7.交付税の見直しと地方の将来像

 長野県は「地方交付税制度の中央政府の関与の見直し」を主張しています。

 ここでのポイントは「中央政府」と「地方政府」という考え方でしょう。
 これは国と地方公共団体の対等の関係を目指すだけでなく、「政府」という連邦型の道州制を念頭に入れていると考えられます

 そうした場合、都市部の都府県は「なぜ財政調整を行わなければならない」のか、という根本問題に直面することになるでしょう。

 日本国としての全国的な観点から見てはじめて財政調整機能という問題が出てくるわけですが、仮に、地方がそれぞれ政府として独立するのであれば、財政調整を行う必然性が存在しません。

 極論すれば、裕福な地方政府から見れば貧乏な地方政府は放っておけばいいのです。「ふるさとを大切に」のノスタルジーだけでは通用しないでしょう。

 この場合は「中央政府の関与の見直し」どころの話ではなく、全廃しないとつじつまが合いません。

 一方、分権を強化した形の新しい国と地方自治体のあり方(いわゆる道州制)では、地方交付税を抜本的に見直すべきだと思います。

 具体的には複雑となった基準財政需要額はそもそもどこまで「基準」なのか。言い換えれば地方自治体にとって「最低限必要なもの」とは何なのか、きちんと再検討すべきではないでしょうか。
 また財政調整問題は誰に任せ、あるいはどのように解決するのか。

 私は、真に地方分権を目指すのであれば、後者の地方分権を選択した上で交付税を抜本的に見直し、各道州は身の丈にあった自治を行うべきだと思います。

 基本的なことなのですが、箱ものや立派な道路をばかばか作れば観光客が来る、人口減が止まる、あるいは税収が増えるというのは幻想です。

 なんと言っても箱ものはおろか道路にだって維持費が必要ですから、そのような維持費をまかなうことを前提に長期的計画を立てる必要があると思います。

 ある県の例で言えば、40人学級を30人学級にしたい、しかし今のシステムではよけいな負担がかかる、「硬直している」「おかしい」という知事が何人かいます。
 しかし、人より手厚い教育をするのならお金がかかって当たり前です。

 例えば病院だって、お金のない我々は(ある程度のプライバシー確保を前提に)大部屋に入院しますし、金持ちは個室に入院します。それについて「手厚い医療を受けたいので個室でないのは不公平だ」と言っているようなものです。

 つまり、お金持ちの東京都ですらやってないことを貧乏な人がやろうとしているわけです。それならば他を削るのが当然です。他を削ってでも教育を重視するならば教育県を目指したメリハリの利いた立派な自治体ですが、やりたいことをやるために国に多めに金を出せというなら、単に「たかっている」だけではないでしょうか。

 補助金の削減や税源委譲=自治の推進ということは、国の財政基盤を減らすということでもあり、財政面でもより「自治」が求められるということになるのです。

 例えば関東州と四国州で同じレベルの開発や設備を求めるのは無理と言うことです。地方自治とはまず自治体内で自立を考えることがベースです。

 さらに言えば、住民にとって最も身近な市町村はどのような形態が良いのか。財政基盤を強化するために合併を進めるのか。公共サービスの「物質的な高水準」を否定して独自路線を歩むのか。

 そういう多様性をも認める時代になっているのではないでしょうか。

 「豊かな地方」など抽象的な言葉ではなく、何が必要で何が不要か、そして現在の税収及び期待される税収では何が不足か(例えば地方消費税に頼るのであれば何%でどのくらいの収入が期待されて・・など具体的な数字)も含んだうえで現実的な未来想定をしてもいい時期ではないでしょうか。

 ○○道路ができれば経済は大きく発展し・・などという希望的観測に基づく未来想定はもう良いのではないでしょうか。

 ですから新しい地方交付税の考え方としては、基本的には財政調整機能としての道州向けの交付金は不要だと思います。そうでないと「地方分権」を掲げ、道州として合併する意味がないと思います。

 そして市町村向けに「最低限」をより厳しくした上で交付税を交付すべきだと思います。

 また、国の施策を実施する上で必要な社会保障などはむしろ運用改善又は交付金化された補助とする方がよいと思います。

 そうでないと、補助金を廃止しても単に交付税依存を増しただけとなりかねません。

 こうしてみると、「地方」という言葉でひとくくりにされて、実は道州(県)と市町村の役割分担や道州のそもそもの位置づけ(将来像)がはっきりと分からない、という問題点が浮上してきます。
 

8.役割分担をどう考えるか

 役割分担については、確かに分権会議等で色々議論・フォローアップなどされていますが、そもそもそれが網羅的なのか、そして現状はどうなっているのか普通の人ではよく分からないと思います。

 現実としては、近年の地方自治法の改正で、政令指定都市を筆頭に中核市、特例市など都道府県の事務がいくつも委譲されている市もでてきており、いわば「できるところからやろう」という状態に見えます。

 しかし、この「権限委譲」がくせ者で、一部の権限を委譲された市にはその能力がないためアウトソーシングせざるを得ないという現実があります。
 ちなみにそのアウトソーシング先が都道府県の公益法人であったりし、「権限」の裏に必要なその法律の知識なども含めた執行能力が欠けているところもあるのです。
 結局都道府県が人員削減で業務を少しでも減らしたいから外へ出すという悲しい一面もあります。

 国としては「大丈夫です」「万一の時は県がきちんと協力します」と言われると「地方分権」の建前上それ以上はいえないのですが・・。はっきりいって10年後心配です。

 ましてや、道州制など、本格的体制変更を行うことを積極的に言うのであれば、やはり道州内の体制についてもきちんとした役割分担そして財源委譲の検討が必要だと思います。

 なぜなら住民のことを一番分かっているのはやはり市町村だからです。

 中央集権が単に道州(県)集権になるのではダメだと思います。

 「次は県の合併だ」といいますが、県が道州に変わっただけで、途中に「支庁」なんてのも入ったりして単にシステムが複雑になるだけでは意味がないと思います。

 三位一体も「自治体や国から見た自治(?)の仕組み(枠組み)」の観点ばかりで、我々住民にとって、公共サービスを受けるためにはどのような形態が良いのかという観点が欠けていると思います。

 「住民本位の地方自治」のためにどうするつもりなのか、真剣に検討していただきたいわけです。権限及び財源についても、県から市町村への思い切った委譲があっても良いのではないでしょうか。

 もちろん現状の市町村の体制そして能力では無理なものもあるでしょう。
 誤解を恐れずに言えば縁故採用が噂されるような、のほほんとしている自治体では対応不可能でしょう。
 そういった意味では「ヒトの委譲」も考えるべきです。

 「国の支配」とか「県の支配」とかそういう意味ではなく、国や県がヒトを送り込むというのも必要なことでしょう。

 まずはやらせてみよう、でだめなら国や県からの出向というのが本来の地方自治だと思います。しかし、国民の権利財産に直結することは「だめなら・・」では良くないと思います。
 もちろん、最初から求められれば応じるべきだと思いますが・・。

 ちなみに人を送り込むのであれば、特定省庁(県出身)の特定ポストにしてはならないというルールを作るべきです。
 そうでないと本当に「支配」になってしまいます。

 いずれにせよ、我々住民がどのような公共サービスが最も効率的で、かつ最大多数の幸福を得られるかというのを考えるのが「住民本位の地方自治」ではないでしょうか。

 そういうとき、やはり地方自治の根本は県ではなく市町村であるとするのは政令指定都市を見ていても自然な流れだと思います。
 また、過疎に苦しむのもやはり市町村です。

 少なくとも道州制について積極的にことあるごとにマスコミに出る「知識人」「知事」などは、これらの点について真剣に検討し、具体的な中身(メニュー)を示すべきではないでしょうか。

 特に北川正恭前三重県知事は「新しい日本を作る国民会議」「地方自治体が戦うチャンス」とまで言うのであれば、補助金メニューすべてを洗い出し、また交付金の基準財政需要額の再確認等も含め徹底的に見直すべきです。そして、何より権限委譲の具体的方策及びその実行体制を「現実を含め」目の前に提示すべきです。

 そういった「理論武装」無くして「戦う」などは論外です。
 民主主義の戦争は「理論武装」無くして勝ちはあり得ません。

 これは膨大な作業であり、時間も必要だと思います。
 しかし、それができないのであれば、地方主体の道州制など夢だと思います。要は権限が委譲されてもその道州がきちんと権限を把握できないということですから。

 その道州における行政運営の役割分担、特に市町村の位置づけはしっかりと議論してほしいものです。
 

 他方、過疎地域は、高齢化が進み、財政自体が極めて危機的な状況になっているはずです。そういった自治体はどうすべきか。「振興策」という小手先ではなく、総務省はビジョンを示すべきだと思います。
 特に過疎対策を国がやるのか、道州がやるのかという点は重要です。
 いずれにせよ小手先の補助率嵩上げなどではどうにもならないところに来ているのではないでしょうか。

 例えばこういう命題はいかがでしょう。
問)山間部に住んでいる一族30人程度がどうしても土地を離れたくないといいます。そのためにどこまで道を管理しますか?上下水道は、教育はどうしますか、緊急時(急病等)は?
(参考1)
 都市部の住民は転勤や転校を繰り返しています。また世界中にゴーストタウンはいっぱいあります。
(参考2)
 豪雪地帯では数名のために毎早朝から除雪車フル稼働という地域もあります。相当の費用です。それでも住民にとっては大切なふるさとです。

 これに対する回答を国が用意するのか、それとも道州が自治の名のもと用意するのか。そのための対策や必要な費用は、国が従来法のままで行うのか、交付金などを用意するのか。それとも道州が条例を作成し対応するのか、交付金を用意するのか。

 また、同じ過疎地域でも例えば豪雪地域や離島ではこれもまた条件は異なります。
 それらいくつかのパターンについても検討する必要があるでしょう。

 そういった特別な自治体に対して国がどこまで介入するのか(道州は自らの自治地域内の対応を国に任せるのか)という議論も重要なことかと思います。

 地方分権なら、面倒な地域は国任せというのは正しい考え方だとは思えません。
 

9.まとめ

 地方分権に関する議論はすでに何年もやってきています。

 しかし、分権によって国民が実際どのように得をするのか。何よりそれを最大限活かすにはどのような体制が良いのかという市民本位の議論がなされていないように思えます。

 また、一円でも金を持ってきたという「実績」がほしい政治家や、マスコミで取り上げられるためだけのパフォーマンス政治家に利用されているだけで、未来像(ビジョン)が見えないところが問題だと思います。

 「分権」はすなわち「地方が権利を新たに受ける」というわけですから、改革派の知事がテレビで言っていた「具体案を国に示させる」というのではなく、地方がどういった権利を得るのが最も市民にとって良いのか、どの権利は国に任せた方がよいのか、具体的に示すべきです。

 そうでないと結局よくある「抽象的な陳情書」(「○○については国が責任をもって対応することを強く要望する」)と同様で、国主導の「上からの分権」になってしまうのではないでしょうか。

 いずれにせよ、今回の三位一体改革で最大の疑問は、補助金がすべて地方の自主財源になれば地方分権が進み、地方はもっと良くなるという論調ばかりが目に付くところです。

 地方交付税や地方税、何より地方自治体の将来ビジョンなど様々な点に障害が待ちかまえていると思います。

 批判や一部の問題点の抽出ではなく、総合的な議論を展開するとともに、本気で分権を考えるなら例えば北川氏を中心とした「21世紀臨調」は具体的な項目ごとの洗い出しと検討をきちんとやるべきだと思います。

 例えば国では、所管法律について、これまでの地方とのつきあいを踏まえてどうしたらいいのか担当者は考えています(能力・権限の強さにより濃淡があるでしょうが)。
 権力保持などはマスコミの幻想です。改革を求められている法律について、多くの職員はその法律の運用のために最も良い形態を真剣に考えています。小手先の「国会答弁」ではどうにもならないだろう事は気づいているからです。。

 こういった人たちに対応しなければならいのですから、批判するなら真剣に考えて対案を出した上で批判して欲しいと思います。

 そして「近接県同士仲が悪い」という現実的な問題をどう解決するのかも遡上に上げるべきです。「大同団結」と言えば聞こえが良いですが、「大同団結」は歴史上長く持ったケースは皆無なのです。

 口先やスローガンだけでなく、実行可能を「前提とした」政策を真剣に考えるべきです。世の中をよくしたいと「本気で」考えているのなら・・。

 


 
 

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