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第4日(8月23日・月曜日)
 目が覚めたのは8時過ぎだった。咽がからからだ。水を飲み、まだ起きるには早いと寝なおす。10時にも目が覚めたが、またもや水を飲んで寝直し、結局起きたのは12:44だった。さて、どこに行こうか?寝る前には砂川・歌志内の廃線跡を探してから芦別に抜け、さらに夕張へ行ってみようかとも話していたが、時間的にムリになってしまった。なんせ、今夜は夜行で稚内に向けて出発なのだ。この時間から出発して遠くなく、しかもマニアックな訪問先は・・・万字!正確な経緯は覚えていないが、とにかく旧万字線跡を探してみようと、13:30にTs家を出発した。片道2時間で着けるはずだ。

 万字線は、岩見沢近郊の志文から万字炭山まで伸びていた、26.2kmの炭鉱線である。その間にあった駅は、上志文・朝日・美留渡・万字の4駅。ただし、沿線にはまったく特徴はなく、本当に地味な線だ。時間が中途半端だから行こうと思っただけという、万字線ファンには本当に申し訳ない心がけで出発したのである。予習もまるでなし。ロードマップで、旧朝日駅舎が保存されているらしいことを知った程度である。まあ、そんなに苦労はせずに見つけられるだろう。Tsの運転で出発である。

 今日は月曜日だが、車が多いと感じたのは出発して20分ほどで、それからは車は多くてもキチンと流れている。吉野家で食事をし、まずは2日目と同じく国道274号を快走する。途中から道道で南幌町を抜け、室蘭本線栗沢駅付近から国道234号を北上。志文駅付近からいよいよ廃線跡を探して、万字方面へと道道30号に入った。

 さっそくきょろきょろして万字線の線路跡を探すが、そう簡単には見つからない。道道と基本的に平行する幌向川に沿っていたとするなら、今のところ川から離れているので、わからない。車を止めて確認するようなポイントもない。とりあえず車をすすめることにし、道道38号に入った。万字まではこれで1本道だ。

 左右には水田が広がっている。山は近いが、そんなに山深いわけではない。線路跡は右側だろうか、左側だろうか?一旦道道を外してあぜ道に入ってみたが、よくわからない。しかも、Uターンしようといたら、あやうく車はあぜ道に乗り上げかけた。うかつにヘンな道に捜索に入るものではない。

 旧朝日駅は交通公園になっていて、「旧国鉄万字線 朝日駅跡」という碑もあり、すぐに見つかった。きちんと駅舎は残り、錆びた線路とホーム(5両は止まれる)が残っている。腕木式信号もあれば、踏み切り警報機まであった。いくら何でも揃いすぎていると思ったら、あちこちから持ってきて展示していることが碑に刻まれている。線路と枕木もか?と疑ったが、駅舎付近の枕木に油がしみこんでいる。これは本物だろう。他に作られた展示を見たってしかたないので、ホームの端から撤去された線路跡を見てみる。だいぶ草が伸びてしまい、歩けそうにない。きっと、ほかの区間も草が生い茂っていることが容易に想像される。そうなるとやっかいだ。

 ロードマップを見ると、道道から大きく外れたところに「交通資料館」の文字があった。万字線はこんなところを経由していたのだろうか?でも、沿線でないところに資料館を建てるなんていうこともなかろう。気楽に道道を外れてみると、そこは未舗装の道だった。周囲を見回しても、線路跡らしきものは見えない。いったいどうなってるんだ?5分ほど走ると、集落があらわれた。道も鋪装され、すぐに交通資料館も見つかった。車を止め、まずは線路跡探し。資料館の裏手に回ってみたが、さっぱり分からない。

 資料館は無料だった。この日の見物客は僕たちだけだったようで、受付のおばさんが電気をつけてくれた。集会場のような資料館に入ると、国鉄の制服や記念きっぷ、鋏、写真パネルなどが飾られている。万字線のような、地味な路線の資料館にしてはまずまずか。しかし、問題の線路跡をおばさんに尋ねてみると、こっちには来てないのよ、朝日から美留渡まで一直線よ、と言われた。なんだと!沿線でもなんでもないところに資料館を建てたのか!そんなんわかるか!おばさんは、親切にも美留渡の交通センターにもう少し残っているよ、と教えてくださった。

 目指すは美留渡の交通センターである。道道沿いにあるから、これまたあっさりと見つかった。こぎれいな建物の前はちょと広い駐車場になっていて、バス停になっている。隣はこぎれいな郵便局、奥は整備された公園のようになっている。ただし、駐車車両はまるでない。交通センターの裏の駐車場に車を止めると、まず交通センターの建物の隣の空き地の草の中に、わずかな長さの錆びたレールと、車止めを発見。車止めは万字方面を向いていて、構内の配置がピンとこない。周囲は整備されてしまっているので、本線がどこかも想像できない。公園に「万字線 美留渡駅跡碑」という栗沢町が建てた碑があるが、ホームの跡などは残っていない。隣には踏切りの警報機が置いてあるが、これまたどこからか移動してきたのであろう、モノは本物でも当時を偲べない。手がかりは車止めだが、どこまでが構内かも想像は難しい。交通センターの敷地と公園の間に道道と平行に道が走っていて、それを線路跡と考えたいのだが、イマイチ確証はもてない。でもしかたないのかな・・・廃止されて、もう14年が経過しているのだから、無用の跡地は整備されつくしていることだろう。まあ、碑が残っているだけでも上等か。僕たちは、先に進むことにした。

 美留渡から先は、山の中になった。道路のカーブはきついところもあり、アップダウンもなかなかだ。線路はどこを走っていたのだろう?幌向川に近づく度に目をこらすが、コレといった決め手がない。大正年間に引かれた路線だから、トンネルで一気に通過、ということはないはずだ。しかしわからない。

 地名が万字になった。ロードマップを見ると、“交通センター”というバス停がある。美留渡と同じように、ここが駅跡かもしれない。さっそく行ってみると、周囲になんにもない交通センターの駐車場の片隅に、案の定踏切り警報機があった。これまたどこかから持ってきたものだろう。その2つの警報機にはさまれてある碑は・・・「万字線 万字炭山駅跡碑」という、美留渡で見たものと同じ形の栗沢町の碑があった。万字駅を見落としてしまったようだが、とにかく終点まで到着である。Tsによると、万字駅または万字炭山駅は長い階段を登りきった(降りきったかもしれない)場所にホームがあったはずだ、と言う。交通センターの建物の裏手にまわると、一段高くなったところ(約5m)まで、交通センターに直結するようなスロープ状の土盛がしてあった。これだ!一段高くなっているところまで、斜面を登ってみた。そこは草が背丈ほどに生い茂っていたものの、整備された平地があった。駅の構内跡に見える。これか!OK!

 しかし、疑問は残る。美留渡の駅跡は進行方向左側だった。こちらは右側である。いつの間に道道を横切ったのだろう?さんざん注意してみていたのに、わからなかった。もし小高いところの草地が違うとすると、本当の駅はどこにあったのだろう?検証のために、もう少し走ってみることにした。まずは、交通センターに直角に入ってくる道へ。ロードマップによると、幌向川をわたってぐるっとまわり、コの字型に道道の美留渡方面に少し戻ったところに迂回する道だ。その道に入った途端、2人ともこっちではない、と思った。なんせ急な下り坂、そこを過ぎると渓谷で、立派な橋がかかっている。こんな渓谷を鉄道が渡るなら、橋脚などなにか残っているはずだ。そんな痕跡はまったくなかった。せっかくだから、その道を走ってみる。左に曲がると町名は“万字ナントカ町”で、こちらは交通センター周辺とは違って集落の様相を呈している。とはいっても、コンビニがあるわけでもなく、炭住の名残りといったような雰囲気か。そんな集落の中に、郵便局があった。交通センターから車で3分ほどの、郵便局の駐車場にバスは来るみたいだねと言ったその時、郵便局の脇に碑を見つけた。これは・・・「万字線 万字駅跡碑」!こんなところに万字駅が!驚きながらも車を止め、郵便局を覗きこむ。簡易郵便局だからか、すでに営業時間は終わってしまったようだ。何気なく駅裏に廻りこむと、そこには階段が下の方に向かって伸びている。これは、さっきTsが言った「階段を降りきった場所にホーム」ということではないか?興奮しながら強引に柵を乗り越え、無許可で階段をかけ降りた。そこには・・・ホームだ!線路は取り払われ、草は大いに生い茂っている。しかし、まぎれもなくホームである。ここが間違いなく万字駅の跡だ。

 感激しながら、予定通り道道目指して走る。道が左に曲がり、再び幌向川を渡る橋が見えたその直前、道路の舗装が一瞬だけ変わった。これは、踏み切りの跡ではないか!万字駅への進入角度と高さ・草の茂り具合と申し分ない。ここには、踏み切りがあったのだ。それをとっぱらって埋め立てたのだ!ここまで確認できたら、あとは万字炭山駅だけである。もう少しで万字線の全貌が明らかになる。

 ところが、ここで行き詰まってしまった。万字駅から、万字炭山駅までのルートがわからないのだ。ここまでの文章を整理すると、万字駅から万字炭山駅まで行くには
 1・幌向川を渡る
 2・道道を横切る(踏み切りかもしれないし、トンネルかもしれない)
 3・高低差約20m(もっと?)を登る
という要素を、わずか1.5km以内に達成しなければならない。そのどれもがわからない。再び道道に戻って交通センターへ、さらに今のルートを逆に辿って万字駅跡へ、と移動してもわからない。クサい場所もあったが、実際に行ってみると違うということが分かる。僕たちは、交通センターから直角にのびる道の、渓谷の橋の上で考えることにした。Tsが車を止めている時、先に降りた僕は渓谷の上を飛ぶ鶴を発見!Tsに言うと、いくらなんでも鶴はいない、鷺だろうと言う。ちぇっ。と、面白いのはそこまで。まったく線路跡の予想がつかず、途方に暮れてしまった。渓谷の橋の上で、15分以上は思案したことだろう。

 Tsは、ひょっとしたら渓谷の橋の下(渓谷沿い)をどうにか走り、交通センターには奥から廻りこむ形で入ったのではないか?という仮説を立てた。Tsは丹念に渓谷の橋の下を眺め、小さな橋の跡らしきモノを見つけた。行ってみると、確かに橋の跡らしいが角度が悪く、しかも狭い。どう見ても鉄道橋の跡ではない。仮説を検証するために渓谷橋を渡り、渓谷(とは言っても、橋が高いところに架かっているだけであり、すぐに大したことはなくなった)に沿って行ってみることにした。万字駅跡方面は左だが、右に行く狭い道がある。そこに入ってみた。

 その細い道に入った瞬間、「これは違う!」ということになった。道は曲がりくねり、周囲に線路跡らしきものは見えない。民家もほとんどなく、こんなところに鉄道があったとか、炭住が並んでいたとは想像できない。しばし未舗装の道を走り、鋪装された急坂を登って道道に復帰した。これでは、廻りこんで炭山駅という仮説も消えたわけだ。再び渓谷の橋のたもとに戻って思案。しかし、わからない。結局、分からずじまいのまま万字を後にした。Tsの家には廃線資料があったのに、持ってこなかったのが悔やまれる。正解を早く知りたい、という思いもたっぷりとある。

 万字を出たのは17:20だった。帰りの運転は僕である。来た道と同じ道道38号を快調に飛ばしながらも、Tsとの会話は無念さをつのらせるばかりだ。道道30号に戻ってから、横道にそれて幌向川方向に行ってみた。川まではわずか200mほどだが、やはり廃線跡はわからない。道道に戻り、その反対側にも確認のために行ってみる。角のこきたない建物を過ぎると、いきなり広大な空き地が広がっていた。これは駅の構内?慌てて車を止めてみた。・・・ここは!駅の構内だった。かなり広大だったと思われる構内、ここが上志文?なんと、こきたない建物の正面に、草に埋もれた「国鉄万字線 上志文駅跡碑」という岩見沢市の建てた碑があった。行きは車であっさりと走り去ってしまい、気づかなかったのだ!構内の一部はパターゴルフ場になってしまったようだが、上志文駅は道道30号沿いにひっそりと残っていた。

 その先で、上志文から志文への線路跡を探して、ダートに入ってみた。しかしまるでわからない。国道から志文駅へと通じる片側1車線の道に入ってみると、跨線橋があった。もちろん、線路を撤去された万字線跡をまたぐ跨線橋だ。跨線橋から志文方面は畑の中なので、線路跡がよく分かるものの、国道方面の線路跡には草が生い茂り、まるで線路跡が分からない。そこから岩見沢経由で、国道12号を走る。さすがに車は多く、信号にもちょこちょこ引っかかる。途中、江別のホクレンで給油。「カード作りますか?」と聞かれ、作ってしまった。ホクレンのカードなんて、次はいつ使うのだ?

 Tsの家に戻る前に、例の日本酒「北の勝」を買うべくスーパーへ。どこのスーパーで買ったの?とTsに聞くと、恵庭だと言う。うえ〜、千歳空港直前や!夕方なので少し混雑ぎみの札幌市内を抜け、国道36号へ。市内さえ抜ければ快調、19:30にスーパーに着いた。さすがは北海道、スーパーもどでかい。「北の勝」は1800円だった。

 いいおみやげを勝って満足、次は夕食だ。Tsのススメで、市内の国道230号沿いにある回転寿司屋へ。値段の割にはかなりうまい。その寿司屋は風呂屋と同じ建物である。う〜ん、フロにも入りたいが、時間が・・・なんせ、これから急行「利尻」で稚内まで行くのだ。いつの間にか強行日程になってしまっている。

 21:00ころにTs家に戻った。さっそく廃線跡の資料を出し、万字線の真実を確認してみる。なんと・・・あの碑があった交通センターは、万字炭山駅跡ではなかった!なんとヒドイ話か、本当の駅跡でないところに、碑があるのだ。交通センターの上の草地は、市街地だったのだ(炭住の跡でさえない)!では本当の駅跡は?・・・ここは「廻りこんで万字炭山駅へという仮説」を立てた際に、確認のために通った細い道の先だったのだ。しかも、本当の駅跡のすぐ近くを僕たちは通っていたのだ。これは悔しい。そこで僕とTsは、明日に稚内からまっすぐ戻ってきて、再び万字に行こうと決心したのだった。

自衛隊前(2130)―さっぽろ(2147) 地下鉄南北線 真駒内→麻生
 4年ぶりの、Tsとの鉄道旅行である。僕はこれで北海道完乗という夢を達成するわけだが、いよいよ稚内に向かうのだという思いよりも、口をつくのは万字への後悔ばかり。夢の完乗まで乗り換え1回なのに・・・とにかく(?)、札幌駅でビールを買った。

(第4日目は写真ナシです。ご了承下さい)

第5日目につづく

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