1.規制緩和と自己責任

 最近「規制緩和」という言葉をよく耳にしたり、見たりします。
 しかし、「規制緩和」ということを十分理解せず、規制緩和がすべて良いするケースがなんと多いことでしょう。

 確かに無用な書類の提出や手続きの煩雑さ、もはや時代遅れとなった役人による「チェック」、さらには特定業界を保護するためだけの規制などは無駄な規制の最たるものでしょう。
 このようなものは「緩和」どころか「撤廃」すべきものです。

 しかし、一般に規制緩和というのはそれのみを指すのではありません。
 本当に規制緩和が全ていいことなのか。それは実は「個別に」考えないといけないものなのです。
 

@規制とは何か
 規制の善悪を考える前に、やはりまず規制とは何かについて、考えてみる必要があります。

 規制とは、秩序を維持するために行なわれるものです。これを法律などによって行なうわけです。
 ですから単に規制といっても特定条件の出店禁止なども入ります。輸入禁止なども入るでしょう。出版界の自主規制なんてのもありますね。極論すれば、人を殺したらいけないというのも(異常者にとってみれば)規制になるのでしょう。

 これらが果たしてすべて必要なのか。
 答えは明白「まったく必要ない」です。ただし世界中のすべての人がパーフェクトな人間だったら、の話です。

 もっと分かりやすくいえば人を蹴落とし、お金を他人より多くGETしたい、と考える人がいる限り、また発言などによる周囲への影響に気づかないまたは気づいていても無視するような人がいる限り、規制は必要となるのです。

 例えば、性的シーンや暴力シーンなど、子供に悪影響を及ぼすことが明白ですから、それを理解していたら放映しなければいいのです。でもそれを見たい大人(私も(^^;))がいるから、X指定など自主規制をするわけです。

 要は前に極論の例でいいましたが、人を殺す人がいなければ、「人を殺した場合」なんて刑罰は必要ないわけです。
 
 つまり規制は人間が欲の動物であるがために必要なものなのです。もし規制がなければ、欲望のおもむくままの世界ですから弱肉強食の世界になります。

 ですから、弱き者敗者でやる気のない人ではありません!この件については別なところで・・)も安心して暮らせるように国や自治体があって、法律や規則が、あるいは社会があって、社会のルールがあるわけです。常に弱肉強食なら、国なんていらないわけです。

 ですから、規制緩和の議論で取り上げられていない重要な論点として、「規制緩和は、個々人それぞれにとって厳しい社会になる」という論点があります。いいかえれば、規制緩和は弱肉強食でもかまわない部分は弱肉強食にすることであるという論点です。

 これを議論しないと、規制が撤廃されたあとで、なんであの規制を撤廃してしまったんだ、ということになるのです。


2.規制がなくなった後どうなるのか

 規制がなくなった後どうなるか、についていくつかのケースを例に取ってみます。

例1:役所へ提出する書類の削減−有効な規制

 これは一目瞭然ですね。役人である私自身書類の書きにくさ必要書類の不備でパスポ−ト申請やら婚姻届やらを3度も出す羽目になり不満を持った記憶があります。
 ただ、今の日本の「ハンコ方式」は絶対変えるべきでしょう。いくらでも偽造ができますから。

例2:男女雇用機会均等法強化−あまり有効ではない規制

 最近の話題ですが、求人を男○人女○人と別にしてはいけない、と男女雇用機会均等法が強化されました。これも女性の社会進出を促進しようということなのですが・・本当にそうなるのでしょうか??

 具体的には、社会人の方は体験されたこともあるかと思いますが、就職活動の時、学歴や学部などの関係で「面接は受けさせるだけ」で、受けさせた時点で落ちることが決定している、ということと同じになるのではないかという点です。

 私の場合、学部が教育学部なためそれだけでいらないと言われるケースが多く、だったら最初から法学部、経済学部、商学部に限るとしてくれれば他を回るよ、無駄な時間使わせやがって、と思ったものです。

 一方雇用者から見ても無駄な面接の手間が増えるだけです。

 この実態が考慮されない限り、正直言って、現時点では誰の得にもならない規制のように思います。
 この問題はそういう表面的な規制だけでは解決しない問題でしょう。

 この例1,例2は非常にわかりやすく、規制緩和が必要だな、と思う方も多いのではないか、と思います。では次の例を。

例3:金融規制緩和(金融ビッグバン)−間接的な悪影響

 近年金融の規制緩和が行われ、外資系銀行が日本に入ってくるようになりました。24時間CD(キャッスディスペンサ−)の稼働やコンビニのCD設置、新たなサービスを行うことができるようになりました。
 が、その反面、従来の「銀行は潰さない」という大蔵省の規制がなくなり、21世紀は、銀行選びも消費者の責任となります。率直に言えば、今は銀行がつぶれても預金は確保されます。が、21世紀は一定額以上は保護されません。そんな銀行を選んだ人が悪い、となるのです。

 しかしこれは大きな問題をはらんでいます。

 日本の中小企業は、実は大銀行でなく「信用組合」や「信用金庫」といった中小銀行から融資を受け、経営しています。しかし、弱肉強食の時代では大銀行が強くなっていくでしょう。日本人は「寄らば大樹の陰」ですから。
 そうするとそういった中小銀行が苦境に立たされます。それはすなわち中小企業の苦境です。そしてそれは中小企業で働いている方々の苦境になるのです。
 
 このあたりから、本当に規制緩和はいいことばかりなのか少し怪しくなっていきます。民主党が言うように「悪い銀行は潰せ」とやってしまうだけでいいのでしょうか。実際、(都市銀行ですが)拓銀の倒産で北海道経済は冷え切っています。

例4:大店法改正等による規制緩和−消費者も考える時代に

 規制緩和によって、最近は大規模ディスカウントストアが店を構える様になっています。また、夜遅くまで営業しています。しかしこれにより今まであった商店街やスーパーは大打撃を被りました。
 この場合、通常はサービスの向上または専門店化によって商店街やスーパーは張り合います。しかし、今の不況下の日本ではどうでしょう。そうです。サービスなんかより安いほうがいいのです。専門店化もある意味博打ですそこまで思い切れるかどうか。

 その結果、そういう商店街やスーパーは店を閉めざるを得ません。不況を呪いながら  一方、我々消費者もしばらくたって気付きます。あれ、近所のお店がなくなったから、いちいち郊外や大きな町まで買い出しにいかなくちゃいけないから面倒だなぁ、と。コンビにには売れ筋商品しかないし、種類も少ない。そもそも食料品と日用雑貨中心だ、と。

 もちろんそれが苦ではない我々若者にとってはまったく関係ありません。

 しかしこれは体が若干不自由になりかけている人、あるいは病気になってしまった人、さらには多忙で、時間がなかなかとれない人より一層痛感させられるでしょう。
つまり、「便利」と「金」を引き替えたのです。

 ちなみにわたしの家の最寄り駅に「マイン」というスーパーマーケットがありますが、その店は駅前で便利もいいし、夏は9時までやっているし、結構安売りもしています。
 まあディスカウントストアと比べると若干高い傾向は否めませんが、それでも、私としてはこの店に潰れてもらっては困るので、なるたけそこで買うようにしています。便利を買っているのです(苦言を呈するなら、4Fの100円ショップと競合する製品は撤去して、更にこの分野(例えばペット用品等)は近所のどの店より揃っている、という特徴を作ればいいと思いますが)。
 ここまで認識してお店を選ばないといけないのです。
 しかし、ここまで考えなければいけないのは面倒なことじゃないですか?

例5:飛行機業界の規制緩和−価格競争が最悪の結果に
 もうひとつ、これは米国での例を挙げましょう。
航空機は整備が命です。なぜなら故障即大事故につながるからです。しかし、ある航空会社は競争のため安い運賃を売りにしてました。そのため機体は中古、整備用人員も極力切り詰めるということを行なっていました。これが適正な範囲内で行なわれていたのならいいのですが、競争はその限界を越えてしまったようです。専門家の懸念どおり、大事故が発生してしまったのです。
 しかし安いということはそういうことなのです。いわば安全を金で売ってしまったといえましょう。

 このように、一言で規制緩和と言っても幅が広いことがわかります。いよいよいろいろ考えて行動することが求められていくるのです。もちろん考えるためには勉強しないと考えられません。ですから、非常に大変な時代になりつつあるということになるのです。
 


 
3.規制緩和が日本経済や我々国民に及ぼす悪影響

 さて、規制緩和が及ぼす悪影響について考えてみましょう。忘れてはならないのは、販売者、あるいは生産者はつまり商店街の人やサラリーマン、工場の技術者は一方で消費者ということです。

 この単純な図式に気付いていない(あるいはわざと無視している)論調を示す大新聞や政党機関誌があるのは驚きです。これは言うまでもなく戦前からのイデオロギーのせいです。つまり資本家対労働者という構図に日本人は戦後だまされつづけていたのです(労働組合は労使の話し合いの場として重要ですよ、念のため)。

 一言で言うと、社会の大半がサラリーマンである日本では、安い価格を求める消費者は、その安い価格をむりやりひねり出す生産者であるということです。ですから、競争が進めば進むほど、販売も苦労することになります。

 もっとストレートに言えば、競争に勝つために、安い値段を「作り出す」ために経費節減をします。企業は余剰人員を抱えられないということになり、リストラが発生するということになります。
 一方でリストラされた人たちは失業者ですから、当然消費に回す金はなくなります。そういう人が増えるとより一層景気は冷込みます。
 つまり企業や商店、工場が儲からないと、消費者は財布の紐を閉めますが、それは回り回って自分の首を絞めているということなのです。

 最近のCMで、宝石(アクセサリー?)を買おうとしたおっちゃんが、「なんでその商品無いの?」ということで文句を言って、言われたお店が卸売商に連絡とってみると、その卸売商はメーカーに電話をかけ・・とたどってみると実はそのおっちゃんのせい、というのがありました。まさにそういうことにあるのです。

 さらに、個人のレベルで考えると、他社との競争に勝つためには、その会社が相当に努力していなければなりません。それはすなわち、従業員に努力を求めることになるのです。今までのように仕事が終わったらナイターを見、土日はゆっくり休む、なんて時代は終わりつつあるのです(残念です(笑))。

 上司との関係だけうまくやっていればいい時代は終わり、そんなことして、上司に能力がなければその会社は倒産して終わり。誰も助けてくれない。そういう時代が来てしまうのです。

 ですから個人個人が相当に労力を費やし、これまで以上に能力を持つための努力(机上の勉強のみでなく、社会勉強も含みます)をしなければならないということになります(これは疲れますねー)。
 
 つまり、規制緩和は競争激化ということで、消費者にとっては価格の低下等で望ましい情況を招くかもしれませんが、逆にみると、労働条件を厳しくしている事になるのです。

 もちろん、この状況は、海外から商品がどんどん入ってくるようになり、日本国内で、数社が安穏と経営していた時代と異なり、海外と競争しなければならなくなったのですから、仕方のないことといえます。

 今までの日本的な「出る杭は打たれる」を駆使すれば、成り上がるのはたいへんな苦労です。成り上がり者はよってたかって潰されるからです。結果、日本では「伝統的な」会社がずっと力をもち、しかも年功序列ですから、仕事の能力より人付き合いのよさが要求されることにります。「接待」なんてのはまさにそういうものでしょう。

 しかし、海外の会社はそうはいきません。日本的な「出る杭」を打てなくなったのです。
かくして規制緩和の名のもと真の自由競争が始まりまるのです。

 規制緩和は自らの労働条件を苛酷にし、自らリストラを作りやすくする状況に他ならないのです。きちんと努力をした人には得るものは多いですが、これまでの日本には合わない考え方といえます。でもそれが現実になってくるのです。

 ガリ勉や受験勉強などといって、そういった人を阻害し、「ゆとり」の教育なんて言っていますが、実態は、スポーツでも、何でもいいですから自分の得意分野を早く見つけて、それを磨き上げる、そうでないとつらいことになってしまうのです。
  
 このように、規制緩和は日本経済にとっていいことばかりではありません。

 個人的には、役所の「手続き」的な部分の規制緩和(というか、業務合理化)を除いては、本当にわれわれにとっていいことがあったのか疑問です。

 もう流れはその方向へ進んではいますが、新聞などでそういった記事を見るとき、是非そこで、本当にそれでよかったのか、必要な規制緩和は何かを考えてみて下さい。本当は我々が大変になることがある、はずですから・・・。

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