第2日目(8月18日・金曜日)
睡眠時間4時間10分、午前4:40に起きる。これから僕とTsは車で釧路に向かい、他の3人は列車で釧路に向かい、駅前で合流という尋常ではないプランである。もっとも、札幌から釧路までは350km、東京から名古屋に匹敵する距離があるのだ。こんな距離を5人も乗って運転するとなると、狭いし苦しいし腰も痛いし燃費も悪いし・・・乱心したとしか思えないプランだが、これでも計画を立てた僕たちはカンペキだと思っている。
予定どおり午前5時にまずはTsがハンドルを握って出発。さすがにこんな時間だから道路はガラガラ、快調なペースで車を進める。6時過ぎに夕張のコンビニで食事をし、僕がハンドルを握った。7時過ぎに列車組が『スーパーおおぞら1号』にキチンと乗ったことを確認し、いざ日勝峠へ。その手前で10台まとめて追い越しというムチャをし、峠をすごい勢いで上ってかけ下り、時間を稼ぐために道東道へ。8時ちょうどに十勝平原SAに到着し、休憩する。気づけば、峠を含めた130kmの区間を90分で駆け抜けてしまった。いくらなんでもやりすぎと反省し、この先はTsに運転を頼む。それにしても、十勝平原SAは“平原”と名付けるだけのことはある。周囲は牧場だらけ。SA内にはトイレと自販機しかない。売店さえないSAっていったい・・・
池田で高速を下り、一般道を走る。なんだか貧弱な道路だ。道東道が完成してないから下ろされただけのことはあり、なんともマニアックな道を走る。なんとか豊頃を過ぎたあたりで国道に出て、ペースを掴んで走っていた。そういえば、列車組はどこだろう?
「帯広を出たよ」
何!?僕たちの車は、列車より2時間も早く札幌を出発した。ところが、列車はすでに僕たちの後方50kmにきている。列車なら40分のリード、といったところか。これでは釧路に先に着かれてしまうかも、と冗談混じりに言っていたところ、ほどなく「池田を出たよ」と連絡が入った。これは本格的にマズい。にわかに緊張してきた。
『スーパーおおぞら』の車内より大平洋を撮影(写真提供・へら氏)。
列車に追いかけられているというプレッシャーの中、Tsがどうしても見せたいものがある、と車を国道脇の駐車場に止めた。そこは・・・“マグニチュード7.8パネル館”!数年前の十勝沖地震の写真パネルが展示されている。道路の被災状況や復旧工事の様子、新聞記事などだ。なんでこんな道路脇に?とは思うが、こういった展示好きの僕は興奮、Tsは連れてきてよかったと喜んでいる。
ドライバーは再び僕だ。後方の『スーパーおおぞら』の現在地はどこだろう?道は流れているものの、まったく空いているわけではない。淡々と車を進めてはいるものの、いつバック・ミラーに列車が映るのかと思うと、本当に気が気でない。さすがJR北海道が誇る俊足特急『スーパーおおぞら』、敵ながらあっぱれ・・・心臓に悪い追いかけっこは、結局僕たちがリードを守りきり(けっこう信号にひっかかったのに。列車が塩を送ってくれた?)、釧路駅前に列車到着4分前に着いた。
到着した瞬間のこと。無性に、どうしても、とめどなく、列車に乗りたくなった。実は、今回の旅行でたっぷりと列車に乗るとしたら、ここで飛び乗らねばならないのだ。そこで、『スーパーおおぞら』から降りてきた相棒Tたちがこっちに来るなり、「ちょっと列車に乗ってくるわ。厚床で会おう」とだけ言い残し、列車に飛び乗ることにした。相棒Tにせかされ、そそくさと駅に向かう。
突然の1人鉄旅行が(自発的に)始まった。釧路11:04始発の快速「ノサップ」(3631D)根室行き、この区間3時間ぶりの下り列車である。もちろんキハ54単行でたったの1両、車内はそこそこ混んでいた。座れずに、運転席のすぐ後ろから立って前を眺める。どーせ80分ほどしか乗らないのだ、立ってたってそんなに気にはならない。
列車は、熊笹に覆われた森の中を走る。僕の敬愛する紀行作家・宮脇俊三氏が「もっとも北海道らしい」と表現するこの区間は、いつ熊が出てくるかという気がしないでもない。そんなヤブの中を走るうちに、外は雨になってしまった。昨日とはうって変わって、太平洋側の悪天候にガッカリだ。
厚岸に着いた。ここはカキの名産地だが、まだカキには早い。駅弁にカキめしくらいはあるだろうが、買っているほど時間さえないのが残念だ。ここで首尾よく席に座れたが、その途端に睡魔に襲われしばしまどろむ。外は雨で、厚岸湾越しの遠くの方が見えないからだ。15分ほどして、気づくと列車は牧場のそばを走っていた。雨が強くなったようで、放牧されている牛も濡れそぼっている。反対の車窓には、この路線と平行して走る国道44号だ。Tsたちよりこっちのほうが早く厚床駅に着くはず、連中はいつ着くか?と思っていたら、列車と同じ速さで走り、なおかつこっちに手を振っている見慣れた車がいた。なんちゅうスピードで追いかけてきたんだ・・・
厚床に着いたのは12:28だった。列車は定刻、車は予定より30分の早着。まあ、僕がいないぶん車が軽く、快走できたのだろう。ここで僕がハンドルを握る。・・・出発と思いきや、早めの給油を心掛けることにし、いきなりの仕切り直し。そして、目指すは日本最東端の納沙布岬だ。給油したにもかかわらず、さっきの列車が根室に到着するよりも早く根室駅前を通過し(笑)、さみしい道を東に進む。人家はポツポツとあるが、大きな木はない。風が強いので、樹木は育たないのだろう。悪天候と相まって、さいはての感が強まる。
納沙布岬は、強風が吹き荒れていた。海の方に突き出した場所だから、モロに風が顔に当る。風速は10m以上で、体感気温は15度以下だ。相棒Tはジャンパーを着込み、準備万端だ。僕は覚悟の上での2枚着なのだが、さすがに寒い。岬の突端まで行く前にこごえてしまい、先にみんなで昼食を取ることにした。入ったのは“日本最東端の食堂”の隣にある店だ。全員でサンマ丼とてっぽう汁を注文し、待つことしばし。サンマはワサビ醤油漬けになっていてやや辛く、しかもやや凍っている。反対に、てっぽう汁には大きな花咲がにが入っていて、料理ばさみでかにを分解しながら食べるのである。かにと格闘したので、みんなほとんど無言。
食事を終えて体が暖まった。いよいよ日本最東端の地に立つのだ。相変わらず小雨混じりの強風だが、辛うじて水晶島も見える。海は白波が立って、岩に波があたると東宝映画のオープニングみたくなるのだが、波打ち際の手前まで降りてみた。このとき、僕の立っている場所よりも東には日本の国土はないのだ。当たりまえなのだが、妙に感激した。
まごうことなき最東端に、これみよがしの日の丸。
「北方領土返還」祈願の碑。(2枚ともまるねさん撮影)
みんなで森進一『襟裳岬』を替え歌し、「♪のぉ〜さぁぁっっぷぅのぉぉ〜、はるぅぅ〜がぁ〜」と熱唱しながら車に戻り(日本最東端のバカである)、僕が列車から降りた厚床駅に戻る。この日に東京を発った人と合流するためだ。待ち合わせ場所としては非常識のようだが、この日の行動予定から考えた絶妙の合流箇所なのだ。問題は、その人が夜勤明けで寝ていないこと。居眠り運転してないだろうな・・・
予定より少々遅れて無事合流、レンタカーとTs車の2台となって北上する。目指すは野付半島の先のほうにある、トドワラだ。野付半島は、半島というにはとても不思議な地形をしている。手元に日本地図があれば、とりあえず確認してみてほしい。できそこないの湖岸のような形をしている野付半島だが、ここは28kmにも及ぶ砂嘴であって、2000万年もの年月で現在のようになったということ。つまり、もともと何もなかったところから、2000万年で現在のようにニョキニョキ伸びていったのである。そんな野付半島は長かった。野付半島の入口からトドワラまで(=道路が通じているところまで)十数kmもある。その先もまだあるのだから、それだけの距離もの砂嘴ができていったのだ。地球の力、恐るべし。
車を止めてからさらに歩くこと15分。トドマツの林が、過去の台風で波に洗われてしまい、立ち枯れたトドマツが残っているだけのところであるトドワラ。天気が悪いせいか、物悲しさがいっそう強まってくる。立ち枯れている樹木が主役だから、そのうちに枯れたトドマツも姿を消すであろう。そうすると・・・札幌の繁栄ぶりと比べると、この寂寥感をどう表現したらいいのかわからない。
トドワラはこんなかんじ(僕がへら氏のデジカメを奪いとって撮影)
この日の宿は、国民宿舎だった。夕食にルイベ(鮭の半冷凍刺身)が出るというサービスに感激!調子に乗ってビールを飲み、冷酒(“北の勝”だった)も3本注文した。出てきたのは、冷酒2本にそばつゆ1本(残ったのを冷酒の空き壜に移していた?)。酔ってたせいかまったく気づかず、そばつゆの日本酒割りをあおってしまった。いまだに、こめかみの奥にその味が残っている。