第2日目(2月13日・水曜日)
モーニングコールは午前6時半、それまで完全に眠りこけていた。のそのそと起き上がり、まずは窓から朝の麗江の街を拝んでみよう・・・ところが、真っ暗で何も見えない。それもそのはず、6時半といっても、中国の標準時は北京を基準としているので、雲南省のような地方(東経でいうと、日本より時差−2時間のタイ・バンコクと同じである)は、日の出も日の入りも遅いのだ。慣れるまではちょっと気持ち悪いだろう。
朝食はホテルのレストランでバイキングだ。パンが充実しているが、僕はパンだと食べた気がしないのでパス。お粥があるのと、ラーメンのようなモノがあるのが中国らしい点(これが中国らしさだと勝手に断定)か。ラーメンのようなモノというのは、「米線」という米でできたうどんのことだ。麺は好きなのでたくさん取ってスープをはっていると、近くにいたおばさん(中国人)が、これとこれとこの具を入れろ、と教えてくれた。ネギに香菜に辛いそぼろ肉に搾菜に塩と砂糖がある。ふむふむ、これで味付けせよというのだな。席に戻ってさっそく食べてみたが、麺はのびてる上に粉っぽくておいしくない。スープも薄味なので、塩少々が必要だ。その他はけっこうイケるのだが、予想外にコーヒーが粉っぽくておいしくない。お茶がこんなにおいしいのに。
麗江の朝をホテルの部屋から食後に撮影。車はそんなに走ってません。
そのうちに、現地ガイドの羌さんと李さんが現れた。改めて書くと、麗江に住むナシ族のガイドさんで、昨日、麗江に到着したところで歓迎の歌を歌ってくれたのが羌さん。昨日の麗江から昆明に戻るまで(5日目まで)を案内してくれるのが、若い女性(僕より年下だった!)の李さんである。羌さんは日本語ができないので李さんが通訳してくれるのだが、彼女は喋りは「アノネー」から始まる。
8時過ぎにホテルを出発。この日、最初に向かうのは市内にある玉泉公園(ユーチュェンコンユエン)だ。アッサリと到着して中に入ってみると、中国チックな庭園が広がっていて、ナシ族の民俗衣装を着た女の子(小学生くらい)が何人か座っている。でも、一緒に写真を撮ると有料。ずいぶんとまあ少数民族であることを全面に出した商売だ。
朝の玉泉公園にて、他の観光客(大量)を避けながら撮影。
で、この公園の見どころは「東巴(トンパ)文化博物館」であろう。ナシ族の伝統文化などを展示している博物館だが、ナシ族の文化を“トンパ文化”というそうな。なんと、現代でも象形文字が使われているというモノスゴイ文化で、後世に象形文字を伝える“トンパ先生”も12名もいらっしゃるという。現在、ナシ族の人口は全部で28万人。そのうちで文化の伝承者が12名なのだ。
ナシ族の伝統的な家屋を見学させていただき、死者は先祖の元に戻ってから輪廻転生するという死生観を拝聴する。少数民族と一口にいっても、ちょっとやそっとの年月で登場したわけではない。長い歴史を持って生活する中で、独自かつ個性的な文化が、少数の中に根付いているのである。その文化を絶やさないように、公園内にはトンパ文化が溢れていた。現代語も象形文字で書いてみようとしているのだから!なお、少数民族というともっと人数が少ない集団のようなイメージがあるかもしれない。しかし、10数億人もいる国家の中での28万人が、多いか少ないか?
公園内にて。上からトンパ文字(象形文字)、中国語、英語。
博物館の裏手に、玉龍雪山(ユーロンシュエシャン・5596m)が見える。次に向かうのは、その玉龍雪山だ。もちろん容易に登れる山ではないのだが、雲杉坪という丘で山を望むとすぐ近くに見えるそうな。『地球の歩き方』によると、麗江からレンタサイクルでも行けるとある。近いのかな?マイクロバスは、市街地のきれいな舗装道路から、郊外のボコボコ簡易舗装道路に入った。そこそこの速度が出ているから、僕をはじめみなさんがピョコピョコと飛び跳ねる。羌さんは延々とナシ族の概説をしている。いつ着くの?まだ喋るの?ああ、今日も歌が始まった・・・
車で40分も走り、やっとこさ雲杉坪入り口までやってきた。時間的にはまだお昼前だったのだが、観光の前にまずは食事。昔からある建物ですよぉ!という勢いの伝統文化味が強引にあふれる新築のレストランだ。高地のためか、若干肌寒いレストランでの料理は、超豪華に13品ものフルコースだった。昨日の夜もフルコース、今日の昼もフルコース。ナマモノは出てこないから食中毒になることはないだろうが、気に入ってしまった酢は欠かせない。油にあうこと・・・
レストランの前から玉龍雪山を望む。
雲杉坪入口は大混雑だった。駐車場(というかそこらへんの広場)は車で埋めつくされ、どこもかしこも人・人・人。駐車場からはリフト(スキー場にあるような、普通のリフト)で上るのだが、もちろん長蛇の列だ。お正月に観光するのは楽ではない。結局、1時間も並ぶことになってしまった。
駐車場の標高は2900mで、雲杉坪の標高は3100mだという。いくらリフトで容易に行けるからって、並の高度ではない。僕は山の経験が少ないので、リフトから降りても空気の薄さがよく分からないのだが、とりあえず要注意でしばし歩く。400mほどで絶景ポイントだそうだが、歩く速度は普段の半分くらいだ。もちろん、息がきれるような速度ではない。しかし、意識して深呼吸しているのに鼻が詰まり、普通に息をしている程度にしか肺が膨らまないような気がする。これが空気の薄さというモノだろうか?まったく苦しくないはずなのに、圧迫感がある。
雑木林の中を歩くこと15分、視界が開けてきた。道に沿って土産物屋(漢方薬各種)が並び、奥には大勢の人がいる。それも、民族衣装を・・・?またしても“民族衣装を着た人と写真を撮りませんか?または着てみませんか?1枚5元”という商売である。いくらなんでもそんなに集まる必要があるのかというほど、民族衣装を着た人々はウジャウジャいる。さっきから僕にひたすら話しかけてくる兄ちゃんもいるが、とりあえず無視。で、なんとか山の写真を撮ってみた。
雲杉坪にて。この写真を撮っていたあたりで、カメラが高山病になってしまった。
オートフォーカスの電子音が鳴り続け、シャッター切れず。しかし、山を降りたら
正常に戻った・・・
高山病に犯されてしまったカメラを片手に、今来た道をそのまま戻る。帰りもゆっくりゆっくり歩を進めるのだが、ケータイ片手にけたたましい声で通話している中国人が、圧倒的な速さで僕を追い抜いていった。地元の人間か?とてもマネできない。たかが標高3100mかもしれないが、高山病にかかる恐れは十分にある高度なのだ。リフト乗り場まで戻ればもう大丈夫・・・と思ったら、リフトが止まった。強風、ではなく停電!
これでもう麗江の街に戻るのかと思ったら、その道中にある白沙(パイシャー)の村に立ち寄るという。ここでの唯一最大の観光スポットは、“壁画”だ。毛沢東語録なんかを売っている不思議な露天の間をあるいていくと、そこに壁画はあった。儒教・仏教・道教・ラマ教が一色多になった、不思議な壁画。こういった文化財は撮影禁止なのだが、画像がないと説明しづらい・・・
もうすぐ18時になろうかという時間に、麗江の古城地区に戻った。ここで、端折っていた麗江の街について説明しておきたい。古城地区は世界文化遺産に登録されているのだが、注目されたのはここ数年のことである。観光地化したのもここ数年なのだそうな。というのも、1996年にこの地域を大地震が襲い、街は壊滅してしまった。その復旧が行われている最中に、この街の古さが評価されたのだそうな。そのため、古城地区が昔からの町並み地域で、僕たちの泊まっているホテルがあるのが復旧された新しい地域(その名も“新街区”)、というように分けられるのが麗江なのである。
古城地区は、昨日の夜にぶらぶら歩いた場所である。昨日の夜は若者だらけの町だったのに、この時間は老若男女とりまざって家族連れが目立っている。若者に町が占領されるには早いようだが、若い人のグループも目立つので、ある特定の世代に支持されているということはなく、いろいろな世代が集まっている。そんな中国人観光客は、写真を撮るときは誰でも必ずポーズをとる。当人はキメているらしいのだが、端からみるとどうしても“やりすぎ”。不自然に思えてしまう。
麗江の古城地区は、川の流れる落ち着いた町並み。
またしても飾り物のチベット・ホルンを熱演する筆者(撮影・Newさん)。
川はこんなふうにも使われています。
夕食は、我らがホテルから1ブロックほど離れたところにある、別のホテルのレストランだった。わざわざ違うレストランにしたのだから、何か理由が・・・なさそうだ。どれも普通の中国料理で、衝撃のウマさはない。そんな食事をしていると、今夜はさらに“トンパダンスショー”の見物に行くそうな。時計を見ると、もう始まってる!そそくさと食事を切り上げる。
すでに始まっていたショーは、お客さんで満員だった。中央では、トンパ文化を若い人に伝えることができる“トンパ先生(12人しかいないうちの1人)”が踊っている。人間国宝級の大先生のはずなのだが、にこやかなためにどうしても酔っ払いにしか見えない。第一、今は何の踊りなのかが分からないのだ。曲の間には中国語と英語で御案内をしてくれるが、もちろんどっちもわからない。そのうちに飽きてしまったのだが・・・またもや停電!これ幸いとばかりに全員で劇場から抜け出した。
トンパダンス&ミュージックの1コマ。中央が踊る酔っ払い
そのままホテルに戻るのかと思ったら、羌さんは僕たちをお土産物屋に案内した。よかったら案内しますけどいかがでしょ?といった、ずいぶん弱腰な御案内だ。そのお店で買えば、あなたにコミッションが入るのでは・・・?店内でも、羌さんは特に何かをするでもなく店員としゃべっている。一応義理は果たしたぞ、といったところか。逆に、店員はどいつもこいつもしつこかった。全員が日本語で喋ってくるのも恐かった。結局、何も買わずに退散。
ホテルに戻るやいなや、返す刀で毎晩恒例の夜遊びに出発する。今夜の目的は“ギョウザを食べよう”。古城地区からちょっと行ったところに、ギョウザ専門店があったのだ。本場中国のギョウザ、一度食べてみたかったので、喜んでくっついていくことにした。
夜の10時半にもなると、ギョウザ専門店は閑散としていた。注文したのは牛・羊・豚・野菜ベースのギョウザをそれぞれ1品づつ。これは、注文してからあんをこねて皮にくるんで作ってくれるのだとか(ちなみに、中国で普通にギョウザを頼むと、出てくるは水ギョウザである。冷めちゃったのを温めなおしたのが焼きギョウザだそうな)。それと前菜が3品、ビール2本。ギョウザはかなりの山盛りで、ごはんとスープがあればお腹いっぱいになること請け合い。そのできたてをハフハフ言いながら食べるのだから、文句なくうまい。それが4皿も!それでもお値段は全部合わせて日本円で1000円ほどなのである。いつものフルコースの食事よりも、僕はギョウザ定食のほうがいいなぁ。
今晩も花火があちこちで上がる麗江の街。それに対抗・・・したわけではないのだが、ホテルの売店にあった花火を数種類購入して、ミニ花火大会を催した。日本なら当局の指導を受けないとできないような花火ばかりだ。発煙筒のような爆竹に、十数連発の打ち上げ花火!それがホテルの売店なんかに並んでいるのだ。時間にすればわずかなモノだが、僕は、本当に、中国の、大地で、正月に、参加、しているんだぞ、という気がした。