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第1日目(2002年2月12日・火曜日)

 普段はまるで早起きと縁がない生活をしているクセに、旅行となると、どんな早起きでもできてしまうのが不思議である。この日、成田空港から離陸する時間は10時過ぎだが、国際線のお約束である2時間前チェックインを厳守するために、遅くともウチを出るのは6時ちょい過ぎが限界だ。そのために起床時間は5:30、もちろん外は真っ暗なのだが、最寄り駅から乗った京浜東北線は超満員で、スーツケースなぞを転がしている僕は、他のお客さまの御迷惑である。

 こんなに早起きをしているのだから、なるべく家をギリギリに出た上で、成田空港まで特急を利用してグッスリ寝ていけばいい・・・と、それはわかっているのだが、京成スカイライナーは前回・前々回と乗ったから面白くないし、JRの特急・成田エクスプレスだとお値段が高い。そこで、“Suicaイオカード”で利用できる快速列車『エアポート成田』(横須賀・総武快速線)に乗ってみることにした。東京駅で待つことしばし。やってきたのは、残念なことにロングシートの車両である。だが、京浜東北線とはうってかわって車内はとても空いていた。だからだろうか、電車の中なのにとても寒い。ご来光を拝めたときだけは気分がよかったが、気づけば吐く息が白いぞ?凍えているうちにも列車は順調に走り、定刻どおり空港第2ターミナル駅に到着した。時間にすると東京駅から82分だ。順調だった割にはずいぶん時間が過ぎていることに気づく。
 朝から成田空港は混雑していた。パスポートのチェックを受け、集合場所である出発ロビーに向かうと・・・お相撲さん!十両の春ノ山関と、元幕内の若孜(わかつとむ)関だ!!周囲至る所にお相撲さん。すると、横綱なんかも近くにいらっしゃるのか・・・?キョロキョロしてみるものの、幕内の力士は見当たらず、幕下以下の力士がほとんどだ。後で聞いたのだが、ハワイへの巡業に向かうところだったそうな。

 午前8時をちょっと回ったところで、全員が集合した。今回の旅では、若手は僕1人である。次に若いのが添乗員さん(=旅行社社長)で、その上は先生方だ。授業を受けたことのない先生方ばかりなので、若干緊張する。

 いつもながらアッサリと出国審査が終わり、免税店を冷やかしてから搭乗口に向かう。第2ターミナル独自の不思議なモノレールに乗り、出発1時間前にはすでに搭乗口へ。さすがにまだお客さんはまばらで、こちらもドリンクなどを飲みつつひたすら待つ。こういうちょっとした時間に、携帯電話は便利だ。iモードで塩湖市五輪情報を検索してみると、スピードスケートの清水選手が2位とのこと。銀メダルだ!と喜ぶのも束の間、最終順位は明日のレースのタイムとの合算なのだそうな(結局、清水選手は銀メダルを獲得した)。

 上海に向かうJAL791便(B747-400)はガラガラだった。添乗員さんの計らいで2階席(2階席もエコノミーなんですね)になったのだが、その半数の席は、僕達一行で独占である。西に向かって飛ぶのだから、富士山は右側に見えるだろうと予想して、出発前にとっとと席を移動し、窓際を確保する。天気は抜群だから楽しみだ。

 定刻に離陸した飛行機は、成田上空を1周して高度を稼ぎ、東京湾岸を西に進む。成田から羽田上空に抜けたので、東京の町を見おろせて壮観だ。気流も安定し、機体はピクリとも揺れないのが好ましい。さっそくドリンクのサービスが始まったところで・・・僕の座席の反対側である、左側に座った人々が騒ぎはじめた。タイミングよく「左下に富士山が御覧いただけます」とアナウンス。大平洋沿岸を進むと思って僕は右側に座ったのに、飛行機は内陸を進んでいるようである。つまり、富士山は左側だ。みんな左側にかけよって富士山を眺める。スチュワーデスさんは苦笑、とてもドリンクサービスどころではない。

機内より足立区を撮影。写真の上部が北になります。

こちらが上空からみた富士山。

 

 

 富士山観賞会が終わったところで、機内食が配られた。もちろん食前酒(ビール)もいただいたのだが、実は朝飯ヌキだったのだので、クラクラしてしまう。この日最初の食事でいきなりビールなんだから!カレーライスならぬシチューライスに舌鼓をかっぽーんと打っていると、スチュワーデスさんが土瓶を持って緑茶のサービスをしている。さすがJALだ。食事が終わると、再びドリンクサービスが始まった。もうアルコールはいらないので、“スカイタイム”というJALのオリジナルドリンクを飲んでみた。甘い青りんごジュースで、特にどうってことはない。その後、機内誌を読んでいたら「キウィを使ったJALオリジナルドリンク・スカイタイム」とあった。・・・あれ?

 飛行機は瀬戸内海上空から福岡空港上空を抜け、五島列島・福江島の南から海上に出た。海をじっと眺めていても仕方がないのでオーディオをいじってみると、落語が聞こえてきた。JALエラい。さすがは日本の航空会社、ツボを押さえている。聞きながらニヤニヤしていると、乗務員からの御案内が落語放送を遮った。曰く「トイレでタバコを吸った人がいます。お止めください」と。たかが3時間ちょいのフライトなのに。

 時計を1時間戻し、中国時間12:20(日本時間13:20・以下、中国時間のみを表記)に上海・浦東(プトン)国際空港に着陸した。天気はいいはずなのに、上海は妙にもやっている(長江下流のため、湿度が高いからだそうな)。そして、空港内はほとんど人がいない。飛行機もあんまりいない。ホントにココは国際空港なのか・・・?大きなお世話をせっせと繰り広げたが、この日は旧正月で元日である。日本と同じく、中国でもゆっくりと寝て過ごす日なのだ。こんな失礼なことを考えているうちに、僕は中国に入国した。人生で初めて、中国の地に第一歩をしるしたのである。ここで、僕たちを待っていて下さった方があった。日本でいう文化庁のお役人様である張さんという方だ。先生方と研究の面で交流があったご縁で、今回の旅行に同行してくださるという(今回の旅では張さんにあれこれ質問することが多くなったのだが、詳しくは後日)。

 上海での予定は、なんと“乗り換え”だけである。せっかくだからと空港ターミナルから1歩だけ外に出てみたが、特にどうってことはない。この浦東空港は上海のはずれにあるので、周囲になんにもないのだ。これを記念すべき第一歩と認定していいのだろうか?あれこれ考える間もなくとっとと国内線にチェック・インし、搭乗口に向かう。だだっぴろい空港なので、延々と歩かされるのがかったるい。

天井のデザインが独特な、上海・浦東国際空港出発ロビー。御覧のとおり、人がいません。

 

 14:25。満席の中国雲南航空(3Q)4512便に乗り込む。B737-300という小さな機材、さっきのJAL機とは大違いだ。これで、成田―上海間よりも距離がある上海―麗江(リージィァン)間を飛ぶのである。でも、機体が小さくなったせいか、大型バスからタクシーに乗り換えたような気楽さがないでもない。気分なんてこんなものだ。

 出発してさっそくドリンクが配られた。“人参果汁”なんて書かれた微妙なドリンクを無視してコーヒーを飲んでみると、すでにミルクと砂糖が入っている。しかも、たっぷりと。お子さま向けの甘いコーヒーを飲んでいると、今度は機内食が出てきた。国内線だから出ないだろうと思っていたのでうれしい。メニューはとり肉と野菜の炒めもの&ライス。ちょっと量が少なくて、やや油がしつこい気がしたが、これから毎日が油となじんだ中国料理なのだから、この程度で文句を言っている場合ではあるまい。そんなことを考えていた矢先、なんと“おみやげ”が配られてきた。それまで悪い印象を抱いていたクセに、我ながら現金なモノである。大したことはない雲南航空特製バッグなのだが、けっこううれしい。料理の味、許してつかわそう。

 この飛行機は麗江までノンストップなのではなく、昆明(クンミン・人口370万)を経由する。雲南省の省都で、5日目に戻ってくる街だ。山また山の中にこつ然と姿をあらわした大都市・昆明に着陸したのは18時ちょうどで、外の気温は22度とのこと。こんな時間なのにまだまだ日は高いので、機内から見ただけで暖かそうだ。なぜか「エリーゼのために」が流れる機内で待機するのはイヤだな・・・などと思っていたら、ホントに外に出て待つんだと。こうして、空港の待合室で休憩する。

昆明空港着陸直前に、昆明の中心部方面を望む
(高層ビルもあったのですが、見づらいですね・・・)

 

 トイレに行って戻ってくると、もう搭乗が始まるらしい。ほとんど自由席となった機内は、半数ほどの乗客が入れ代わったものの、やはりほぼ満席だ。出発前の機内は、ポップス音楽(もちろん中国のね)が流れているが、うるさくはなくむしろ心地よい。しばし待たされて、18:51に離陸した。

昆明から麗江までの搭乗券(昆明までのは回収されちゃいました)。

 

 再びドリンクのサービスである。僕は、さっきから気になっていた“人参果汁”を飲んでみることにした。・・・果汁10%などと書かれているが、まったく人参の風味はしない。単に甘い水である。隣席の先生が飲んでいる“甜橙汁”なるドリンクもちょっといただいた。若干薄めのオレンジジュースだった。そのうちに、またしてもおみやげ!今度はボールペンを頂戴する。雲南航空様、ありがとうございます。

ちなみに、航空券のウラはこうなってます。
中国語を日本の漢字に直すと「歓迎乗座雲南航空班機」となります。

 

 19時を回ると、さすがに夕日が沈むのが早くなった。そのうちにどんどん暗くなり、地上の明かりは粛々と増えていったが、民家の数に対して、ちょっと暗すぎるような気がする。そのうちに麗江の街の明かりが見えてくるはずだろうけど・・・?だが、よくわからない。そのうち、空が辛うじて真っ暗になる前に、麗江空港に着陸してしまった。昆明からわずか45分、気温は16度くらいだろうか。吹いてくる風が心地よい。

 荷物を受け取って空港の外に出ると、わずかな時間であったにもかかわらず、日はとっぷりと暮れていた。すぐにマイクロバスに乗車して、今日・明日と泊まる阿丹閣(アータング)大酒店(=ホテルの意)へ。すると、一行の中に、いつの間にか羌さんという現地スルーガイドが乗り込んでいた。現地・麗江に住む少数民族である納西(ナシ)族の方で、中国語で延々とガイドしてくれる。歓迎の歌も歌ってくれる。しかし、僕は眠い(ナシ族については、第2日目に詳述します)。

 30分ほど真っ暗な山道を走り、やっと麗江の街に入った。車はそれほど走っていないし、信号もろくにない。店もほとんど閉っていて、とてもひっそりとしている(この街のお話も第2日目するが、新街区と古城地区がある、とだけまずは覚えておいて下さい)。そんな街の新街区にある4つ星ホテルが、僕たちのお宿である。荷物を置いて、さっそくホテルのレストランで夕食。なんだか食べてばかりの1日に思えてくるのだが、キチンとしたレストランで食事をするのは、実はこれが初めてだということに気づく。

 大皿にどんともられた料理をグルグル回して取り分けるという、中国料理の定番スタイルだ。どの料理にも油が入っているのでしつこいのだが、そういうときは酢の登場。最近、日本では「中国の人は日本の3倍お酢を飲む」なんていうナレーションのCMをやっているが、まさにそのとおり。酢を使えば、油っこさやしつこさが一瞬で消えるのである。なお、雲南省は四川省に近いということで、料理はどっちかというと辛いベースの料理が多いそうなのだが、今のところ特にそういった感じはしない。

食事はいつもこんな感じ(この後も数皿運ばれてきた)。

 

 食後、みなさんとくっちゃべっていると、トイレに行きたくなった。僕は、実はこのときを待ち構えて(?)いたのだ。大学で習った中国語、しかもウロオボエを実験してやろう、と。「トイレはどこですか?」を中国語で言うと「セースオ、ツァイナー?」。それをしゃべってみようというチャレンジだ。あそこに小姐(シャオジェ・ウェイトレスのこと)がいる。聞いてみよう。
 「セースオ、ツァイナー?」
ウェイトレスは、指を差して教えてくれた。通じた?けっこう嬉しい。

 夜。とっととシャワーを浴びたところで、夜の街に出てみようよと添乗員さんが誘って下さった。二つ返事で行くとは言ったものの、その前にホテルのフロントで両替だ。人民元は米ドルと連動しているので、円安の現在は米ドルから替えたほうが有利なはずだ。そこで50米ドル札を出すと、409人民元になった(ガイドブックには1元が15円程度とあるのだが、円安が進んだこの旅行中は1人民元=16.8日本円位のレートだった。以下、日本円表記は1人民元を16.8日本円で換算します)。

 ホテルからタクシーで数分の、麗江の古城地区へ。明日の昼間に観光するのだが、先乗りである(これまた街の詳細は後日)。イルミネーション、というよりもボンボリのかかった町中をぶらついてみると、旧正月の元日ということで、あちこちで爆竹や花火が鳴っているのだが、お店は半分くらい閉っている。食べ物を売っているお店は繁昌しているが、食事をしてすぐの僕は食指が動かない。そのためか、おだやかかな上品な街なのか?というのが印象だ。しかし、眠くてたまらない。今日は中国時間4:30起きだったのだから、マトモな判断ができるわけがない。結局、20分ほどぶらついただけで、街で1元も使わずに帰ることにした。帰りのタクシー代も、行きと同じく6元(101円・初乗り価格)なのだが、10元札を出すと、お釣りがねぇとかホザきやがる。みみっちいボッタクリ方だが、いくら僕が疲れていても、10―6くらいの計算はできたぞ。

 明日のモーニングコールは6:30。起きられるだろうか・・・?23:45に就寝。

 

 

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