折する結果となった。そのため、ガリ事務総長も95年1月になって平和強制部隊は現在の国連にそれを実行できる力がないことを認めるにいたった。しかし、こうした考え方は根強く、旧ユ−ゴ

のボスニア紛争で国連にかわって地域的軍事機構であるNATOが事実上それを行なうなど、今日のPKOが抱える重大問題となっているといえよう。(PKO問題については、前田哲男『PKO−その創造的可能性−』岩波ブックレット/1991年、浅井基文『新しい世界秩序と国連−日本は何をなすべきか−』岩波書店/1991年、明石康『国連から見た世界−国際社会の新秩序を求めて−』サイマル出版会/1992年等を参照)。

現在噴出している国際紛争の多くが「民族紛争」の様相を呈しているが、その背景にあるのが民族と国家との相克といった形であらわれる民族問題である。国際社会において「民族問題」が登場するのは、近代における国民国家の成立以後のことである。すなわち、近代以降の国民国家の多くは「単一国民国家」であることを建前として作られたが、現実には内部に何らかの形で少数民族を抱えていたのであり、その結果それぞれの国民国家内部において国家建設を主導した民族とその他の民族との間に支配と被支配、抑圧と抵抗といった対立・緊張関係が生み出されたのである。今日の民族問題の原型は、近代の産物としての国民国家の無理な作り方(=「国家の人為的な国境線と民族分布の自然な境界線とのズレ」)に起因するといえよう。

ここで問題となるのは、国民国家の理想的モデルとしての単一民族国家の幻想が世界中に広がり、約3、000以上ともいわれる民族がそれぞれ自己主張を強めている現状をどのように評価すべきか、ということである。このことは、一方ではこれまで差別・抑圧されてきた民族が主体となって不公平・不平等な社会秩序を是正しようとする動きとして積極的に評価できるが、その反面、すべての民族が異民族支配からの解放を「民族自決」=自前の国民国家の実現に求めるならば紛争が際限のない形で続くことを意味している。こうしたジレンマから抜け出すには、これまで当然視されてきた民族自決原則や国家主権の在り方を根本的に見なおし、新たな共存・共生のル−ルを国境をこえた民主主義・人権という観点からつくり出していくことが必要であろう(民族問題全般では、西島建男『民族問題とは何か』朝日新聞社/1992年、山内昌之『民族の時代』日本放送出版協会/1994年、歴史学研究会編『国民国家を問う』青木書店/1994年、また最近注目されている人の自由移動が引き起こす「新しい民族問題」については、梶田孝道『新しい民族問題』中公新書/1993年を参照)。

最後に、日本との関わりでこれらの問題を考えてみよう。日本では、湾岸戦争後に「国際貢献」論議が高まる中で92年に国際平和協力法が難産の末に成立し、それ以後、カンボジア、モザンビ−ク、ルワンダの各PKOに参加し、現在、PKO協力法の見直し(焦点は「平和維持軍(PKF)」への参加凍結の解除問題)がいわれるなかでゴランへの自衛隊派遣が決定された。しかし、日本のこうした軍事活動に重心をおいた国際協力は日米安保条約や国連安保理改組問題との絡みでなし崩し的に決められたものであり、そうした在り方が平和憲法をもつ日本にとって本当にふさわしい選択といえるのかどうか、もう一度検討してみる必要があると思われる(この問題については、前田哲男「検証・PKO協力法の三年間」『世界』1995年8月号、および神余隆博編『国際平和協力入門』有斐閣/1995年を参照)

 また、民族問題との関連では、「日本は単一民族国家である」との幻想がとくに強い、という事実をまず指摘しなければならない。しかし、日本には、植民地支配・侵略戦争の結果として生じた在日韓国・朝鮮人問題、先住民問題としてのアイヌ人問題、潜在的な民族問題ともいえる沖縄(人)問題、新しい民族問題である外国人労働者問題、などが存在するのが現実である。日本人のこの現実と認識のギャップは、日本が「世界における静かな人種差別の国である」(『民族とゆらぐ人権<アムネスティ人権報告A>』明石書店/1993年を参照)と無関係ではないと思われる。今日私たちに求められているのは、世界において日本の果たすべき役割とは何か、を真摯に追求するとともに、日本人の自己中心的な世界認識から脱して真の意味での「国際化」を実現することであろう。

−鹿児島大学法学会『法学・政治学のすすめ』(1996年度)より−


インデックス木村朗国際関係論研究室平和問題ゼミナール

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )