6.法律や政策がきちんと報道されていない・・・
(3)天下り問題とキャリア制度

1)なぜ癒着が起きるのか

 私は、贈賄等の前提条件として次の3つがあると考えます。

1)相手が長期間強い権限を握ることが確実(あるいは確実に握ることになる)
2)贈賄等を贈る目標が特定できる(権限を持つ人が分かる)
3)相手が金銭的に恵まれていない

 まず、1)についてですが、これはまさにキャリア制度そのものです。

 1種の試験に合格し採用されてさえしまえば、入替や降格もなく、病気などでリタイアしない限りは確実に中央省庁の管理職になれるからです。
 また、退職後も特殊法人や公益法人の幹部等への就職もまず確実なので、業界団体であれば長いおつきあいも考えられます。

 もちろん、若い段階は辞職などもあり得ますから直接的な接待などまずないでしょう。しかし、接触する態度等おつきあいのやり方が違うものです。

 ちなみにノンキャリアでもその可能性はありますが、長期間強い権限という観点では可能性が極めて低いことになります。

 2)については、1)と若干重なる部分もありますが、同じキャリアの中でも更に目標を絞り込みやすい部分があるということです。

 つまり、キャリアの中でも出世するのは限られ、多くは同期に20名程度(役所によっては数名)しかいない事務官であり、建設省の道路局や河川局で言えばその局の技官です。
 要は、年に20名〜数名程度しかライバルがいなくて、そこからどんどんふるい落とされていくわけですから非常にわかりやすいわけです。
 しかもふるい落とされる側ですら確実に課長になるのであれば、関係団体が人脈を作らない方がむしろ愚かしいとも言えます。

 一方技官キャリアはその分野に「フランチャイズ」を持っていることが多いわけです。そしてその人事は技官キャリア内部で握っています(原則、事務官キャリアは介入しない)。
 例えば道路局や河川局の技官は「建設省の人」というよりむしろ「道路の人」「河川の人」なのです。

 つまり、人事を少数のキャリアが握っていて、その人事によって人が動く。しかも名簿もある程度世の中に公表され、よほどおかしくならない限り本省管理職になる。また、多くの場合学部の先輩後輩の関係で上下のラインもしっかりしている。
 さらに、退職後もOBとして人脈や影響力を持つ。
 これほど分かりやすいし、やりやすいものはないでしょう。

 もちろん、キャリアだけでなく、例えば外務省の事件のようにノンキャリアが癒着したりしているケースもありますが、これも結局同じ理屈です。
 こちらも1)ロジ畑や会計畑などのフランチャイズで偉くなった人2)ノンキャリアの中で人事が収束している、にぴたりと当てはまります。

3)については、「役人はもらいすぎ」という方もいらっしゃるでしょうが、公平に見て、幹部はその職務の重大さと比較して十分な報酬(給料)をもらっていないと思います。
 
 というのも、キャリア制度の設計自体が多額の報酬を前提としていないからです。
 つまり、キャリア制度は幹部養成のための制度であり、そのため本来極めて有能であり、高潔であるのが大前提なのです。
 国の権力というのは、課長以上になると部署によっては会社や業界を左右する力を持つからです。

 逆にそういう人材を選抜したからこそ、入替戦や落伍もなく、入省さえしてしまえば、病気などでリタイアしない限りはどのような人物でも管理職になれるという理屈なのです。
 そして、同じような能力を必要とする大企業の幹部と比較して給与は安いため、勲章などでねぎらうという設計になっています。

 ですから、金銭的には、持っている仕事の責任と比較して釣り合わなくなっていますし、昨今は特にマスコミだけでなく国会議員まで世間受けを狙って「こじつけ」や「事実誤認」の批判までするようになり、ますます釣り合わなくなっているのです。

 現実的にも、こうしたばかばかしい前途と仕事量を比較して、優秀な若手キャリアがどんどん辞職していっています。

 いずれにせよ、キャリア制度そのもの、あるいは今の採用実態が非常に癒着しやすい制度設計であると考えられます。

 なお、現実は、多くの有能なキャリア官僚は仕事に打ち込んでいます。その激務の結果、次官確実と言われながらも退職を余儀なくされたり、大病を患い、志半ばで没してしまう人もいるわけです。
 そういう実態も念のため強調しておきたいと思います。

2)フランチャイズ

 ここからまず、組織面から考察していきたいと思います。
 まずは根っこの方から。「フランチャイズ」です。

 「フランチャイズ」とは、同じ局をそのまま上がり、そのグループのトップに上り詰める体質です。基本的には技官です。
 しかし、省によっては「マフィア」とか「スクール」などというように、「お仲間グループを形成し、派閥のようになっているケースもあります。
 厳しい言い方をすれば、「お仲間グループ」で固まって発言力を持つというものです。

 具体的な例としては、道路局で採用されれば、道路局内の課室と地方の事務所の課長以上の職を何度も繰り返し、同じ局内で出世していくという体質です。

 これはまさに前章で挙げました1)と2)に完璧に合致します。

 これに対する対応策は、
1)管理職の同一局内の異動の否定
2)キャリアの省庁間人事交流

が現実的だと思います。

1)については、特に長く「ぬるま湯」「縦割り社会」で暮らしてきた人には他省庁や他局の管理職というのは厳しいでしょうから、猛烈に反対するでしょう。
 しかし、これは「キャリア」という意味では全くおかしいことです。

 例えば、技官は専門分野があるからこそ技官、というご意見も出るかもしれませんが、行政官である以上、「専門分野」は知識の一つにすぎないと思います。
 もしその論理で行くと、事務官の経済職や行政職は法律を改正できないことになってしまいますから。

 つまり、道路局技官キャリアが道路局長になり、建設省事務次官になり、道路公団総裁になるという事自体がおかしいです。
 なぜならばキャリアが目指すものは指導者だからです。専門家ではないからです。専門家はノンキャリアです。

 もし技術の世界だから専門家でないとダメだというのであれば、前述の例で言えばなぜ事務次官の職を全うできるのでしょうか。

 事務次官ですから、道路の専門家であっても河川や住宅などの質問に答える必要があるわけですし、実際答えてきているわけです。

 むしろキャリアとしては「専門的な職員(ノンキャリア)を使う」ことが大切なので、原点に立ち返ってリーダーとしてのキャリアのあり方を検討してもらいたいものです。

 極論すれば、同じ局で上がっていくキャリア(フランチャイズのみで異動するキャリア)は、キャリア・ノンキャリアの役割分担の考え方からいけば必要はない存在だと思います。

 2)の人事交流については既に行われていますが、各省庁間の人事交流をより活発化することが必要だと思います。
 既に行われている「課長補佐時代に2ヶ所以上の他省庁等のポストを経験する」などの申し入れがきちんとされれば、省益、国益意識も減り、相当風通しが良くなると思います。

 しかし、人事交流の弊害も指摘せざるを得ません。
 それは次の2つです。
i)「腰掛け意識」によって政策が消極的になる(身を粉にして働いても人事評価の対象とならず働き損)
ii)官庁ごとにルールなどが違う上に、人脈もキャンセルされるため当初は業務が停滞する

 特にi)の中でも問題なのは、出向者のうち「国民のために」という意識のない者であの手この手でさぼろうとする者が一部に存在する点です。
 そしてそのしわ寄せが他の出向者や生え抜き職員に行くことになり、ある意味定員がマイナス0.5のようなものになります。
 もちろんどこの社会にもそういう人は存在します。同じ省庁の中ならそういう人はある程度分かっているのでそれなりのポストに配置可能ですが、出向は相手省庁任せの面があるためそうはいきません。
 そういう問題点があります。

 また、身を粉にして働いてもその情報が母体の省庁に伝わらないのは「人事評価」の観点では非常に問題があります。
 「国民全体」という観点で働いて、体に負担をかけても報われないのであれば働き損ですし、モチベーションが下がると思います(それでも多くの人は責任感からやってしまうのですが)。

 このような「理不尽さ」を解決しないと、人事交流はその名とは裏腹に「行政の停滞」を招く危険があります。

 ii)については、異動時期の問題を考えることである程度解決できると思いますが、多忙な時期に何も知らない人が配置されると本人も周りも非常に迷惑です。
 また、痛感するのが予算要求や定員要求など、やはり各省で「ツボ」「コツ」があり、そういうときにはその省の人脈がものをいいます。そういう政治力が必要なポストには出向者は避けるべきだと思います。

 しかし、人事交流は裏を返せば広く人脈を広げるチャンスですから、将来性府全体を担うべきキャリアはどんどん出向させるべきだと思います。
 実際キャリアの中では「代々木で(の新人研修で)一緒だった」「○○省の同期」などのセリフが10年以上経ってもでていますから、そういう意識(政府全体のキャリアという意識)は省庁別に採用されているノンキャリアよりははるかにあると思います。

 ノンキャリアですら省庁間でバンバン出向しているこの時代、幹部候補生のキャリアが井の中の蛙でよいはずがありません。
 
 そういった意味で、フランチャイズを打破することは、エリートたるキャリアをさらに大きくするとともに、癒着の可能性を削減することができる良策だと思います。

3)制度設計の問題

 しかし、根本的な問題が制度設計の問題です。

 国家公務員(霞ヶ関、以下同じ)の制度設計が、早期勧奨退職等、天下りを前提とした制度設計になっているのです。

 ですから、天下り等の批判をするのであれば、その前に、まずは国家公務員(特にキャリア)について、定年退職の可能性を考慮して制度設計をきちっと検討すべきだと思います。それなくしては、机上の空論です。

 ではここで天下りなしで全員定年退職を想定した場合、現在の状況ではどうなるかを考えてみます。

 まず、具体的にポストの問題をおおまかに見てみます(平成15年の各省HPの情報をベースにしてますので多少違っていてもご容赦下さい)。

 一番大きそうな国土交通省で、おおざっぱに数を数えてみますと本省で240程度しか課長ポストがありません。
 もちろんその他気象庁などの外局が4つ、施設等機関が国土交通政策研究所等4機関、国土地理院、小笠原総合事務所、各地方整備局・運輸局、2航空局、北海道開発局、4航空交通管制局などもありますが、本省課長クラス以上だと300強だと思います(もっと多いかもしれませんが目安として)。

 これに対し採用実績は年100人ですから、2割が中途退官したとしても5年分くらいしかありません。
 単純計算で定年60歳だとしても50歳では本省課長になれないわけです。

 逆に霞ヶ関の「省」の中で一番小さい環境省を見てみますと、室長クラスも含めた「幹部等名簿」に掲載されているのは約90名(つまり90ポスト)です。で採用が15〜20名。2割が中途退官したとしても7,8年分しかポストがないのです。
 机上の計算では課長職はおろか、室長職も50歳ではなれないことになります。

 要は「天下り禁止」で早期勧奨退職を完全に止めた場合は、キャリアの幹部は行き先がないというか、50歳課長補佐という今のノンキャリア並になってしまうわけです。
(ちなみに今の霞ヶ関では、早期勧奨退職を筆頭に、地方部局への出向、特殊法人や独立行政法人等への出向などでなんとか対応しています。)

 公務員はリストラが難しい構造です。本人の勤務成績が不良でない限りポストが必要なのです。しかしポストがない。
 このポスト問題を解決しなければ、いくら天下り禁止を叫んでも、制度がうまく立ちゆかない上、人事の停滞という組織を最も停滞(腐敗)させる現象が起こるとともに、キャリア組といいつつ実態は今のノンキャリア並というよく分からない状況を生み出すことになるのです。

 ですから、「天下り防止のための在職期間の延長」などといっても、口で言うほど簡単なものではありません。
 現実には、小手先だけでさらに矛盾を増大させる前に、人事制度のデザインそのものを変えるのが真っ先に必要なことなのです。

 これを解決するために思いつく方法としては

1)キャリアの採用人数を絞る(すくなくとも今の半分以下程度?)
2)問題あるキャリアは管理職にしない
3)政府関係機関(独法など)との人事交流を深める。
4)国会議員の政策立案秘書として出向させる(給与は国が持つ)
5)キャリア制度を廃止し、中途からの選抜制にする(あるいは2段階選抜とする)

 等でしょうか。

 このうち1)2)はできそうですし、もう始めているところもあるようです。
 これらは非常に有意義ですし、重要だと思います。キャリアの幹部はまさにエリート中のエリートとして扱うわけです。
 しかしながら、ある程度限界があると思います。本来激務のポストや目玉の政策にはキャリアを充てるわけですが、そういったポストがどんどん増えているからです。
 実際に、最近は改革が多く人手が足りない課室が増えているのです(そういう部署は「数さえそろえば誰でも良い」というわけにはいきませんから)。

 さらに2)「問題キャリアの出世制限」については360°評価を導入するのが大前提になります。
 上司から見た部下の評価のみの場合、上への見栄えをよくするために仕事をしているように見せかける、つまり「無駄な仕事」を作り出し、税金の無駄遣いをしているという状況を生み出しかねません。
 これはある程度自由がきく者、例えば課室の筆頭課長補佐や管理職が問題児であった場合危険な状況です。
 また、能力はないが政治力に長けたいわゆる「ヒラメ」も横行する可能性もあります。これは国民にとって非常に良くないことです。
 
 ですから下からの評価も含めた公正な人事評価制度の導入、これが大前提となるでしょう。

 また、3)「人事交流」もすでに行われています。

 発想自体は視野を広げるという観点からも良いのではないかと思います。
 しかし、政府関係機関においては、生え抜きが出世し、トップになるのが本来の姿ですから、○○省事務次官などがすぐ政府関係機関のトップになるというようなものは原則禁止すべきだと思います。理事などになるのはあり得ると思いますが、トップが生え抜きでないというのはやはり問題だと思います。
 
 個人的には形式上独立していて、実は子会社扱いというのが政府機関の独立性の面からも最も良くないと思います。
 また、「殿様研修」をはじめとした異常に若い者(キャリア)が政府出先機関の要職に出向するというのもやめるべきだと思います。少なくとも本省課長補佐程度の年齢でやらないと、「勘違い」するバカな若造が増えるだけだと思います。

 現に、出向した人が(将来が期待される)まとも人であればやりづらいものですし、苦労もしています。これがその出向の目的なのでしょうが、しかし問題のある人にとっては、権力を笠に着てやりたい放題が可能、というのではよくないことだと思います。

4)「政治家政策秘書出向」は個人的に考えるウルトラCです。

 二大政党の時代となりつつあり、また国会議員による立法活動が盛んになるのであれば、行政サイドの法案に携わった者などが立法活動に事務的に協力をすること自体は三権分立を妨げないと思います。
 誤解を恐れずに言えば、議員立法は稚拙なものもあり、一方で民主党などから「自民党は政府に法案を作ってもらうから良いが、こちらは少数でやっているから・・」という発言も出ているわけですから、人的資源として役人を利用してもらうというわけです。

 守秘義務などの面がありますが、議員の政治活動に一切タッチせず、政策立案(問題点の指摘や実現性に向けた改正案提示等)に特化した形なら協力は可能なのではないでしょうか?

 もちろん、これを「政府のスパイだ」としか感じる事ができない先生方に、無理に採用していただく必要はありませんが。

 一方5)「キャリア制再構築」は理論としては、最も良いやり方だと思います。

 具体的には、職種、学歴等に関係なく10年目(あるいは15年目)に職員の実力に応じ選抜し、選抜された者が「キャリア」となる・・あるいはキャリアの中から10年目等に再選抜を行い、そのものは内閣府の所属として出身省をベースとして広く人事交流を行い高級幹部(審議官以上)へ、漏れた者はその省の専門官として高級幹部候補生にはしない、などというやり方です。

 つまり、各省庁の専門家は非選抜組、高級幹部に上がっていく選抜組は政府全体を考えるとすれば、良い人事体系になるのではないでしょうか。
 また、現状では、入ってからキャリアに向いていない、あるいはキャリアの激務をこなすことが家庭の事情などで困難な場合もあります。この問題の解決にもなります。

 しかし、まあこれは机上の論理です。
 キャリア制度批判をしつつ、実はそれを利用しているのが政治家の実態であるため、キャリア制度の「改革」の議論すらないのがその象徴的なところでしょう。

 さて、ここまでは制度上の話をしてきました。しかし、大きな問題がもう一つあります。それは人件費の問題です。

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