4.鎖国の真実

 さて、いよいよ江戸時代です。
  江戸時代は、いわゆる「鎖国」という特殊な時代です。

 考え方自体は、李氏朝鮮の「海禁」と同じですから、決してオリジナルなものではありません。しかし、この鎖国は、日本経済にとっては大きな影響を及ぼすとともに、江戸時代が300年も続く原因にもなるのです。

 そこで、まずは鎖国の誤解についてちょっと経済とは離れますが、書きたいと思います。

 教科書などでは、「鎖国」というと、キリシタンを追放するためのもの、という点でばかり述べられてきました。
 しかし、残念ながら、鎖国で、何故キリシタンを排除しないといけないか、と教科書では教えていないのです。
 それに対するよくある誤解が、海外が日本をキリスト教徒を使って侵略すると幕府が考えたから、ということです。そしてその決定打が「島原の乱」すなわち「キリシタン」一揆によるもの、というものです。

 しかし・・結論から先に言ってしまうと、幕府を頂点にした支配機構に排他主義の宗教は合わなかったのです。つまり、一言で言うと「国のために祈るか」という単純な命題をキリスト教はクリアできなかったという。

 キリスト教の慈善活動は、当時は非常に盛んに行われていましたし、それがために信者を増やしていましたが、「GOD」に対してのみ祈り、「徳川幕府」のためには決して祈りません。これが合わなかったにすぎないのです。
 ですから、仏教でも、日蓮宗の不受不施派(信者でない者からは寄進を受けないし、施しもしないという一派)は徹底的に弾圧を受けました。

 もし当時、今のようなキリスト教信者でもない人でも平気で教会で結婚式を挙げさせてもらえる、というような寛容さがあればそのような事態(弾圧)にならなかったのです。

 
 つまり、キリスト教の排除と鎖国は言われているほどの密接な関係はないということです。

 いかに、鎖国がキリスト教弾圧自体と直接関係が少ないかについては、禁教令が1612年、1613年に出ているにもかかわらず、鎖国令は1639年に鎖国令Xが出ている点にも象徴されています。
 
<「鎖国」への道>
1612 天領に禁教令
1613 全国に禁教令(バテレン追放令)
1616 欧船入港を平戸・長崎に制限
1623 英国、日本から退去
1624 イスパニア船来航禁止
1633 鎖国令T(奉書船以外の海外渡航禁止)
1634 鎖国令U(海外往来・通商制限)
1635 鎖国令V(日本船の海外渡航禁止、帰国の全面禁止)
1636 鎖国令W(ポルトガル人との混血児を追放)
1637 島原の乱(〜38)
1639 鎖国令X(ポルトガル船来航禁止)

 鎖国令が毎年出ているのは、鎖国令Xを除いて、「お触れ」でなく長崎奉行への命令(のようなもの)であるからです。ですから、鎖国令Xを全国的「お触れ」にしたということで、幕府が対ポルトガル戦も辞さず、という強い姿勢を示したということも言えます。

 これが島原の乱の翌年であることから、鎖国令Xはキリシタン撲滅のためということになりますが、もし本当に島原の乱を契機にそれを決意したのならば、あまりにも急な決断です。一般的には、事前に検討が行われているはずです。 

 さらに「キリシタン一揆」と言われる島原の乱ですが、そもそもこの乱で亡くなった人はローマ教皇に殉教者として認められていません。 弾圧に対し、宗教的立場から戦ったとみなされていないわけです。

 そして幕府の考え方はこの事件を引き起こした張本人の松倉勝家が斬罪となったことに象徴されています。大名が切腹でなく斬罪になる例は少ないのです(関ヶ原の戦いの3大名程度でしょう)。なぜなら、武士は基本的に切腹です。ましてや大名である以上、切腹以外は考えられないのが江戸時代です。

 つまりもともと「キリシタン一揆」と見ていた幕府は改易のみにしようと思ったところ、調査の結果、実態は過酷な徴税による農民一揆が原因として斬罪にしているのです。

 これらの点を統合すると、実は島原の乱は単なる「その時期に起きた農民一揆」であって、キリシタンが指導者であることが誇張され、あまつさえ、これによって鎖国がなされたようにされているわけです(もちろん、キリスト教を排除するという側面自体は否定できませんが)。
  
 では、なぜ鎖国がそれこそ1639年という遅い時期に完成したのか。これはやはり経済の状況を見過ごすわけには行きません。簡単に言えば、貿易で必要なものがなくなれば、あるいは、必要なものが特定勢力から入手できるのならわざわざ貿易をする必要がないということです。

 鎖国が可能になる経済、それは自給自足ができる経済体制にある程度めどがついたという状況に他ならないのです。

  鎖国とは、幕藩体制確立のための重要な政策であり、キリシタン排斥という一面にとどまるものではないのです。

<ポイント>
 鎖国、それは国内整備が進んだとともに、経済的にも重要な政策でした。
 経済的面で鎖国を見るのも面白いと思います。


  
<コラム:江戸時代暗黒時代を斬る>

 江戸時代はとにかく暗い時代で、つまらないという説に困っています、
 確かに、維新期のような志士は出てきませんし、戦国大名も出てきません。
 しかし、経済的にも、農政的にも、また政治的にも非常に高いレベルの知識を有していました。
 農業書は発達していましたし(「農業全書」など)、経済的にも金銀の変動相場制がありましたし、江戸に上水道はありました。下水道はなかったですが、排泄物は農家に売られ、売れるからこそ公衆便所がもうけられました。人口は江戸は世界最高、農民は豊作時にはお伊勢参りも可能でしたし、祭りなどの娯楽もありました。
 もちろん、天候や大名次第で厳しい状況に追い込まれますが、必ずしも「暗黒」時代ではなかったのです。

 このように、玄人好みですが、噛めば噛むほどおいしい時代といえましょう。 

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