6.霞ヶ関での日常3

1.権限争議(イントロダクション)

 最悪の例が権限争いが高じてお互いの脚を引っ張り合うケースです。「お互いの脚」と言えば聞こえが良いですが、要は「国民のための政策」なのに、他に割ける膨大なエネルギーを無駄に浪費するわけですから「税金の無駄遣い」と言われても頭を垂れるしかありません。

 これはたいていの場合、法律改正が原因です。
 税、予算はあくまでどこに予算を付けるか、税制を改正(創設・廃止)するかであって、役所間の権限そのものに大きく影響を及ぼすものではありません。以前は奪い合いの予算もありましたが、最近は仲良く分け合うというのが多くなっています。しかも政治家、大蔵省という行司役もいます。

 一方で、法律とは、ある政策の根本になります。新しい大きな政策は法律(あるいは既存の法律の改正)なくしてはあり得ません。そのため法律を作ることは、すなわち権限(利権のみではない事に注意)を得ることに他ならないのです。

 よって法律が争議の中心となります。

 法律の権限争いは、法律がグローバルなものであればあるほど多くの省庁が絡むわけで、ややこしくなります。

 この場合は権限争いという側面もありますが、多くの役所は「これは俺らが一番よく知っているはずだからこの分野を他の省庁にやらせると大変なことになる。」という現実的な話から、ここは譲れないということになるのです。
 なぜならば、他省庁とやり合うということは、相手がいかなる省庁であれ大変な作業となることが明白で、幹部も政治家を巻き込んだそれ相応の覚悟が必要だからです。

 更に現場レベルでは法律改正の部屋を通称「タコ部屋」というように大変な作業であるため、そういった時間と体力の無駄を少しでも減らしたいわけです。ですからやりたくてやるわけではないのです。

 一部管理職(特に一流でない課長に多い)のポイント稼ぎのために無理矢理法律にする場合も実はあるようですが、最近は提出法律が多いため、(そもそも法律改正以外で何とかならないのか、「今」やる必要性は、などの審査で)排除される方向になっています。
 もっといえばそういう無駄な仕事を増やす管理職を評価しないで欲しいものです。

 もちろん「利権」があるため必死で防衛する案件もありますが、それは限られた案件です。最近では郵政/通産の情報戦争以降は大きいものはないのではないでしょうか?

 ここで、役所に否定的な人は、「天下り先を増やすため」「予算を獲得するため」にやりあうとかよく言っていますが、それは法律改正やその付属作業の大変さを知らない、「しったかぶりやさん」です。そういった人の多くがマスコミであることが話をややこしくしています。
 向こうはペンという武器があって、また何を言っても(脚色しても)許されます。しかしこちらには対抗する手段はないのが残念です。こういうのは日頃公務員と接していないペンクラブ所属以外のマスコミや現場を知らない公務員嫌いの方によくあることですが。ご批判は頂きますが、現場を知らずに批判はしないで欲しいな、という感じです。

2.権限争議(政治家編)

 まず政治家です。
 問題は2つあります。1つは自分たちの主義主張で譲れない場合。もう1つは政争の具として扱われた場合、です。

 その前に、「根回し」について御説明します。
 これは議員に自分たちの主張を説明する、つまりきちっと法案の内容を説明し、自分たちの方に理解を深めてもらう、ということです。
 特に、法案がどの委員会で審議され、その委員会に所属している議員がどのように考えているか、というのが重要になります(話を聞いてくれる議員が多い委員会の方が良いのは当然です)。
※今の国会は採択は本会議で行われるのですが、現実にはその前の委員会での審議   が法案の成否を分けます。委員会で採択されればまず大丈夫、逆に通らないと絶対   無理、と言うわけです。そういった意味で委員会への対応が重要になります。

 この「根回し」は課長以上が原則で、おおむね与党全員、野党は主要メンバーや関係委員会の議員を中心に絶対反対派以外を回っています(省庁によって異なりますが)。重要法案であればあるほど、賛成の可能性が高ければ高いほど、相手が重要人物であればあるほど、役所の説明者のレベルも上がっていきます。

 ただ、ほとんどの法律は、時代の要請によるもので、必要なものですから、きちっと説明すれば理解を示す議員も多いので悪い意味での「根回し」にはなりません。念のため。
 ただ、日本の「古い政治」の悲しいところで、野党議員の本音なんでしょうが、「個人的にはやむを得ないと理解するが、党としては賛成できない」「やむを得ないと思うけど、原則からいうとやはり賛成できない」など、個人としては仕方ないと思っていても支持者やパフォーマンスとして反対する人も意外といる、と言うことです。

 この点、パフォーマンスについては、国民のみなさん騙されないように、という感じですが、一方で「党議拘束」または「党の有形無形の圧力というものが適切なものなのかどうか疑問です。
 党の根本問題にかかわる問題ならともかく、個別の法案には議員個々の考えがあっても良いのではないでしょうか?そうでないといつまでも「数合わせ」で、肝心の議員の個性が発揮できないと思います。

※なお、率直に実状を言えば、特に最近は、時代の急激な変化に追いつくのが大変で、
 政策が後手後手にまわっているのが現実です。もちろん後手後手に対する批判は甘受 いたしますが、社会が複雑化し、仕事が増える中での定員削減という状況もはっきりい ってつらいところです。

 また民間などの接点がなかなか得られない(正直、苦情の電話から実情を知ることもあります)のも苦労している点です。

 閑話休題。このようにきちんと説明すれば、たいてい理解されるのですが、揉める場合は次のようになります。
 つまり、相手省庁が「族議員」に駆け込んだ場合です。
 そうです。政治家や政党がある政策を旗頭にしている場合やっかいなことになるのです。

 政治家には「条文修正」ができますので、敵対省庁の意向を踏まえ議員が条文修正を行わないと通さないというケース、根回しの際に「質問権」を盾に脅されるケースなどなどです。このように、単独省庁提出の法案に横やりが入ると、仮に法律が通っても「二重規制」「手続きの手間」など良い結果になりません。

 そこまでいかなくても、揉めた案件にはたいてい「附帯決議」がつきます。これは「賛成はするけど条件付きだよ」というもので、大臣は「趣旨を尊重し・・」などと返事をして委員会を通過するのです。

 しかし、実はこの附帯決議がくせもので、これを消す方法がない(あるかもしれませんが今のところ聞いたことがないので・・)ため、何十年たってもそれに縛られる可能性があるのです。
 ひとつの例を挙げます。省庁再編を機会に、ある法律について、「福利厚生施設について検討」という条文を消そうよ、もう時代が違うよ、という議論になったとき、昭和40〜50年代の「附帯決議」が亡霊のように現れました。その法律にはある時の改正の際、「福利厚生施設について検討すること」という附帯決議が付いていたのです。
 結局「(役所が決めた条文なら消せるけど)附帯決議があるからだめだ」と言うことになったのです。もちろんやる気もないんで何の意味もないものです。しかし、予算的には微々たるものですが実現性のないものに予算が付いてしまいます。政治家は附帯決議をつけたがために何十年も、時代が変わってもそれに縛られるという実情を知っているのでしょうか?

 次に政争の具、です。これは、個別の権限争議ではありませんが、省庁レベルで権限争議の犠牲になる、と言うことです。
 例えばA法を通すまではB法が委員会審議(または本会議採決)ができなくなるというようなケースです。いわば「法案の人質」という事態に発展し、最悪は期限切れで廃案とされてしまうのです。
 また、ひとつにまとめて提出した法律が3つあるとすると、3つのうち1つでも揉めると全部止まります
 
 さらに自分たちの関心がある法律や「パフォーマンス性の高い」法律で、揉めている場合は、それ以外の法案の審議がストップします。これを「つるし」といいます。
 揉めている法案が決着して、「つるし」が下ろされないと後に控えている「つるし」の法案はそのまま廃案です。
 最近の国会では年金関係が軒並みこれをやられていますね。

 このような法律を政争の具にする行動は、国民生活の観点からも、何の得もないので止めて欲しいものです。パフォーマンスや戦術のため法律をカードとして使うのは役所の権限争いより悪いです。役所は少なくとも権限争いの中でも真面目に法案を検討していますから。
 

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