第2日目(3月1日・金曜日)
本格的に目が覚めたのは6:10だった。やや寝不足なのだが、カーテンを開けると気持ちのいい青空が広がっていた。列車も遅れを取り戻し、定刻で走行中だ。
さて、あと3時間で札幌到着だが、その前にお楽しみタイム。長万部を出てすぐに、食堂車の営業が始まったというアナウンスがあったのだ。僕は朝食のことをあまり考えていなかったし、食堂車では軽食の販売もしているとのことだが、昨晩のパブタイムで、食堂車での食事にすっかり味をしめてしまっている。これは行ってみなきゃ。
食堂車の朝メニューは、洋定食か和定食(どっちも1600円)しかない。しかし、和定食は数に限りがあるので、そっちにしてみた。お重に入ったお弁当風の定食で、温かいご飯に味噌汁に焼き魚などだ。特に変わったモノが入っているわけではないのだが、フルーツが充実しているのがよい。量もたっぷりとしているので、まず間違いなく満腹になるだろう。それにも増して楽しいのが車窓である。僕は海側の席に陣取ったので、晴れた空の下、窓の外は輝く内浦湾だ。小さな港では、漁船のそばで漁具の片付けをしている人も見えた。大漁だったのかな?それにしても沿線は雪が少ないなあ、これだけの直射日光で融けちゃったんだろうな、などと味と風景に朝から御満悦である。ところが、僕の背後の席のオヤジはビールを2本と和定食を注文し、定食をちょこちょこっとつまんで席を立ってしまった。数量限定メニューをそういう食べ方するんじゃない!なお、食堂車の片隅の1テーブルが売店代わりになっていて、サンドイッチや新聞にコーヒーなどを売っています。
食後のひとときをウトウトするというぜいたくな時間の過ごし方をしていると、列車は苫小牧に到着した。時計を見ると・・・あれ?12分も遅れている。ついさっきまで定刻だったのに??こうなると心配だ。札幌で、次の列車の待ち合わせ時間は最大で40分もあるのだが、やはり気になってしまう。結局、札幌到着は9:37、17分遅れ。なお、札幌駅では機関車と最後尾の客車がホームにかからないので、撮影される方は御注意を。
札幌(940)―深川(1052) 13D 特急オホーツク3 札幌→網走
当初は10時ちょうど発の特急「スーパーホワイトアロー」7号に乗ろうと思っていたのだが、撮影だけのつもりで「オホーツク」3号が発車を待つホームに行くと、自由席は空席だらけだった。特急券をまだ買っていなかったのだが、自由席特急券は車内でも買えるし、お席に余裕がある・・・乗っちゃうか。席に座ったとたんに、「オホーツク」は発車した。
気動車なのにやはり特急、列車は快足をかっとばして石狩平野を走る。たまに線路脇の雪を吹き飛ばすことがあるので、見ていておもしろい。眺めているうちに咽が乾いてしまったのだが、さっきから車内販売が来ないことにふと気づいた。通りかかった車掌さんに聞くと、5号車にいるんですけどねぇ、とのこと。結局、販売が始まったのが僕が降りる数分前で、僕の座席まではやってこなかった。
車内から撮った石狩平野。
深川駅で降りるのは3年半ぶりである。そしてこれからは今日のメインイベントである“廃線再訪”だ。しかも沿線は豪雪極寒地帯だけに、自動的に期待がどんどん高まるのがわかる。さらに現実的な高揚をするため、出発前にバスの時刻を再確認することにした。11:44発だ・・・あれ?下調べでは11:30発のはず。何だろう、この「2月1日にバスダイヤが変わりました」という注意書き?僕の手持ちの時刻表は1月現在の時刻が載っている?しかも、「2月1日改正予定」という注意書きを見落としていた?・・・しまった!あわてて駅の旅行センターにあった時刻表(最新版)を借り、時刻を再確認する。幌加内では同じ会社のバスに乗り継ぐのでうまく接続してくれるだろうが、名寄では別のバス会社へ乗り継ぎだ。背筋を冷たいものが走る。名寄でうまく接続できなければ、予定が加速度的に悪くなってしまうのだ。大慌てで確認することしばし、なんとか最悪の事態は逃れることがわかった。モトから想定していた“第2案”に、なんとか間に合う。よかった!
深川(1144)―幌加内(1303) ジェイ・アール北海道バス(深名線) 深川→幌加内
旧深名(しんめい)線は、今から6年半前に廃止になった路線である。今でも覚えているのだが、6年半前、すなわち廃止の1ヶ月ほど前に、僕は深名線に乗りにきているのだ。そのときが僕の初めての北海道旅行だった。光陰矢のごとしとは言うが、6年半ってずいぶんな時間だな、と思う。
旧深名線バス転換の、ジェイ・アール北海道バス。
バスはしばらく線路跡から離れたところを走ったのだが、いつのまにか、線路跡が道路のすぐ脇を走っていた。さすがに廃止からまだ6年半だ。トンネル、鉄橋、築堤、雪よけシールド・・・いろいろな遺構がきれいに残っている。旧幌成駅舎もバッチリ残っていた!線路だけ敷きなおせば、いつでも列車が走れそうな雰囲気だ。でも、列車は二度と走ることがない。
バスの車内より撮影した、旧深名線の鉄橋。
深川から乗った乗客は10名ほどいたが、徐々に降りていってしまった。残るは僕を入れて3名だ。車内は差し込む日ざしでポカポカして、とても気持ちがいい。深川のコンビニで買っておいたおにぎりで昼食を済ませると、さっそく睡魔がやってくるほどである。これでは、僕が期待していた極寒も豪雪もダメだ。まったくおだやかな初春の午後であって、周囲の雪もあと2〜3日で融けちゃいそうな(気温は―3度だからそんなことはないのだが)気がしてならない。
幌加内には定刻に着いた。料金を払って降りようとすると、どこまで行くのと運転手が聞いてきた。次のバスで名寄ですけどと答えると、このバスを俺が運転して名寄まで行くんだよ、とのこと。ならばと荷物をそのまま置かせてもらって、しばし休憩である。バスを降りて新築のターミナルの2階に行くと、そこは深名線の鉄道記念館となっていた。きれいな記念館で、なんとタダである。しかし、見るべきものや珍しいものがない(特にウリが見当たらない・・・)から、わずかな時間で見学できてしまった。
幌加内(1318)―名寄(1520) ジェイ・アール北海道バス(深名線) 幌加内→名寄
乗客は僕を入れて3名だった。幌加内ターミナルから出発したバスは、さっそく旧幌加内駅前に向かう。何か面影が残っていないか・・・と思ったら、なんと駅舎は火事で消失してしまったんだと!雪の積もった単なる空き地(舗装はされている)となっていた。
乗客が徐々に降りはじめた(!)。なんと、政和から貸切となってしまったのである。乗客が僕だけなんて!だが、そうなると運転手さんとくっちゃべるのは自由だ。中年と呼ぶにはちょっと失礼かな、くらいの運転手さんで、さすがに勤務中だから話が弾むことはないが、写真撮るなら向こうがいいよ、どこも真っ白だけどね、とか、時間調整するからコーヒーでも買ってくれば?とか、ちょこちょこ気を遣ってくれる。そこで、僕が期待していた豪雪について聞いてみた。僕が思っているよりも積雪が2mほど少ないのですが・・・ここ数日の陽気とこの間の雨で融けちゃったんだよね、とのこと。残念。では、気温が僕の期待よりも15度ほど高い(現在―3度)のですが・・・うん、ここしばらくずっと暖かいよね、もう3月だもんね、とのこと。えぇ〜、まだ3月になったばっかりじゃないですか。
バスは旧朱鞠内駅に着いた。幌加内に続いて、堂々としていた駅舎は跡形もなくなり(維持が大変だったらしい)、現在はこぎれいでこぢんまりしたバスの待合所になっている。そのロータリーはあまり除雪されていないのか積雪が1.2mほどあったのだが、やはり期待よりはずっと少ない。僕の期待が過剰だったのかなあ?その後もバスの貸切状態は続いた(乗客1名ってのはあまりないことだそうな)のだが、運転手さんと話ができるなんてあまりない経験だから御満悦、貴重な90分だった。ただし、僕のバス代だけではバスの軽油代にしかならない。
朱鞠内湖付近の風景。
名寄(1552)―興部(1725) 名士バス 名寄→興部
当初、このバスのもう1本前に乗る計画を立てていた。その40分後に出発するこちらの案だと、紋別到着前に日が暮れてしまうのが気に食わなかったのだ。しかし、1本前に乗ることはできないのだからしかたがないし、それよりもこのバスを逃すとホントに大変なことになるので、そんなに文句は言っていられない。そんな“第2案”のバスの乗客は10名程度だったが、徐々に減って再び貸切寸前である。
このバスは旧名寄本線に沿って走るので、至る所に鉄道遺構が垣間見えるのだが、その他は真っ白で見るべきところがない。とても地味なモノだ。旧名寄本線は札幌からの急行も走っていたはずなのに・・・そのうちにウトウトしてしまい、気づいたら見事なまでの定刻に興部(おこっぺ)に着いた。もう日が暮れかかっていた。
興部(1735)―紋別ターミナル(1820) 北紋バス 興部→紋別ターミナル
さすがに日が沈むと寒い。気温は―5度くらいのはずだが、都内では味わえないほど風に鋭さがある。寒いので待合室に入ってみると、廃線鉄道資料の展示コーナーがあった。ホントに申し訳程度で、これを目当てに来る人もいるまい、というモノである。ちょっとしか時間がなかったので、一瞥をくれただけでバスに乗車することにした。
まもなくオホーツク海というこの町で、この日最後の乗り換えは順調にいった。・・・のだが、発車してすぐに真っ暗になってしまって、何も見えない。あわよくばオホーツク海と流氷と旧名寄本線跡を見るつもりだったのだが、それどころではない。乗車時間も大したことないので、そのうちに紋別に到着してしまった。
紋別
ホテルは、バスターミナルから5分ほど歩いたところにあった。ここでTsと合流する予定なのだが、彼は仕事を定時に切り上げて、網走からこっちに向かってくる。到着までにだいぶ時間があるので、ホテルに荷物を置いて、軽く散歩に出かけることにした。
滑らないように注意しながらバスターミナルまで戻り、すぐ隣の旧紋別駅跡を探してみた。ところが、整地されてしまってまるで面影がない。まあ、ごく少数のファン以外に無用である廃駅なんか保存したってしかたないのだろうけれど、何も面影がないのは、それはそれで寂しいものだ。
さて、紋別の町は人口3万人とはいえ、とても地味なところである。よっぽど奥ゆかしい人ばかりなのか、通行人がまるでいない。流氷がウリなのであるから、流氷を前面に押し出した観光都市で、観光客で溢れかえっていると思っていたのだが、そんなことはないようだ。ぶらぶらと歩いていると、あるバーの入り口で、某テレビ番組で問題になった“ロシア人立入禁止”の貼り紙を見つけてしまった。あまり気分のいいものではない。
ホテルに戻ってくつろいでいると、思ったよりも早くTsが到着した。一緒に食事をすることにしていたので、さっそく2人して外に出る。ホテルから程近い飲み屋街から旧紋別駅付近をぐるっとまわり、どこで食べるか思案。どうも食事に向きそうな店がないことはさっきの散歩でわかっていたが、改めて困惑。そこで、“おふくろの味の店”といううたい文句のお店に入ってみた。すると、女将さんがひとりでテレビを見ながらたばこを吸っていた。なんちゅう店じゃ・・・僕の中で緊張感が増す。いったいいくら取られるんだ?恐る恐るではあったが、焼き魚をメインにおまかせで作ってもらった。ホッケとなめたガレイを注文すると、思ったよりずっとうまかった。突き出しのトビコもうまかった。味噌汁はお代わりをした。さっきの緊張感はどこへやら、とてもその店が気に入ってしまったのである。というのも女将さんの話だ。その昔、青函連絡船と夜行列車を乗り継いで、我らが上野に来たことがあるという。まさか、紋別の町でアメ横の話をするとは!気分よくしゃべっていると、常連客と思われるおばさん(この人も不思議な人だった)が1人で入ってきた。いったいどういう店なんだ?というある種の不信感は増大したが、さらに盛り上がりをみせる上野話・・・値段も良心的だった。氷点下の町の中で、僕は程よく暖まった気がした。