木村朗国際関係論研究室
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TITLE:「ユーゴ空爆 軍事力での抑止に限界―色あせる『人道的介入』―」 DATE:14 Apr 1999 09:56:48

1.<ユーゴ空爆をどう評価するか>

 アルバニア人の住民の安全を守るという目的に普遍性はあるが、やり方が下手だ。
 第一に、紛争の解決に武力を使っても問題をこじらせるだけの場合が多い。空爆は民間施設にも及び、民間人の被害も出ている。これでは「人道的介入」も色あせる。国際的正義を掲げるなら、すべてのユーゴ人の安全を考えるべきだ。
 第二に、国連安保理など国際的な合意ができていない。特に、ユーゴとの唯一の窓口とも言えるロシアの呼びかけを軽視しているのは得策ではない。
 第三に、空爆がかえってセルビア側のなりふりかまわぬ「民俗浄化」を招いた。ユーゴ側が一方的な停戦宣言をしても、引くに引けない状況に首を突っ込んでしまった。

2.<空爆ではなく、どういう手を打つべきだったのか>

 国際社会の政治介入が遅すぎた。′90年代初めの旧ユーゴ・クロアチアやスロベニアの内戦当時から「ボスニアに火が飛んだら大変」といわれていたのに、ヨーロッパ連合(E U)も米国も手を打てずに、悲惨なボスニア内戦を引き起こした。コソボ紛争はその延長だ。早い段階から政治的解決を目指すべきだった。 
紛争を止める手段として、軍事的な威嚇は否定しないが、公平、中立な立場が欠かせない。双方の当事者に対して「話し合いをしない方が悪者だ」という立場をとらなければならない。軍隊で脅しながら和平交渉しても、誠実な対応は望むべくもない。双方の不信が募るだけだ。 
 現状では、ユーゴ側から譲歩を引き出しながら、空爆をやめる方策をさぐるしかないだろう。

3.<コソボ情勢から日本が学び取るべき教訓とは>
    −日本政府は「米国の正義」に疑問をもて!−

 軍事力による抑止には限界があるということだ。武力でユーゴ軍をコソボから撤退させるには、多数の死傷者が出るのを覚悟した上で地上軍を投入するしかない。それは空爆前から、NATO軍もわかっていたのではないか。
 NATOを主導する米国の掲げる正義が、常に普遍的なものとは限らない。イラクでは、空爆という強硬手段をとったために、核査察体制を事実上崩壊させてしまった。
 米国の要求通りにガイドライン関連法案の成立を目指す日本政府には、「アメリカの正義」に疑問を投げかける主体性を持ってほしい。法案が通れば、米国の戦争に対して批判的な立場をとるのは、より困難になるばかりか、民間レベルまで協力を余儀なくされる。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)や台湾などの有事の際に日本がとるべき選択肢は、軍事力によって相手を押さえつけようとする米国に対して、対話による解決をめざすよう説得することだ。

(『朝日新聞』4月9日付・朝刊に掲載)

 

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