第一日目(平成17年9月29日・木曜日)
朝日に照らされた稲穂が、田んぼでゆらゆらしている。朝イチの京成スカイライナーで、成田空港に向かう途中の車窓である。別に他愛もない風景で、遠くには住宅地やら高圧電線の鉄塔やらが見えて風情はないのだが、異国に行く前の「典型的な日本の風景」は捨てがたいと思う。「みのるほど頭を垂れる稲穂かな」。
いつ行ってもガチャガチャしている成田空港で、みなさんと合流する。今回の旅行は22名の大所帯、早く来ていた人から順にチェック・インしたそうで、誰が僕と同じ一行なのか、よくわからない。顔合わせもバタバタと済んでしまい、さらに落ち着く間もなく、中国でお偉いさんに渡すおみやげ(酒、タバコ、銘菓「ひよこ」)などをゴッソリ購入するのは僕たちの仕事。結局搭乗口に向かったのが、搭乗開始時刻になってしまった。
中国国際航空(CA)422便に乗り込む。日本の国内線ではお目にかかれないB757の機材は3+3というシートで、とにかくシートピッチが狭い。僕の席は通路側、比較的空いているということで、邪魔な膝掛けと枕を中央の席に放り出して、なんとか座席に落ち着く。窓際に陣取った巨漢の先輩は窒息しそうである。後で聞いたら、本来は中国の国内線の機材だという。それにしてもあんまりなような気がする。
定刻から7分ほど遅れて、9:37に問題となった成田空港の暫定平行滑走路から初めて出発する。見慣れない方角に飛び出すのでずいぶん不思議な感覚だ。飛行機はまず北西に向かい、利根川上空から右旋回して高度を稼いで、湾岸上空、横浜上空と通過して進路を西に取る。いつものように富士山は左側だ。これでやっと旅行が始まったという実感が湧いてきた。
旅の写真は富士山で始まります。
僕は通路側なので、あまり外の風景が見えない。窓際の先輩が、あれは名古屋だ!下は飯田だ!と実況してくれるが、時間的にまだそんなに飛んでいないはずだ。とりあえず方角は合っているだろうから、あれはせいぜい静岡!下は甲府!(たぶん)と訂正する。機内食(魚ごはんか牛肉うどんだった。まずまずの味)そのうちに琵琶湖の北岸をかすめると、今度は先輩が天橋立だ!とおっしゃる。だから、琵琶湖から2分じゃ天橋立まで行かないっての!方角は合ってるけど距離感がムチャクチャな先輩、時間距離は合ってるけど方角にイマイチ自信がない僕。
敦賀上空を過ぎてやっとこさ天橋立を確認し、コウノトリ但馬空港上空を経て山陰の海岸線に沿って飛ぶ。そのうちに陸地から離れ、完全に日本の領空から離れたようだ。雲も増えてきた。午前中から飲むのはあまり好きではないので、時間つぶしに絵はがきを書こうと客室乗務員さんに聞いてみた。え?ない?国際線で絵はがき積んでないの?そういえば、機内放送も英語と中国語だけで、日本路線なのに日本語がない。
雲の切れ間から久しぶりに地上が見えた。重化学工業地帯のようで、大規模な建物が続いている。そのうちに空港と海が見えた。方角がすでによくわからなくなっているが、日本にこんな空港はない。たぶん韓国の仁川(インチョン)空港だろう。こうして見ていると、韓国って本当に近いんだなという気がする。
またしても雲の上を飛び、間もなく北京ですという放送があっても、地上が全然見えない。トランジットのみとはいえ、北京に行くのは初めてだから地上が見たい。しかし雲は分厚く、だいぶ高度を下げているのに地上がまだ見えない。いつ見えるの?もう地上は近いぞ?すると、13:15(北京時間12:15、以下北京時間で書きます)低い雲の下に出た途端に、北京首都国際空港に着陸してしまった。北京は大雨だった。
北京空港着陸直前。主翼に雨が当たって流れているのが分かりますか?
ダラダラとスーツケースをピックアップし、国内線ターミナルへ空港の端から端まで移動する。延々と歩く。くじけそうになるくらい歩く。ここしばらく論文を書いていたせいで、運動不足のなまりきった体が辛い。周囲を見渡す余裕もあんまりない。やっとこさ着いたところで、22名分のスーツケースのチェック・インにまたしても時間がかかる。2時間半のトランジットがアッと言う間に過ぎてゆく。
北京からウルムチまでは中国南方航空(CZ)6902便、B777だ。成田からの便よりも大きな機材だが、3+4+3という詰め込み型シートで、成田から北京までよりも距離のあるウルムチまでを飛ぶのである。僕は非常口の前の席だったので、思いっきり足を伸ばせるのがよい。しかし長身の中国人に挟まれているので、なんとなく狭い。目の前は客室乗務員さんの席だ。やって来たのはかなりの美人だったが、離陸前から「疲れたオーラ」を出しまくっている。大丈夫かいな?
14:40、定刻に離陸。あいかわらず北京は雨模様だったので、あっと言う間に雲の中となってしまう。それでも大して揺れず、意外と早く客室乗務員さんはサーヴィスの準備に動き出す。中国の国内線は必ず食事が出るので、いろいろとやることがあるのだろう。待つことしばし、パンと果物などが入ったお弁当箱みたいなものの他に、主菜はライスか麺かと聞かれたので、ライスにしてみた。料理名をつけるなら「豚肉と野菜の炒めものライス」だろうか、別添えで唐辛子ソースがあり、ライスにくっつけて食べるとビール(=ソフトドリンクと同じくタダ)と相まって食が進む。辛いの好きの先輩には、ビールが無くなったタイミングを見計らって、唐辛子ソースをサラダにかけるドレッシングだと偽ってみた。悶絶する先輩。
航空券はこんなかんじ。「ハンコにシールに手書き」ではありません。
こんなことをしながら添乗員さんに“子供のころに抱いていた新疆ウイグル自治区のイメージ”を聞いてみた。
「遠いところ。とにかく遠いところ。一生行かないと思ってた」
添乗員さんは、中国では“どっちかというと西部”である蘭州出身である。それでも新疆は遠いところなのだ。
「たって今ても電車て2日かかるよ。車てなんか行かないもの。たからみんな飛行機乗るちゃないの」
確かに飛行機はB777で満席という盛況ぶりだ。北京から4時間もかかるが、電車で2日に比べれば早いものである。
ついでに、なんで客室乗務員さんが無愛想なのかを添乗員さんに聞いてみた。
「あの人たち、今朝の便て広州から北京来たよ。3時間。それからウルムチまて4時間。それから広州まて5時間かけて帰るなのよ。疲れるよ」
……そりゃそうだ。でも添乗員さん、同情してるのかと思ったら「愛想ないね」とか言ってる。日本語で悪口大会という最悪のタイミングで、ものすごく乱暴に食事が回収された。呆れたもんだ。食事サービスは、乗務員さんのホントの仕事(=危機への対応)じゃないのはわかっているのだが。
窓の外はいつの間にか乾燥地帯になっていた。草はまったく見えず、砂だか土だかが雪だるまみたいになってぽこぽこしている。
「また敦煌過きてないね。過きると砂か変わるよ」
待つことしばし、再び外を見てみると、一面の見事な砂漠地帯になった。地平線まで人っ子一人見えない。さらに僕は進行方向右側(北側)に座っているので、はるか向こうはモンゴルだ。いよいよ西の果ての入口だ、と思う。
砂漠上空です。
北京から飛ぶこと1531マイル(ちなみに成田→北京が1313マイル)、18:47にどすんという感じてウルムチに着いた。まだまだ日が高く、気分的には16時くらいである。それもそのはず、中国の標準時は「領土のかなり東」に位置する北京で設定されているため、西のはずれである新疆では、非公式ながらローカルタイムがあるという。北京のマイナス2時間(日本マイナス3時間)とのことだから、ローカルタイムだとまだ17時前だ。なんだかややこしい(この旅行記はすべて北京標準時で記述します)。
ウルムチ空港外観。
市街地まで空港からバスで40分ほど走ると、ウルムチは高層ビルの林立する大都会だった。それもそのはず、人口は175万人である。「少数民族のウイグル族自治区」なのだが、何億人もいる漢民族に対しての少数だから、数千万人でも十分に“少数”なのである。
この日最初で最後の見学地は、町の中心部から少し離れた「新疆文物考古研究所」。完全な研究施設なので普通は見せてもらえないそうだが、所長さんが閉所時間過ぎなのに待っていてくださった。
研究所外観(写真提供:鈴ぽちぇ師)
展示室に入ると、いきなりミイラ3体がお出迎えである。新疆ウイグル自治区は砂漠だらけの乾燥地帯なので、発掘調査をすれば大変に良好な保存状態でいろいろなものが出てくるそうな。ミイラが着ている服もまったく腐ることなく残っている。頭からつま先まできれいなもので、成人はずいぶんと長身(180cm前後?)、冬に埋葬されたからか厚着である。その他の出土品は東西交流の影響であろう、とても生活品とは思えない金細工のナニか(研究施設なので展示物の説明書きがほとんどないのです)、文字の記されたナニか、銅鏡、壁画の一部など、新疆全域で出土した文物全般が置かれている。まだアタマの中が勉強モードに切り替わっていないので、感心しているばかりだ。
展示物はもちろん撮影禁止でした。ご了承下さい。
夕食は町の中心部のレストランだった。バスを降りるとかなりひんやりした空気を感じる。飛行機を降りたときは直射日光が暑いくらいだったのに、確かに昼と夜の温度差が激しい。逆に、空気が乾いていることはあまり感じない。いや、僕たちが食事をしている部屋の隣から、シンジラレナイほど熱のこもった暑苦しいカラオケが聞こえてくるから?
ホテルに着くころには23時になっていた。クリントン元大統領も泊まったとかいう豪華なホテルだというが、すでにロビーは閑散としてる。バーだけが明るい、ということもない。夜遊びしないでとっとと寝ろ!という暗黙のメッセージなのだろう。