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第3日目(3月2日・土曜日)

 ついに、念願の流氷アタック日である。8時発の船を予約しているのに、7時前に起きた。早いところ流氷を拝みたい一心である。そのために紋別までやって来たのだから、期待するなというほうがムリなのだ。

 ・・・だが、その期待も失望感に包まれた期待なのである。というのも、この日は流氷がいないのだ。流氷は風向きによってしょっちゅう動くので、いったん接岸しても、そのまま春まで居座るわけではない。僕が出発する前に逆風となってしまい、流氷は沖に戻っていってしまったのだ。このことは、実は出発前に調べがついていた。その一方で、風まかせで再び接岸することもあるとの期待を込めて、わざわざ紋別まで来たのである。ただ、前日にもたらされたTsからの最新情報だと、流氷が陸地から遠ざかること20kmと・・・

 ホテルを出て、一応の期待を込めて海を見る。しかし、見渡す限り流氷はいない。それどころか、ここ数日の陽気で残骸までもが全部融けてしまったようだ。オイオイ、網走で流氷の残骸を去年に見たのは4月だったぜ・・・?前日夜の“おふくろの味の店”で、せっかく来たのに残念だったね、などと言われたことが頭を過る。あきらめきれずにガリンコ号の船着き場までは行ってみたが、やはり流氷は見えない。もし乗船したとしても遊覧時間は1時間だから、流氷の密集する沖合20kmまでは行けないだろう。もうダメだ、念願のガリンコ号をあきらめるしかない。くやしいのだが、自然には勝てない。縁がないと思うしかない。

 気を取り直して、マニアックな廃線跡巡りに切り替えた。紋別から北上し、狙うは旧興浜南(こうひんなん)線(興部―雄武間)と、旧美幸(びこう)線(美深―仁宇布)の終着駅である仁宇布(にうぷ)に行ってみることにする。そこからどこか温泉でも行って、気分転換に外来入浴でもしようよ、というつもりだ。

 僕がハンドルを握り、順調に走る。路面はバッチリ凍結しているのだが、ヒヤっとしたのは1度だけで、そんなに恐怖は感じない。余裕をもって運転すれば大丈夫なのだが、それでも“ええ?これで?”という一瞬があるから気は抜けない。だいぶ慣れてきたころ、風雪が強まってきた。周囲はどんどん暗くなり、雪は横なぐりに吹き付けてくる。前車のテールランプがあまり見えない。センターラインなんかもちろん見えず、対向車のヘッドライトから、なんとか道路の中央を把握する始末だ。完全な吹雪である。午前中に低気圧が通過するという天気予報だったが、こんなに荒れるなんて・・・おっかなびっくり運転すること40分ほどだったろうか、やっと風雪がおさまってきたところで、雄武のバスターミナルに着いた。旧雄武駅もここだというが、整備し直したようで、まったく面影のようなものはなかった。

 旧興浜線は、興部と浜頓別(はまとんべつ)とを結ぶ目的で建設された。だから、両者から1文字づつをとって“興浜”線と名付けられたのだが、浜頓別からの北線は北見枝幸まで、興部からの南線は雄武まで、それぞれ建設されたところで工事はストップした。いや、厳密に言えば、全線開通を目的に工事は進められたのだが、国鉄末期になって工事が中止され、さらに興浜南・北線ともに廃止されてしまったのだ。開通していたら、オホーツク海に沿う絶景の路線だったろうことが想像できるものの、現在のバスダイヤは興部―雄武間と浜頓別―北見枝幸間にそれぞれ1日6往復。北見枝幸―雄武間の列車が通らなかった区間は、わずかに4往復である。

 吹雪の中の運転で神経を擦り切らせてしまったので、とっとと交代してもらい、今度は雄武の町はずれから仁宇布へと向かう。旧美幸線の終着駅だが、こちらも美深から北見枝幸まで計画された路線で、美深と枝幸から1文字づつとって“美幸”線と名付けられた。美深から途中の仁宇布までが先に開通し、その先の工事もほとんどが完成したものの、興浜線と同様に工事は中止され、鉄道は廃止となってしまったのだ。その終着駅だった仁宇布に行ってみたのだが、そこはとてもとても小さな集落だった。

仁宇布の市街地にて。

 

 仁宇布から再びオホーツク海沿岸の乙忠部(おちゅうべ)に抜けると、その途中に旧美幸線のトンネル跡などが随所に見られる。そう、一度も列車が通ることがなかったトンネルだ。一部は車用のトンネルとして新たな生命を与えられている(天の川トンネルなど)が、打ち捨てられたほうのトンネルは逆に物悲しい。巨費を投じて路線を作り、そして完成直前で工事を中止し、また巨費を投じて再利用か最終処分・・・これ以上の赤字を生まないための国鉄の英断である、ということは言えるかもしれない。しかし、全線開通の直前まで進められた工事は・・・?“美”と“幸”というキレイな文字なのに、廃止直前には“日本一の赤字線”として王座に君臨した美幸線。その行く末は“不幸”だったのである。

中央が、列車が通ることのなかったトンネル。

 

 乙忠部から再びオホーツク海沿岸を南下する。天気はけっこう持ち直してきて、風は相変わらず強いものの、雪がだいぶ弱まって時折薄日も差すほどである。気温は朝からどんどん低下して氷点下7度ほどなのだが、さっきの吹雪からまだ2時間、あれはなんだったんだろう?という気がしてならない。通り雨ならぬ通り吹雪?でも、朝方に低気圧が通過するという予報だったのだから、ちょうどヒドい時間帯を僕が運転してしまったのだ。そこで、雄武まで戻ったところで再び僕がハンドルを握る。

 そのままイッキに網走まで行っちゃう?などと軽口をたたいた(すでに温泉のことを忘れている)が、その前に、もう一度興部のバスターミナルに行くことにした。というのも、昨日は夕方で暗かったから気づかなかったのだが、バスターミナルの場所がそのまま旧興部駅で、古い列車も展示してある、とはTsの言葉。これは素通りできない。なお、雄武からオホーツク沿岸を南下してゆくと、自動的に興部を通ることになる。ホントに横着な寄り道っぽいが、これはまぎれもない廃線跡巡りだ。

 18時間前に利用したバスターミナルで、18時間前に見た鉄道資料展示コーナーを再び見学するが、何度見ても申し訳程度に見えてしまう。一方、お目当て展示してある古い列車だが、本来はバックパッカーの簡易宿舎として利用されているらしいのだが、こんな真冬にバックパッカーなんてまずいないし、外装の保護のためだろう、キチンとシートがかけられていて、中が見られなかった。冬だとつまんないなあ。

興部のバスターミナル。展示してある列車は建物の右隣にあります。

 

 再び紋別に向けて南下する。時間的にそろそろ昼食ということになるのだが、紋別で手軽に食事のできる店なんかあったっけ?という心配が出てきた。国道沿いにドライブインでもあればいいのだが・・・道中、なぜか沙留(さるる)市街で旧名寄本線跡を探したりという寄り道をしたが、めぼしい成果を挙げられず(だって真っ白なんだもん)、空腹度が増しただけである。どこかでメシ食えるところ・・・そうだ、空港のレストランは?

 紋別にも空港がある。“オホーツク紋別”という空港だが、1日に羽田と札幌(丘珠)からそれぞれ1便づつというつましい空港だ。以前に行ったことがあるTsの言によると、カウンター式のレストランがあるよ、とのこと。うむ、空港なら定休日ということはあるまい。紋別の町からちょっと南にある空港に向かった。

 オホーツク紋別空港は意外にもこぎれいな空港で、ちょうど丘珠行きの便が出発ようとし、東京からの便がまもなく到着というタイミングだったので、お客さんで溢れていた。せっかく来たのだからと、寒風吹きすさぶ展望デッキで今やレアとなったYS―11(丘珠行き)を撮影。ついでに東京からの便も撮りたいのだが、遅れているとのこと。なのでそのスキにレストラン(10席くらい?)へ行き、2人して“海の幸カレー”なるモノを注文してみた。ロクに期待していなかったのだが、大きなほたてや海の幸があれこれ入っていて、空港のレストランの割にはとっても豪華。しかも、僕好みの辛さがたまらない!感動していると、隣では辛いのがからきしダメなTsがもだえていた。

 遅れていた羽田からの便を撮影してから出発。それからしばし、ハンドルを握っていた僕は雪道に安心しすぎたのか、ややスピードを出しすぎていた。助手席のTsが、危ないよぅと言い、僕もちと速いなあと思ったとたん!突如、車はセンターラインを大きくはみだし、尻を振りかけた。普通に走っていた(つもりな)のに、どうしてこんなことに?まったく予期せぬ挙動だったが、アクセルを固定してハンドルで調整(カウンターを当てるとグリップしたときに危険)し、なんとかスピン未遂で済ませたのが不幸中の幸い。とにかく、ちょっとした下り坂がツルツルに凍結していたのである。対向車が来なかったのが何よりも幸いだったが、さすがに肝が大いに冷えた。

 湧別の町にやってきた。こんどは旧名寄本線の支線である“旧(通称)湧別線跡”探訪である。といっても、旧中湧別駅(ホームや跨線橋が保存されている!道の駅の片隅にあり)から海の方にのびる直線道路が、線路跡だろう。ただ、その道に沿って旧湧別駅跡と旧(仮)四号線駅跡を探しても、さっぱりわからない。道路が妙に広いことから、キチンと整備されてしまったようだ。

旧中湧別駅はこんな感じで保存されています。なお、跨線橋は渡れません。

 

 湧別からは、旧湧網線(遠軽―中湧別―網走間)沿いに南下する。やはりオホーツク海に沿う区間が多い路線だったのだが、一部、サロマ湖から離れた佐呂間町の中心部をも通過している。そこも忠実にトレースしてみたが、どうもよくわからないところばかりだ。面影“らしきモノ”はあるのだが、駅間の旧道床などは整地されたのかなんなのだか、真っ白なためによくわからない。逆に、旧芭露(ばろう)駅舎や旧計呂地(けろち)駅舎は昔のままだし、旧佐呂間駅は鉄道記念館(冬期休館中)となっていて、きれいに残って(残して?)いる。あまりにも両極端である。


上・旧芭露駅。駅名標とホームも残っています。
下・旧計呂地駅。中を覗くことも容易ではありません。

 

 たまにスリップして肝をキンキンに冷やしながら、旧常呂(ところ)駅までやってきた。現在はバスターミナルとなっているのだが、2階は鉄道資料館、と書いてある。カギがかかっているのだが、バスのきっぷを売っているおばさんに開けてもらうそうな。長電話をしていたおばさんにやっと入れてもらった資料館は、そこらの鉄道ファンが持ってそうなモノばかりが展示されていてつまらなかった。窓からは、流氷のカケラさえ見えないオホーツク海が一望でき、僕の中でもの悲しさを演出している。

 旧卯原内(うばらない)駅舎も、鉄道資料館になっていた。他に再利用のしようがないのかと疑問に思うほどの、鉄道資料館の大量生産(今日だけでいくつ回ったんだ?)だ。しかも観光のオフシーズンだからか電気さえついていない。自分で電気つけて勝手に見る、という豪快なシステムだ。もちろん展示品はこれまた微妙なモノばかりだったのだが、建物のすぐ隣には蒸気機関車が保存されていて、一応の目玉となっているのが特筆すべきことか。しかし、特筆しても冬はシートがかけられているので、直接お目にかかることはできなかった。

卯原内にて、凍結した能取湖(のとろこ)を撮影。

 

 半年ぶりの網走の町は、人が多かった。いや、さっきまで廃線跡めぐりなんかしてたから、余計にそう思うのだろう。町は信号だらけ、車だらけ、ショッピングセンターも人だらけ。そこで、噂に聞いていた“靴の滑り止め”(1000円)を購入した。スパイクプレートとゴムバンドという単純な作りだが、あらかたの靴は簡単に装着できるし、いかにも凍結路面にヒットしそうである。

 炉端焼きのお店で多いに飲み、だいぶ酔っぱらってホテルに戻ると、止んでいた雪が降ってきた。どんどん強くなってきた。風は今朝からずっと強いままである。そのまま猛吹雪になった。

 

 

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