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第5日目(2月16日・土曜日)

 昨晩の大花火大会の余韻を引きずることなく、シャキッと起きた。予定ではうまく眠れないはずだったのに、グッスリと熟睡できたのが不思議である。朝食も、いつものメニューをしっかり食べたし、午前7時の出発時には「現場で記念撮影しよう」などと言い出す始末。まだ外が暗いからこんなことを言えるけれど、もし明るくなっていたらことの重大性を再認識させられたはずである。僕には放火魔の血が流れている?

 この日はまず昆明まで飛行機で行き、それからバスに乗り換えて石林を観光する、という予定である。朝の8時に空港に到着すると、すでに建物内はごった返していた。ガイドさんの説明によると、大理空港には朝に昆明からの飛行機がどどどっと到着し、どどどっと出発するそうな。で、昼間は全然離着陸がなくて、夕方以降に再びどどどっと到着するそうな。中国は広いから、飛行機での移動にも乗り換えたりなんだりしていると半日以上かかってしまう。だから、朝に出発して夜に帰ってくる、くらいの移動パターンになるのではなかろうか。だからって2時間に7本も昆明から到着するなんて。そんなことを考えているうちに、大理を案内してくれた唐さんとはここでお別れである。颯爽と去ってゆく唐さんを見送る。

 どどどっと出発する中でも、僕たちが乗った飛行機は最後の方の出発で、機内は空席が目立っていた。ついさっきまで、空港内がごった返していたのがウソのようである。そのせいか、飛行機は定刻よりも10分早く動き出した。窓の外には蒼山がクッキリと見え、飛び立ったらすぐにアル海も見える。ただでさえ風光明美なところなのだから、晴れていれば絶景は確約。搭乗するなら朝の便をお勧めします。

やっとお目にかけることができました。雲南航空機です。

こちらが航空券です。ハンコにシールに手書き・・・

 

 飛行時間わずかに35分。それでもドリンクと雲南航空恒例おみやげ(象のキーホルダー)を頂戴し、上機嫌のうちに昆明に到着する。窓から眺めていると、昆明は高層ビルが林立する大都会だ。人口370万というのだから、大理や麗江とはまさにケタ違いで、さすが雲南省の省都、という気がする。

 久々の大都会にとまどっているうちに、バスは発車した。道には車が多く行き交い、そこここに信号も設置されている。バスはそのうちに工事中の高速道路の脇を走り出した。日本でも見るような、キチンとした高速道路だ。これがまた、僕たちが向かっている石林まで建設中なのだとか。完成した暁(2〜3年後)には、昆明から石林まで45分になるという。しかし、今日は全行程が一般道で、2時間(!)かかるとのこと。

 山越え谷越え、バスはどんどん走る。道中は特に見るところがないのだが、妙に気になるのはガソリンスタンドだ。なんと、給油するポイントが24ケ所もある堂々たるスタンドがある。あちこちでよく見る“中国石化集団”のスタンドだ。24台も同時に給油するのか!と驚いたが、1つの給油ポイントで1種類の給油しかできないのだ。しかも、半分は使われていない模様である。設計段階で考えろよな・・・ちなみに、ガソリン(レギュラー・ハイオク)・軽油ともお値段は2元ちょっと(40円前後)。料金にほとんど差がないのが不思議である。ただし、軽油はキチンとしたモノなのだろうか?どのトラックも、吐き出す黒煙の量はハンパではない。

 昆明を出発して2時間半。途中にトイレ休憩をはさんだものの、石林に着いたときはお昼になっていた。やれやれやっと到着だと思った矢先・・・大量の人間にバス!中国の超一級の観光地だから、とにかく人がいるのだ。おびただしい数の団体が、ここ石林に集結しているのである。時間が時間なのでまずは食事に向かうのだが、この人込みの中で観光するのかと思うと、それだけで先が思いやられる。

 石林は、もともと海の中だったという。そのカルスト地形が隆起して現在の標高(1700mくらい?)になる過程で、侵食されたりして現在のようになったそうな。とにかく、見渡す限りの“石の林”。実はとんでもなく広い風景区で、僕たちはそのごくごく一部を見ているだけに過ぎないのだが、それでも“なんでこんなになっちゃったんだろう?”という疑問をもつには十分の光景だ。そんなところであり、“天下随一奇観”とやらがここのキャッチコピーらしいので、とにかく人だらけなのである。写真を撮るので一苦労、歩くので一苦労、スリに注意して一苦労、物売りのおばさんに言い寄られて一苦労。足下はきちんと整備されているので危なくないが、濡れたらちょっと滑るかも?そんな余計なことを考える時間はたっぷりある。それほど混んでいるのだ。あまりの混雑ぶりに、なんだか浦安市の某遊園地を思い出さずにいられない。切り立った石が並んでいるのも巨雷山っぽいぞ・・・?なお、ここでモノを売り付けてくる連中はとにかくしつこい。「我不要(ウォープーヤオ・いらないよの意)!」と言っても、まったく聞く耳を持たない。やれやれ。



石林での3コマ。

 

 石を見たんだか人を見たんだかわからないまま、再び昆明の町に戻る。来た道をそのまま戻るのだから、おもしろいわけがない。ガイドの李さんは昆明が地元なので、雲南省のと昆明についてのもろもろをお話してもらったが、まだまだ若手(23才)なので話の内容が要領を得ず、これまたおもしろくない。

 さて、石林から昆明までの道はアップダウンが多く、どうしても車の速度差がハッキリしてしまう。荷物満載トラックはもちろん遅いし、普通の車はそうでもない。すると、中国の交通ルールはどうなっているのだろう、という気がしてしまう状況をよく見た。とにかくムチャクチャとしか言いようがないのだ。というのも、速い車はまず間違いなく遅い車に追い越しをかける。それは当然としても、前後2台の速度がほとんど変らなくとも、後車は車体を左右に振って前車をアオるのである。前車は譲ろうというそぶりは絶対に見せない。追い越そうとして、対向車線に飛び出す。向うから対向車がやってくると元の車線に戻るのだが、対向車が切れるとまた追い越そうとする。それをさらにアウトから追い越そうとする車がいる、など・・・。ガイドの李さんは「あのねー、雲南省の運転手さんはみんな運転がうまいので、中国中どこに行っても失業することがないです」などと言う。雲南省で運転できるならということだろうが、どうなってるんだろう?でも、お巡りさんの車(パトカーというわけではないと思う)が走っていると、みんな妙に行儀よく走るのは、日本と変らない。

 帰りは2時間かからずに昆明に戻った。この日は、一行の中で誕生日を迎えた方があったので、そのお祝と今回の旅の最後の晩さんを兼ねて、五つ星ホテルでの豪華ディナーと相成った。一品の量は少ないものの、次から次へと運ばれてくる料理の品々・・・最後の晩さんではあっても、僕にはちょっと分不相応だ。

 ゆっくりとした食事を終え、このまま階上の部屋へ・・・といきたいところだが、そうはいかない。明日の昆明―香港線の航空券がとれなかった(人気路線なんですって)とかで、なんと今夜は広州宿泊なのだ。そう、これから広州へ移動なのである。酔いが覚める前に移動というのはけっこうキツいのだが、空席がないんだからしかたあるまい。昆明空港で、初日夜からずっとガイドしてくれた李さんと別れ、本来のメンバーに戻る。

 この旅で初めての中国南方航空利用である。中国の航空会社各社の中で、もっとも定時運行率が高い会社とのことだが、よりによって遅れてきた。20:10発のはずが30分発に変更され、実際に動き出したのが40分だったのだから。たかが30分じゃないかとおっしゃるかもしれないが、されど30分である。

南方航空の写真がないので、パウチャーを載っけます。

 

 B737なのにビジネス・クラスがついている機材である。改良というよりもリフォームしたような機内だったが、僕たちはもちろんエコノミーだ。窓の外はもちろん真っ暗で何も見えない。すると、軽食が配られた。パンとちまきという軽食だったが、晩さんをたらふく食べた後だからさすがにいらない。でも、揚げまんじゅう(あんこなし)だけは食べてしまった。デザート代わりにいい。

 広州・白雲国際空港に到着したときは、22:17になっていた。どうせ明日は帰るだけだし、特に体調不良は感じていないのだが、さすがにこんな時間になると眠気が襲ってくる。飛行機を降りると、気温はなんと21度!雲南はまだ心地よかったが、さすがにムワっと暑い。

 カートを使おうとしたら、お金を請求された。ターミナル内のカートが有料だなんて、見たことも聞いたこともないぞ?おんぼろ有料カートを押してターミナルの外に出ると、広州は大都会だった。そりゃあ人口400万人を数える大都会なのだから当然なのだが、夜の10時をとっくに過ぎているのに、人はいくらでもいる、車はいくらでも走っている、ネオンサインがある、高層ビルが林立する・・・大理や麗江を基準にすると、まさに別世界だ。日本・東京に帰るにあたり、大都会に慣れとこうという配慮のような気がする。地上と高架をのぼったり降りたりしながらバスは快走して、ホテルに着いた。町のまん中にある大ホテルだった。

 さて、広州は今晩泊まるだけで、まったく観光などの予定が組まれていないのだが、広州に来て食べないわけにはいかない。そう、“食は広州に在り”。最後の晩さんをやったというのに、夜遊びに出ることにした。狙うは飲茶(ヤムチャ)だ。

 飲茶について少々解説をしよう。要するに、夜食の習慣である。夜の12時を過ぎてから家族総出で外食をするのだ。もともと広州は暑い地域なので、冷房がなかった時代は昼間に食事をする気力もおきないほどだったそうな。だから真夜中に食事をする習慣になったということである。厳密に言うなら飲茶は朝の習慣なのだが、夜の12時以降を“朝”と考えるので、深夜にみんなで町にくり出すのである。確かに、夜の12時半過ぎに入った店は家族連れやグループ客で賑わっていた。ただでさえ今日は土曜日、明日はみなさんお休みなのだろう(もともとお正月休みだけど)。通常の状態を知らないが、みなさんゆったりと食事をしている。

 飲茶のメニューは、せいろに入った蒸し物がメインである。店の一角でせいろから湯気が立ち上っていて、店内はいろんな香りが充満している。そこに行って、自分の食べたいものを自分の目で見て頼むというシステム(?)だ。しかし、どの料理も油をたっぷり使っているので、夜食にはキツいんじゃないの?という気もする。粽子はおいしかったが、ギョウザのコテコテぶりにはまいってしまった。

 賑わっていた店内も、いつの間にかほとんどの客が引き上げた。時間はすでに1時半、それも当然だろう。長い一日が終わった。

 

 

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