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第3日(8月22日・日曜日)
早くも今日は、僕以外のみなさんが帰途につく。函館に行きたいという希望が多かったことから、札幌から函館まで移動してみんなで昼食をとり、そこで解散しようという段取りにしてあった。相棒Tは15:38発の特急はつかりで陸路、飛行機組は18:35発ANA864便で空路帰宅という予定だ。函館までの移動は、僕と相棒Tは「北海道フリーきっぷ」をフル活用して特急で、他のみなさんはTs車でということになっている。車が先に出発し、それを特急で追いかける形になるのだが、特急の方が早く着くと予想している。
中島公園―自衛隊前―さっぽろ(時刻失念) 地下鉄南北線 麻生←→真駒内
まずはNさんをTs家まで案内しなくてはならない。チェック・アウトは札幌駅直行の相棒Tに任せ、僕とNさんは一足早くホテルを出た。今夜の僕はTs家に泊まるので、荷物を全部持っての移動である。7:40ころにTs家の最寄り駅である、地下鉄南北線自衛隊前駅に到着。なんと、Tsは車で迎えに来ていた。歩いたって5分程度だ。Tsはまるで歩く気力がないらしい。聞くと、前夜も4時ころまで起きていたそうな。ホテルに泊まって本当によかったと思う。
居眠り運転で事故らないことを祈り、車を見送った。僕はスポーツバッグをTs家に預け、リュック一つの身軽な格好になる。すぐに札幌駅まで戻るのだ。日曜の朝だから、電車の間隔が開いていることが予想される。待たされたらマズかったが、絶妙のタイミングで地下鉄に乗った。
札幌(831)―函館(1150) 5006D 特急スーパー北斗6 札幌→函館
札幌駅では、すでに特急が入線していた。一昨日(第1日)に乗った、特急スーパー北斗6号である。今日は遅れてくれるなよ(急いでないけど)。そんなことを思いながら、ホームで天ぷらソバを食べた。相棒Tは、すでに座席におさまっている。食事どうした?と聞くと、そこの立ち食いソバ屋だよ、と僕が食事したソバ屋を指した。
今さら時刻表をまじまじと見て、この列車が「スーパー北斗」のなかで最も遅く、札幌から函館まで3時間19分かかることに気づいた。最速が下りの15号で2時間59分だから、20分も遅い。でも、318.7kmを3時間19分なら、十分に速い。う〜ん、珍しく特急なんかに乗りまくったりするから、どうも時間の感覚がズレているような気がする。
日曜日だからか、列車は空いていた。南千歳でだいぶ乗ってきたが、それでも7割程度だろうか。一昨日は金曜だったために満席だったのか?どっちにしろ、一昨日に乗ったばかりの区間だ。外を眺めるにも気合いが入ろうはずもない。天気が悪く、苫小牧は霧が濃かった。Ts車は大丈夫か?そんなことを話しながらも、相棒Tが伊達紋別での旧胆振線跡がわからなかったと言うので、そこはチェック。その一方、彼に教えられるままに小幌駅をチェック。貧弱な駅だというからどんな駅かと思ったら、トンネルにはさまれた1両分の空間にホームがあった。
そこを過ぎると、なぜかオービスの話題で盛り上がった。旭浜駅の手前で、一昨日に発見した線路と並行する国道37号のオービスを確認、相棒Tは妙に喜んでいる。さらにオービスの話題が続いているところで、今度は山崎駅手前から並行している国道5号のオービスを発見。ここは設置されていると知らなかったが、目に入った瞬間にお互いに顔を見合わせてしまった。
列車は八雲駅にさしかかっている。外はいつの間にか大雨になってしまった。Ts車はどこだろう?確認と、八雲は雨だということを知らせようか。洞爺あたりがせいぜいだと思って電話してみると、たった今八雲町に入ったと言う。なんと、5km後ろにいるのだ!ひょっとしたら、車を追い抜いた瞬間が見えたのかもしれない。とにかく、予想以上の走りだ。このままならいい時間に函館に着けるのでは?その後、こちらは定刻に函館に着いたのでさっそく電話してみると、まだ森だという。いかめしを食ったな・・・
Ts車の到着予想は1時間後である。外は雨、風も強い。レンタ借りてすこし走ってみる?どうせ全員揃ったら、車1台じゃ乗れないんだから、と僕が言って駅レンタへ。スターレットなら格安で借りられるだろうと思ったら、案内板には7千円とある。高っ!開きかけた事務所のドアを、慌てて閉める。仕方ない、待とう。
函館
Ts車が着いたのは、13時だった。駐車するのに多少手間取ったが、めでたくみんなで朝市へ。ガイドブックにも出ている店で、まずは食事だ。僕はいくら・さけ・かにの3色丼を食べた。具もごはんも大盛りにしたので、食べづらい。味はなかなかだったが、いくらは醤油漬けだった。
天気も回復してきたところで、Sさんがかにを買いたいといった。僕も買おうと思っていた。聞いてみると、Oさん・Hさんも買うという。4人で一気に買えば、おまけもしてもらえるだろう。そう考えて、朝市の中のある店へ。4人でよってたかって買った割には、割引率は渋かった。HさんとSさんは交渉を僕とOさんに任せ、Tsたちとしゃべっている。値引き交渉は、チームワークが肝心なのに・・・
函館駅前(1500)―谷地頭(1515) 函館市電2系統 湯の川(?)→谷地頭
かには飛脚クール便びびびんびんびんに任せたところで、一応解散ということになった。どうせ僕は飛行機組を見送るのだから、函館空港に再集合という形になるのだが、相棒Tはまもなく陸路で帰京である。お疲れと声をかけて別れ、僕は市電に乗る。
全線に乗る予定なので、せっかくだからと1日乗車券を買ったら、なんといかの形のキーホルダーだった。それを手に停車場で待つ。Sさんも市電に乗りたいと言うので、御一緒する。やってきたのはレトロ市電、オールドファンには懐かしいだろうが、僕はこういった市電の現役当時を知らないから、なんとも言えない。Sさんは大喜びである。赤れんが倉庫を撮影したいというSさんは十字街で降り、僕は終点の谷地頭まで乗る。ぶらぶら歩いたって1時間もあれば着きそうだが、坂がけっこうあるし、今日はとにかく暑い。モーターをゴリゴリ言わせながら、レトロ市電は坂を降りきったところにある谷地頭駅に着いた。
谷地頭―立待岬―谷地頭 徒歩
せっかくここまできたのだから、立待岬まで歩いてみることにした。徒歩15分と案内標識があり、道に心配はない。それよりも、とにかく暑い。ジュースを買いたいが、どうせ汗になることはわかっているからやめる。岬の直前に坂があって、けっこう疲れる。その中腹に石川啄木の墓があった。元国文学科学生として、しっかりお参りする。
岬は、観光客で混んでいた。天気はいいのだが、風がとても強くて海は波立っている。本州も見えない。啄木が蟹と戯れた場所はどこだろう?風が強いので戻ろうとすると、波打ち際まで降りられる階段があった。せっかくだから降りてみると、遊泳禁止の岩場である。そこで少年が泳いでいた。家族が見守っているけど、ルールを教えるべき大人がルール破りを認めることに、ちょっと腹が立った。
そんな家族連れが去ってから海を見ていたら、なぜか戻れなくなってしまった。別に考え事をしていたわけでない。海と函館市街の方を見ていたら、頭がからっぽになった。旅行中はいろんなことを考える僕だが、久しぶりに空っぽになった状態だった。ほんの5分のつもりで何気なく行った波打ち際に、30分もたたずんでしまったのである。
やっと歩き出すことができて、谷地頭に戻る。波打ち際は日陰だったので涼めたが、歩き出すとやっぱり暑い。
谷地頭(1625)―十字街(1630) 函館市電2系統 谷地頭→湯の川
わずか5分。でも、函館市電は冷房車が少なく、滅多にお目にかかれない。もちろん、僕の乗った市電にも冷房はなかった。暑い。
十字街(1639)―函館どっく前(1645) 函館市電5系統 湯の川(?)→どっく前
函館市電はY字形をしている。十字街で分岐して、どっく前行きと谷地頭行きに別れるのだ。というわけで、今度はどっく前まで乗る。市電はそんなに速く走るわけではないから、町をのんきに眺めるには都合がよい。もっとも時間がちょっと遅めだからか、並行する車道の交通量もたいしたことがなかった。あっさりと到着。
函館どっく前(1650)―湯の川(1730) 函館市電5系統 函館どっく前―湯の川
乗ってきた市電でそのまま折り返す。空港は、この市電の終点・湯の川に近い。空港まで飛行機組を乗せていくTsに迎えに来てもらうもよし、タクシーだってメーター千円くらいで行けるだろう。それまで、車内から函館市を眺める。十字街で席が埋まった市電は、函館駅前で満員になった。乗客の入れ替わりは激しいのだが、なかなか空かない。5分に1本のペースでぽこぽこ走っているのにこれだけ乗るのだから、大したものだ。
湯の川―函館空港 タクシー
結局タクシーで空港まで行くことになった。道はけっこう混んでいる。いつも混んでるんスかと聞いてみると、今日は花火大会だという。なるほど、浴衣姿の歩行者が目だつ。
函館空港
函館空港は、小さな空港だった。羽田行きにB747を飛ばしているのだから、大きな空港だと思っていたのだが、そんなことはない。カウンターに行くと、飛行機組がすでに待っていた。ニヤニヤしたTsが、僕をカウンターまで引っ張っていった。なんだ?覗いてみると、Hさんの三脚がベルト・コンベアに乗った状態で止まっていた。職員がコンベアの下を覗き込んでいる。あんた、また何かやったのか!とHさんに言うと、俺は悪くないと言う。よく見ると、誰かのリュックのストラップがつまったようだ。それで床板を外すほどの大騒ぎになっていたのだから、大したものだ。ゲラゲラ笑って、Oさん・Hさん・Nさん・Sさんは出発ゲートをくぐっていった。誰も、手荷物検査にも金属探知機にも引っかからなかった。
函館空港―長万部
空港を出たのは、18:15頃だっただろうか。Tsの運転で札幌に向かう。いくら友人を案内しての函館観光とはいえ、1日で札幌・函館間を往復する人は、あまりいるまい。車は道道80号を走って、大沼の手前から国道5号へ。夕暮れで駒ヶ岳がシルエットになっているが、残念ながら雲がかかって全体が見えるわけではない。森までくると、日もとっぷりと暮れた。
腹が減った。道ばたの食堂に入りたいが、そんな店はまったくない。八雲で市街地に入らなかったから、長万部まで我慢するしかない。間もなく長万部というタイミングで、Oさんから電話がかかってきた。飛行機組は無事に羽田に着いたそうだ。こちらは、まだ半分程度しか走っていない。長万部の目についたレストランで食事。店も空いていたが、町も静まり返っていた。
長万部―Ts家
食事を済ませてからは、僕がハンドルを握った。長万部町内から国道37号線に入ると、まずは見事なまでの直線道路を走る。眠るか飛ばすかの選択を迫られる道だ。次にTsがこの先に峠があると言う。どんな道だろう?だんだん山っぽくなってきたが、先行車はおろか対向車もろくすっぽ来ない。そんな道を快調に飛ばす。たまにきついカーブがあるが、それでも時速80km以下に落とすことは滅多にない。どこで峠道になるのかと思っていたら、平均時速80km超で静狩・礼文華の2つの連続する峠を超えてしまっていた。そうだ、北海道の峠はやたらと走りやすいんだった。
豊浦町から道道へ。ここはちょっと峠っぽい道だが、単なる山道である。道幅があるわけではないので、攻めたりはできない。いつの間にか国道230号へ。相変わらず対向車は少ない。快調に留寿都村を通過。しかし、喜茂別町内からやや混雑してきた。なかなかの速さで流れてはいるのだが、車が増えて繋がってきた。速度もだんだん法定速度に近づいてきた。急ぐわけでもないから、気楽に流すことにする。でも、もうちょっと速く走りたい。
中山峠にさしかかった。Tsお気に入りの峠だ。期待はしたのだが、ここもやはり北海道らしい峠で、大変に走りやすい。もっとも、ほとんど法定速度だからであり、やや物足りない。周囲は夜だから当然真っ暗、面白くもなんともない。すると、念願の登坂車線が!途端に、登坂車線が時速100kmで流れはじめた。追越車線は、推して知るべしである。
中山峠の下りで轢かれたキツネを見てしまい、ショックを受けながらもTs家に到着。時間は23:07、特急スーパー北斗には勝てなかった(当然だ)。車を降りた途端、相棒Tから電話があった。家に着いたと言う。陸路でもすでに東京に着いてしまったのか・・・そして、お疲れと言ってTsとビールを飲む。日本酒もあるよと、Tsが出してくれた。一口飲んで、僕は凍りついた。これは、あの釧路の寿司屋で飲んだ日本酒では(『1998北海道ノート』第3日目参照)?念のため、キチンと冷やして飲んでみた。これだ・・・!!自信が確信に変わった。根室の地酒「北の勝(きたのかつ)」。これが、僕と相棒Tを釧路で迎えてくれた酒だ。感激のあまり(?)この日は午前4時半まで飲酒した。明日はどうしよう?
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