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第3日目(2月14日・木曜日

 来週に研究発表をやれ!と突然おどされる夢なんかを見てしまった。おかげであまり寝た気がしないのだが、この日は長〜い移動から始まるので、きっとバスの中で眠れるだろうとタカをくくった。そのせいか、朝食もモリモリと食べることができる。やっぱり僕のお気に入りは米線だ。粉っぽいとかのびてるとかの問題はあるのだが、麺類好きならこの味はたまらない。

 ♪8時ちょうどのぉ〜出発直前にぃ〜、景気づけにと再び爆竹を購入してやってみたら、どうも不発気味だった。昨日のよりもずっと音が小さく、迫力がない。景気づかなかった?この直後に、麗江をガイドしてくれた羌さんとお別れだったので、爆竹もしんみりしてくれたと思うことにしよう。

 この日の移動は波乱万丈だった。とにかく道路がボコボコなのだ!舗装はしてあるものの、舗装がはがれてしまったところだけをさらに再舗装してあるので、とにかく地面が平らではない。そんな道を走るのだから、僕は常にピョコピョコ飛び跳ねている。これだけハデに揺れると、かえって車酔いはしないかもしれない。酔ってる場合ではないから。

 道中、絶景ポイント(そうかなあ?)で小休止し、さらにバスは飛び跳ねながら剣川(ジェンチュアン)という町に向かう。その町はずれにある石窟が今日の最初の目的地なのだが、その道中にトイレ休憩を挟むことになった。ところが、バスはなかなか止まらない。ガイドの李さんは「トイレはいっぱいあるけど・・・」と微妙な言い回しをするばかりだ。周囲は見事なまでの農村地帯だが、トイレなんかいっぱいあるか?そのうちに、道ばたに公衆トイレ(?)を発見、車は止まった。

剣川に向かう最中の絶景(らしい)ポイント。中央から左に流れるのが長江(らしい)。

 

 尾籠な話で恐縮だが、しばしトイレの話を。中国のトイレはスゴい。とにかくスゴい。男性はまだ諦めもつくだろうけど女性には厳しいかもしれない、というくらいスゴい。公衆トイレは町中にはやたらとあるのだが、いわゆる“大”の方は、溝が1本あるだけだったりする。個室になってない可能性もあるという、とりあえず1回行ってみることをオススメできるところだ。ウォシュレットなんて絶対にないのだが、出すことができればそれで十分じゃないか、というある種の達観ができるようになるかもしれない。

 まだトイレの話は続く。この、剣川に向かう最中に止まったのは、なんと“そこらの家のトイレ”だったのだ。農村部では家の中にトイレを作らないそうで、公衆トイレに見えた道ばたの掘建て小屋が、実は各家庭のトイレなのだそうな。その一つを拝借しているのが僕たちなのだが、もちろん非水洗である。周囲に畑が広がっているので、そのまま肥やしにすることが容易に想像できる。そして、トイレの中に紙はない。それくらい自分で用意すればいいんだと思うと、日本のトイレがどれだけ過保護なのか・・・なお、“各家庭のトイレ”が道ばたに並んでいるわけだから、道ばたに家が並んでいる場合は、道路の両側がトイレだらけになっているのだ。そう、車を止めた場所の周囲は、道路沿いの50mに4つものトイレがあったのである。ちなみに、僕も近くのトイレに入ってみたら、すでに中国人がしゃがんで(中略)だった。でも、そういうときも慌てず騒がず道路の反対側のトイレに行けばよいのだ。しかし、しゃがんでいる中国人と目があったときはきまずかった・・・

 目指す石窟は、剣川県の中心部からだいぶ走り、石宝山(シーパオシャン)という山の中にあった。やたらと広い風景区で、その中の石鐘山(シージョンシャン)というところに向かうという。山の入り口からもずーっと走り、バスを降りてからも20分ほどぶらぶら歩いたところで、やっと石鐘山石窟に到着した。

石窟を遠望。

この周囲は、見渡すかぎりが岩山に松の木。

 

 石窟の目の前には、お土産物屋や事務所などの建物があった。そこでこちらの管理責任者さんに概況を説明していただくことになった。配られた資料によると、この石窟は雲南地方にあった少数民族政権である南詔国(?〜902)と、その後続政権である大理国(937〜1254年)の時代のものだそうな。掘られているのはもちろん仏像が中心だが、岩に動物が掘られている(描かれている?)のもある。風化してしまって見づらいものや、破壊されてしまって首がない仏像、後世に作り直されたものなどがあちこちにあるという、不思議な石窟だ。じっくり見学してしまったため、昼食の時間には1時間以上遅れてしまった。

これは撮影可能な壁画。見づらいけどわかりますか?
えーと、なんの壁画だったっけ・・・

 

 昼食は、駐車場のところにあった食堂(レストランとは呼べない)だった。やはり何種類もの大皿が出てくるのだが、イモ虫のような揚げモノがでてきた。イヤな予感がする。3日目にして出会ったゲテモノか・・・食べてみると、サクサクしていておいしい。スナック感覚だ。植物なのだそうだが、見た目はイモ虫の唐揚げである。

 14時半に出発した。道路にある看板には、今日の宿泊地である大理まで70kmと書かれている。しかし、あいかわらずのボコボコ道だ。数回、どうにもならずにバスごと飛び跳ねたときがあったが、もうみんな笑うしかない。慣れてくると居眠りもできた。人間の適応力とは凄いものだ。

 しばらく走ると、徐々に高度が下がってきたようで(ちなみに剣川の標高が2200mで、この日の宿泊地・大理の標高は2000m弱である)、周囲に広がる植物が変ってきた。麗江周辺はひたすら松ばかりだったのに、ウチワサボテンが生えているのが見える。街路樹は・・・ユーカリだ。自生したモノとはとても思えないのだが、気候については推して知るべし。キョロキョロしていると、道ばたで青空市場をやっていた。正月早々、なかなかの活気。中国人の日常生活が展開されているのである。

 さんざんボコボコ道にお見舞いされ、目的地である胡蝶泉(フーティエチュエン)に着いたのは17時を過ぎていた。ここで、大理の現地スルーガイドである唐さんが登場、さっそく白(ペー)族の集まる場所に案内される。ペー族は蝶がシンボルマーク(?)の少数民族で、ぺー族と蝶との伝説(詳細忘却)が残る胡蝶泉に行ったのである。そこはとてもきれいに整備されていた。ぺー族は、その昔に少数民族をとりあげた映画のモデルになり、少数民族再発見の火付け役になったそうな。そのために印税や観光収入がどーんと入ったようで、胡蝶泉の周りは“ウチの民族はお金持ってますよぉ”という雰囲気。そして、やはりきれいな民族衣装を着た女の子たちがウジャウジャいて、一緒に写真を撮ろうと言ってくる。完全に観光地ズレして、僕はアッサリと興醒めしてしまった。「少数民族=素朴な人々」みたいな図式はどこにもない。

超ハイトーン裏声で歌うおばさん。何かの撮影をやってて、
そのドサクサにこっそりと撮影。

 

 水はとてもきれいなのにまるで好きになれなかった泉から、すぐ近くのしぼり染めの店へ移動する。しぼり染めはペー族のお家芸的民芸品なのだそうな。昨日、麗江の土産物屋でムリに薦められたしぼり染めよりも、はるかにモノがよくてずっと安い品々が、ところ狭しと並んでいる。さらに、さっきニコニコしながら写真を撮ろうと言ってきた子よりも、こっちでひたむきにしぼり染めを扱っていたおばさんのほうが、ずっと表情がいい。観光地のすぐそばで見た職人、といったところか。ここで僕が買ったのは、茶色の風呂敷と青いひざかけを2枚。それで合わせて270元(4536円)。モノがいいから妥当な値段で買えたなとホクホクしていると、なぜか唐さんが値引き交渉をしている。ん?なぜガイドが値段交渉を???ちょっとヤラレタようだ。

しぼり染め屋でお仕事中のおばちゃん。

 

 夕食は、そのしぼり染め工場のすぐ近くのレストランだった。がらーんとした建物で、他のお客はいない。ビールがぬるかったので冷えたモノをくれと言ったら、十分冷えてるじゃないかと言い返された。どうもキンキンに冷えたモノはないらしい。で、いつもの大皿ぐるぐる回しスタイルの食事なのだが、ここでの目玉料理は“鍋”だ。ぺー族の伝統的料理だそうで、特に変った具が入っているわけではないのだが、アツアツの鍋がおいしい。味つけはさっぱりとした塩味で、酢を入れずともどんどん食べられる。最初から米線が入っていて、それもまたうまい。日本酒があれば食もお酒も進むだろう、という味付けだ。

 デザートがやってきた。大皿に盛られたフルーツだ。しかし、テーブルの上はあれこれと料理が残っていて、置く場所がない。すると、デザートを持ってきた子(10才くらい?)は空いているイスの上に置こうとした。食べ物をそんなところに置くものじゃないぞ。・・・という僕が抱いた疑問に、ガイドさんが答えてくれた。少数民族について、別の機会に聞いたこともまとめて書くとしよう。

 少数民族は、中国政府から自治権を認められているものの、その権利はそんなに強いものではないそうだ。もちろん、税金などはすべて中央に納められる。しかし、中国政府が強くすすめる“一人っ子政策”(人口増加抑止策。子どもは1人まで。国家公務員が違反すると懲戒免職!)の摘要からは離れていて、子どもは何人でもOK。また、義務教育の扱いも微妙で、本来は9年間が義務教育であるにもかかわらず、学校に行かない・教育を受けない・学校に行くのをやめてしまう、という子どもも多いそうだ。つまり、キチンとした教育が行き渡っていないことになる。それが、イスに食べ物を置くような子どもをつくることになるのである。お金がないわけではないはずなのに、大人の都合で子どもが動かされているのだろうか?これ以上のことは聞かなかったので詳細な事情は分からないのだが、子どもたちを不憫ととらえるか、自治の上でのことだから口出ししてはいかんととらえるか。人権だ人権だと言うつもりはサラサラないのだが、どうしても不思議に感じてしまう。

 ホテルに着いたのは20:20。もちろんもう真っ暗である。数時間に及ぶピョコピョコ移動でグッタリ疲れたが、みなさんはまさに“疲れた”という理由で、マッサージに行くという。健康足裏マッサージをやっているホテルがあるのだとか。僕はマッサージにはまるで興味がないのだが、ついていくことにした。

 車で走ること5分。大理の古城地区の中(大理は“古城地区”と“下関地区”とに別れている。古城地区が昔からの町で、下関地区が現在の行政の中心。双方は15kmほど離れている)に、そのホテルはあった。古ぼけた造りで、とても安っぽい。入っていくとソファーが並んでいて、そこでやってもらえるそうな。僕はマッサージを受けるとくすぐったくてしかたがない(肩を揉まれるのも苦手なのだ)ので、みなさんの姿を写真に撮るだけにする。

 全員が終わるまで1時間ほどかかるというので、その間を利用して外に出てみた。僕たちがいた場所は古城地区の中心だったようで、建物から1歩外に出れば、街は活気づいていた。日本語で“ゆず”の曲を歌う青年・・・ゆず!?日本語の歌もずいぶん浸透しているんだなと思ったら、日本人の兄ちゃんだった。長い旅の最中なんだとか。

 麗江と同じく、大理の古城地区も観光地である。お土産物屋と食べ物屋が多く、生活用品を売る店が少ない。町行く人は若い人が多いが、ほとんどが観光客に見える。そのためか、夜なのにほとんど危険を感じない。治安についてはまるで調べずに来てしまったが、どうやら大丈夫そうだ。いや、中国でも田舎の部類でしかも観光地だから、ちょっと特別なのかも?・・・油断は禁物だが。

 ぶらぶら歩くだけ歩き、みなさんが揉まれているホテルへ戻る。そろそろ全員終わったはずだと思ったのに、まだ待たされている人がいた。お正月でマッサージ師さんが帰省してしまい、出勤していた人が少なかったらしい。お正月にうかつなことはするものではないようだ。

 

 

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