3.法律の考え方と実態

1.よく言われること

 法律は、国民を「規制するため」のものであり、「官僚が自分の都合のいいように」作っている、などと言われます。
 これが「権力による支配だ」などと。
 それは本当でしょうか。
 実は、マスコミが「権力」と戦うことにより正義である、と言いたいがための嘘である、と断言します。

2.本当に一方的か?

 国家公務員も国民です。ですから厳しい法律を作ることは自分自身を縛ることになります。
 そのようなことはしません。そもそも、法律立案でまず考えるのは、このような法律を作った場合の利害関係者のうちどうすれば最大多数の人を満足させられるか、です。

 民主主義の下では、少数派の考えにはもちろん参考にしますが、全員を満足させることは不可能なので基本は多数決です。ですから、例えばアンケートなどをとり、7割から8割の人が満足できるならそれはGOサインが出ます。

 少なくとも、なにも無しに、突然公務員の一存で決めるということはあまりありません。そういう場合は政治が介入しているか、政策上こうしたいという場合だけです。例外的な事例が悲劇を招いていますが、それはあくまで例外です。

 具体的には、政治の場合は、よくある「○○対策」で、急に法律を作らなければいけないケースです。そうした場合時間との争いになりますので、アンケートなどの時間がない場合も生じ、「官僚の机上の空論」と後で叩かれるような法律ができあがる場合があります。
 しかし、それも「すぐ作れ」という政治の要望によるもので、最初から公務員の一方的都合で決めるものはあまりありません。

 公務員側もそのような法律ですと、本当に何人か倒れる場合もあるので、自民党の古賀誠議員の「職員の5人くらい倒れても・・」はしゃれにならないのです。経験した者であれば怒りがこみ上げてきます
 もう一つの政策上という場合は、政府として政策上こうしたいというのがあって作るケースです。ただ、こういうものは「融資」関係や、優遇措置などが多いと思います。

 最近のものであれば、「組織的犯罪対策法」も、一部問題がありますが(警察は身内に甘いというアキレス腱など)、考え方自体はタイトルの通りで、「国民を監視するため」というのはうがちすぎです。そういう観点ではむしろ「国民総背番号制」(「住民基本台帳法の一部改正法」)の方がよっぽどプライバシー上問題が生じる可能性があると考えられます。
 話はそれましたが、ではなぜ、そのように、権力の横暴のように思われるのでしょうか。

3.権力の横暴

 権力の横暴など言われる原因としては、やはり前述のように法律に問題があることが挙げられます。
 この原因としては、法律改正に関わる人員が少ないため、いろいろなケースをできる限り知恵を絞って考えますが、それにも限界があり、そのとき想定していたことと比べ予想外の出来事が生じるということがあります。同様に、時代が変わったため、予想外の出来事が生じる場合があります。

 この場合は、大きな影響がないと考えられる場合などはそのままにしておかれます(今のマンパワーそして「国会審議」の手間を考えると、いちいち改正してたら国家公務員を数倍に増やさなければならないのです)。重大な影響を及ぼす場合は速やかに法律を改正する以外ありません。
 ただし、それが遅れると、悲劇が招かれる場合があります。その場合、責任は政府、つまり我々国家公務員にあります。

 しかしこれは結果として国民に不利益を与えることになりますが、決して、そうしようと考えてやったことではなく、もちろん国民を支配しようと思ってやっていることでもなく権力を振りかざしているわけでもないということを理解していただきたいと思います。
 
 なお、例外的なケースとして「権力」について考えている人や自らの保身のために改正しない人もいるかもしれませんが、それについてはそういう人を排除できない公務員制度に問題があると考えます。そういった「官僚の暴走」については、別の機会に論じたいと思います。

4.国会議員

 そもそも、根本の問題は何かといいますと、それは「閣法」と言われる内閣提出法律案が大多数だからです。本来は、立法府たる国会、すなわち国会議員が法律を考えるべきなのです。

 しかし、それがかなり難しいためこうなります。
 別の機会に書きますが、議員は法律を作るどころか勉強する暇が無いというのが最大の問題でしょう。

 そして次の問題は、議員立法にいい加減なものが多いということです。

 残念ながら議員立法はすごい法律案があります。以前、サマータイム法の案が議員立法として回ってきましたが、唖然としました。第1条で、この法律はサマータイム法とする、第2条で、何月何日から何月何日までは時計の針を1時間遅らせるものとする。で、第三条で、必要なものは政令で定める。
 ・・・こんなの誰でも作れますよね。それに空港のダイヤ変更の話とか、重要事項はなんにも書いてないんです。

 で、結局は「政府」(国家公務員)が作成する政令に全部任せるという。これでは内閣提出の法律と全然変わらないですよね。

 ですから、国会議員が、政府の法律が多いことに対して文句を言うのは本末転倒で、だったらあんたらちゃんとしたものを作れ、というのが正直な気持ちです。もちろん、上の例のようなスーパーザル法を作られたらたまりませんが。

5.政令、省令、通達とは?

 日本の法令は法律→政令→省令→告示(通達)という順番になっています。

 考え方としては法律で原則的なこと、政令で各省と関係のある原則的なこと、省令で具体的な数字的なきまり、告示(通達)で細則・手続きという感じで作られています。
※以前は担当局長や担当課長などが出す「通達」により、法の解釈が示された り、実際の方の運用が行われていたりしました。
  しかし、近年通達の原則廃止が行われています。この結果、告示による法   的根拠の明確化や「解釈集」などによる統一的な解釈の明確化がなされて  います。

 ですから、細かい決まりが法律に書いていない場合は、省令を見ると書いてあるケースが多いので、少し面倒ですが関係の六法を図書館などでチェックすると良いと思います。

 この理由は法律はやはり前述のように大変な作業量なので、細かいところまで決めきれないからです。
 ですから、イメージとしては法律で区画整理をし、政令でそれぞれの区画で基礎工事をし、省令で建物を建て、告示(通達)で内装工事などをする、といった感じでしょうか?

 もちろん省令も同様の審査がありますし、告示もいわゆる「審査」という形ではありませんが、起案の決裁もあります。
 通達にしても、当時の局長や課長などが氏名を明記して出していたわけですからいい加減なものを出すわけにはいきません。
 いずれにしてもきちっと案を練った上で作成します。とはいえ法制局審査や閣議、国会審議という手続きが少ないため事務量はかなり減少する上、迅速な対応が可能です(逆に形式的な改正であればそれにあぐらをかいてほっといてしまうケースがあるのですが)。

 ここで、政令以下で具体的なことが決まっているということについて、「国会の審議がないと政府が勝手に、都合のいいように「権力」を振り回す」「役人が好きなように決める」という論調の新聞や雑誌もよく見かけます。

 しかし、現実には、国会「審議」とはいえ、実際には法律案をきちんと読むこともせず、両院の事務局作成資料や、国家公務員の「根回し」の説明などで質問を作っている場合もあります。 

 端的な例が、2004年の年金改正法が通ったあとでミスが発覚し、法制局が罰せられた事件です。
 でも国会は通ってるんですよね・・(つまり審議したはずの人は誰も気づかなかった)。国会審議があってもミスが行政のせいなら立法府って何?と正直思います。

 ですから、政争が重視させる現在の状況である限り、実はさほど変わらないのではないか、というのが正直な感じです。

 また、省令や告示に関する事項でも多くは現場の実態を調査した上で、審議会などにかけるケースも増えています。さらには最近ではパブリックコメントを求めるケースもあります。
 ですから、ほとんどの場合は役人の権力を振りかざす一方的なものなどはあり得ないと思います。

 さらに、法律の手続きが大変な労力を要するものである以上、現実問題として、今の人員を考えるとこういう方式をとらないと絶対に回りません。ですからこういう形式になっているのです。

 本来的には法律手続きを簡略化することが望まれるのですが、世の中が複雑になればなるほど法律も複雑になっていきますから、全てを法律で決めることはできないですし、また現在の国会が必ずしも立法府として十分でない以上、こういう苦肉の策をとらざるを得ないのです。
 ですから決して新聞などがよく言う「国民の目から隠そうとして」やっているわけではありません。

 法律についての実感はこんな感じです。

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