第3日目に戻る

 

第4日目(3月3日・日曜日)

 昨晩の風雪が嘘のようである。一夜が明けた網走市内は、薄日が差していた。

 この日は、一応の“流氷予備日”である。昨日の紋別のリベンジを果たしたい・・・わけなのだが、紋別でまるきり流氷が見えなかったわけだから、網走も見えない確率が極度に高い。あきらめ半分ではなく“あきらめ九分九厘”。もう奇跡がない限り、流氷は見えないのだ。いくら風向きしだいだからといって3月上旬にこりゃないよな、という気持ちだ。ホテルからは輝く海がチラっと見える。チラっ以外はどうなっているのか、出発してすぐに答えの発表だ。

 今日はあちこちまわりながら釧路まで移動である。しばらくオホーツク海に沿って南下するため、出発してすぐに海が見えるのだ。その海とは、僕が流氷のカケラを去年の4月上旬に見た鱒浦の海なのだが、やはり海は真っ青に輝いていた。案の定!されど案の定!!筆舌に尽くしがたい残念さが込み上げてくる。網走に来る度に立ち寄る北浜駅では、流氷観光用のやぐらが組まれていたのだが、それに登るまでもない。列車+流氷という写真を撮れるかなという最後の望みが、完全に絶たれた。

北浜付近の海にて、流氷のカケラを辛うじて発見!

 

 ・・・なのに、実は結構あきらめが悪い。今日の最初の目的地は知床で、半年ぶりにオシンコシンの滝を見物するつもりなのだが、風向きによっては知床半島北側が流氷の吹きだまりになるのだ。最後の、ホントに一縷の望み!しかし、道中に見える海は真っ青なままである。

 しばし国道は海から離れ、斜里の町を通過する。再び海が見えるときが、緊張の一瞬だ。そして・・・青い海が見える。手前側が白い。これは砂浜に雪が積もったのか、はたまた・・・流氷だ。陸地から200m程度の範囲でしかないのだが、流氷はすぐそこにあった。水平線までビッシリとはいかないが、これだけ待たされて見た流氷、感動しないわけがない。これならば、もうちょっと先まで進めばイケるかも。にわかに期待が高まってきた。

 オシンコシンの滝に着く直前。ついに、流氷が水平線まで達した!吹きだまりになった流氷だから、厳密に言えばニセモノの流氷なのかもしれない。しかし、僕にとっては念願の、まごうことなき流氷だ。でも、じっくりと観察するのは後。お楽しみは後にとっておいて、まずは半年ぶりの、オシンコシンの滝を見物することにした。

 大量の水がどどっと落ちている。これが、半年前に抱いたオシンコシンの滝の印象だ。ところが、今は違う。滝の半分以上が凍結し、雪融けにはまだ早いので水量もずいぶん減っている。でも、間違いなく半年前に見たあの滝。足下はカチカチに凍り付いているので、普通の靴ではけっこう厳しいのだが、ここでは前日に買った滑り止めが役に立った。凍結路面とスパイクの歯がガッチリかんでいるのがわかる。

オシンコシンの滝にて。せっかくですので、去年の7月の画像と並べてみましょう。

オマケ画像・靴の滑り止めとはこんなシロモノです。靴に引っ掛けて装着します。
(ず〜っと後に自宅で撮影)

 

 滝から、ゆっくりと(凍結しているから早足では歩けないのだが)オホーツク海を見渡せる場所へ。お待ちかねの海だ。もうそこには、真っ白な海が広がっているのだ。滝の付近の道路は急峻な崖の中腹にあるので、海辺まで降りることができない。そのため、流氷に直接触れることはできないのだが、まさに“手の届く範囲”に流氷があると言ってよかろう。どこまでも続く白い原っぱに見えなくもないのだが、多少のうねりがあるので、氷の下が海であることが分かる。本当の厳冬期には、氷どおしがガッチリと凍り付くそうなので、僕の足下に広がるような“うねりのある流氷原”は、本格的ではないのかもしれない。しかし、間違いなく流氷なのだ!

オシンコシンの滝付近にて、北方を遠望。白い部分は全部海!

 

 海は静かだった。これが氷のない普通の海だったら、どんなに風がなくても波が岩場に当たる程度の音はすることだろう。ところが、海は氷で覆われている。不気味なほど静まり返った海。周囲の音は、滝から流れ出る水の音と、時折国道を通る車の音だけである。つまり、僕の背後からは音がしてくるものの、僕の正面から何も音が聞こえてこない。流氷は静けさをもたらすものであるようだ。

 釧路まで行くには、知床峠が冬期通行止めなのでいったん斜里の町まで戻り、根北峠を越える必要がある。すると、これまた半年ぶりの訪問である、越川の跨道橋の下を通ることになる。通算3回目、冬の跨道橋の雰囲気はどうだろう・・・と思っていたのだが、橋の周囲の木がすべて落葉していたため、橋じゃなくて柱みたいな印象だった。運転していた僕は、気づかずに通り過ぎようとしてしまったほどだ。やはり、夏と冬という季節の違いだけで、雰囲気は大きく変わるものなのだ。当然のことなのだが、今さら実感させられる。

 根釧地方に入ると、周囲の雪が目に見えて減ったのがわかる。分水嶺を越え、気候がまったく違う小雪極寒地帯に入ったからだ。道路上はバッチリ乾燥していて、ノーマルタイヤでも問題ないような雰囲気。それに、青空がどーんと広がっている。曇りベースだった網走地方とは大きな違いである。お天気なのを喜んでいるうちに、遠くに国後島を望む根室標津の町にやってきた。車内から道路沿いの民家越しに見ているため、島までの距離を若干感じるものの、間違いなく“あっち”は外国で“こっち”は国内。いや、どっちも国内のはずなのだが、“あっち”は“あっち”なのだ。

 2年半ぶりにトドワラまで足を伸ばそう(根室標津から15分ほど)とも考えたが、この先の時間的制約もあるので、カットする。午後のお目当てがツル見物だからだ。実は、どこで見られるのか定かでないところがある。場合によっては釧路湿原周辺を走り回ることになりかねないので、たっぷりと時間を取りたいのだ。・・・とはいいつつも、旧標津線(標茶―根室標津間、及び厚床―中標津間)跡なんかを探しちゃったりもした(探したのは前者の区間)が、中標津の町のバスターミナルに行ってみると、その一角に「旧中標津駅跡」という標識があったくらいしか面影がなかった。築堤はそこここに残っているものの、それだけだとあまりおもしろいものではない。

こんな棒が1本だけの旧中標津駅跡(バスターミナルの左奥)

 

 根室中標津空港にやってきた。昼飯の時間なのだ(笑)。別に、中標津町内でいくらでも食事をするところくらいあるのだが、前日に引き続いた悪ノリである。いったい、今回の旅でいくつの空港を巡るのだろうという気はするのだが、展望デッキに出てみると、そんなことは一発で忘れてしまった。目の前に広がる斜里岳!それをバックに到着したのが、千歳からのエアー・ニッポン機!小さな空港なのに、豪華なカメラを持参した航空ファンが多いのもうなづける。と、撮影までは楽しかったのだが、空港のレストランの味に特筆することはなかった。

根室中標津空港にて、斜里岳を遠望。

 

 空港を出発して、ツルを拝むべく走る。釧路湿原(のどこか)にタンチョウヅルがいるのはわかっているのだが、湿原をやみくもに探すわけではなく、“特にタンチョウが見られそうなところ”に行ってみるのだ。タンチョウが見られそうなところというのは、釧路空港そばの「鶴公園」(名前からして見えそう)か、「鶴見台」(餌付けしている民家があるらしい)、そして鶴居村の「イトウ・タンチョウサンクチュアリ」(伊藤某氏が開いたそうな)などが、ガイドブックにも紹介されている。しかし、それぞれ何がどうなっているのかがわからない(不親切なガイドブックを買ってしまったのだ)し、タンチョウが冬ならいつでも見られるモノなのかどうなのかさえわからない。いろいろとわからないことだらけなのだが、とりあえず「イトウ・タンチョウサンクチュアリ」に行ってみることにした。

 中標津空港から走ること1時間半。まもなく鶴居村の中心地、めざすサンクチュアリまで10分ほど、というとき。交差点を左折したさいにふと左を見ると・・・タンチョウが飛んでいる。あ、ツル、とだけ口から言葉が出た。一瞬よりはずいぶん長い間だったが、車から100mほどの距離を、3羽のタンチョウが飛んでいたのである。紛うことなき特別天然記念物!容易には見られないだろうと(勝手に)思っていたので、(運転中なのに)呆気に取られてしまったのだが、そんな僕たちをしり目(?)にタンチョウは悠然と飛び去った。これなら、サンクチュアリでも見られるかな・・・?

 鶴居村の市街地からわずかに1分、サンクチュアリに着いた。細っこい道をにょろにょろと進み、駐車場に向かう車窓に、おびただしいほどのタンチョウが!慌てる必要もなく車を止め、カメラを用意する。すぐそばの柵の向こうはとにかくタンチョウだらけだったのだ。ざっと数えて80羽が、そこらへんでエサをついばんでいる。えー?こんなに見られるって・・・貴重な鳥への思いがどっかに行くほどの、タンチョウの群れだ。

サンクチュアリにいたJALタンチョウを撮影。

 

 しばしタンチョウを見物したのち、すぐ近くにあるネイチャー・センターへ行ってみた。そこには日本野鳥の会の方が常駐していて、タンチョウの観察を行っていた。もちろん、一般の人間も立ち寄ることができて、望遠鏡を貸してくれるし、タンチョウ観察日誌や現在のタンチョウの数なども教えてもらえる。さらに、どんな質問にも答えてもらえるのがタンチョウへの興味を倍増させてくれる。そこで、それまでに抱いていた素朴な疑問をあれこれぶつけてみた。多少瑣末なものもあるが、いくつか書いてみたい。

 タンチョウの寿命は不明である。その調査をも目的として、タンチョウに識別標識をくっつけた上で、個体別の観察が行われているのだが、その第1期生(?)が現在は13歳以上にも関わらず御存命である。タンチョウは3歳で成鳥となるが、幼鳥は羽の先が黒いので見分けるのは容易(上の画像を見ると「羽の先まで白い」ので成鳥だということがわかります)。かなりの距離を飛行することができて、国後島で営巣した個体がここまで飛来していることも確認されている、でも極寒の早朝にはなかなか営巣地から出てこないので、そんなに冷え込まない日のほうが観察向き(ちなみに、この日の朝は―7度だったので80羽ほどだったが、前日朝は―3度もあったので、120羽以上が飛来したそうだ)、等々・・・特別天然記念物をとても身近に感じることができたからか、1時間以上も滞在してしまった。

 だいぶ御満悦で、今度は「鶴見台」に向かう。もう夕方、もしタンチョウがいたとしても、じっくり観察する時間はない。まあ、どんな雰囲気かを見に行ったようなものだったのだが・・・こちらにもおびただしいほどのタンチョウがいた。一般人が立ち入れる場所から、タンチョウまでの距離がちょっとあるのと、とても狭いところに密集しているので撮影には不向きだと思うが、とにかくバッチリとタンチョウを見られること請け合いである。それにしても、僕たちは1時間あまりで160羽以上(ちなみにタンチョウの総数は五百数十羽)も見てしまった。なんだか稀小動物である気がしない。

鶴見台の前で、旧鶴居村営軌道の旧道床を発見。画像中央の1列がそうです。

 

 日もとっぷり暮れたころ、釧路の市街地に入った。この旅で最後の再訪は、1年半ぶりの“釧路の回転寿司”である。道東旅行をした2000年夏に、大量に食いまくった回転寿司だ。たかが回転寿司なのに味は平均以上、ネタの大きさはビックリサイズ。“なごやか亭”というチェーン店(だと思う)なのだが、これまた御満悦だ。でも今回は2人でたったの25皿だった。前回はそれぞれ16皿づつ平らげたのだが、時の流れを感じざるを得ない。

 やはり1年半前に宿泊したホテルに宿泊である。そのホテルの前でTsと別れた。彼はこれから網走まで2時間以上かけて戻るわけで、さすがに申し訳ないとは思うのだが、釧路まで行ってあげるよとの言葉に甘えてしまった格好である。まだ20時前だから、網走まで戻っても日が変わるということはあるまい。でも、いくら彼がドライブ好きだと言っても恐縮してしまう。そこで恐縮しすぎてしまったのか、彼の車の中に“靴の滑り止め”を忘れてしまったことに気づいたのは、ホテルの部屋でバッグを下ろそうとしたときだった。

 しばしくつろぐが、まだ21時になっていないので、もうちょっと散歩することにした。市内観光をするには時間が遅いのだが、夜には夜の観光だ。・・・いや、心配御無用。ライトアップされた“幣舞橋(ぬさまいばし)”を見に行きたかったのである。ベタな観光スポットだが、ここだけは夜のうちに見たかったのだ。ほとんど市内観光をしない僕なのだが、夜の闇に浮かび上がる幣舞橋を見ていると、ベタな観光スポットにもそれなりの良さがあるもんだと思った。1人で(百歩譲って男だけで)見るもんじゃないけど。

夜の幣舞橋を、5秒のバルブ撮影してみました。

 

 

第5日目・最終日に進む

「北海道ノート最終便」トップに戻る