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第2日目(8月23日・水曜日)

 モーニング・コールは、タイ時間で4時半という非人道的な時間である。なんと、ブータンのパロ空港は気流の関係で午前中しか離着陸できないのだそうな。さらに、途中でバングラディッシュのダッカを経由して給油しなくてはならないためか、バンコク出発は7:50。そーすると、起床はこんな時間になってしまう。眠気を取ろうとシャワーを浴び、軽く食事をとレストランに行くと、なんと僕がビリだった。みなさんの早起きに感心しつつ、まずは朝食。タイ米のごはんに魚の南蛮煮付けがうまい。まあ、まだ旅行は始まったばかりだから、何を食べても美味しく感じる。もっとも、僕は食傷には縁がない。

 ホテルを出ると、外は大雨だった。雨季のバンコクでは、毎夕のスコールは当然としても、朝からドバドバと降ることは珍しいそうな。そんな雨の中を、僕たちを乗せた大型バスはワイパーを使わずに走る。

 アッサリと空港に着き、アッサリとチェック・イン。アッサリと出国審査も通過し、バスゲートまで進む。機材が小さいので、バスゲートからでないと搭乗できないのだそうな。そんな行き先表示には、僕たちが乗るドゥック航空(=KB)127便は、バングラディッシュのダッカ行きとなっている。あれ?ダッカは給油のみの経由のはずなのだが、客の乗降もあるのか?よくわからんが、とにかく行き先はダッカ。

 第1ターミナルの北のはじにあるバスゲートから、バスは南隣の第2ターミナルを通り越して、ひたすら走る。第2ターミナルでチェック・インさせろよと文句が出るほどだ。バスは大きな飛行機がいなくなり、小型飛行機が駐機している一角にやってきた。そこに待っていたのは、僕たちがお世話になるKBのBAe146という機材だ。日本には飛んできていないこの機材は、72人乗りだからとんでもなく小さく見える。しかし山また山のブータンでは、この小型機の魅力がいかんなく発揮されるのだそうな。問題は、KBが保有している2機のうちの1機が不調で整備に出され、もう1機をこまめに使い回しているのだということ!高僧が法要をしたとかで墜ちないそうだが、機体の金属疲労は大丈夫?心配したってしかたないから、タラップをのぼって機内へ。シートは片側に3列だが、ファースト・クラスもあったのにはビックリ。民俗衣装を着た客室乗務員さんが迎えてくれるが、ブータンで使われるゾンカ語の「こんにちは」を予習し忘れていた。しかたなく「Good morning」と挨拶する。

 定刻の7:50に機体は動き出した。小型だからやたらと小回りが効き、滑走路に入ったと思ったらつまんなそうにジェット・エンジンを震わせ、名残りを惜しむふうなどまるでなく離陸した。だんだん小さくなるバンコクの街はまだ雨に煙り・・・とか書きたいのだが、すぐに雲に突っ込んでしまい、外は真っ白に。雲の上に出たら外を見ようと思ったが、いつの間にか寝てしまった。

 ずいぶん寝たように思うが、実際に寝たのは30分ほどで、機内食が配られて目を覚ました。何が出てくるか期待したがさすがに朝食で、ソーセージ・マッシュポテト・オムレツ・果物2コという簡単な食事である。果物がうまいの以外は、ごく平均的な食事だ。全部食べられそうだったが腹八分目を心掛けて、オムレツとソーセージを少し残した。油脂をセーブしなければ、と思ったのだ。飲み物はオレンジジュースを頼んで糖分を補給、さらに喉が乾いていたのでコーヒーを2杯。さて、おいしくいただいたので寝直そう・・・というタイミングでお酒のサーヴィスが始まった。午前中はないと聞いていたのだが?さすがに朝食直後、ビール1本飲むのがつらい。

 いつしか雲が切れた。ビルマ上空だろうか、森林だらけである。それがいつの間にか地上は水浸しになり、湖だか川だかわかんないところで高度を下げ、浮島のようなダッカ空港に着陸したのは10:30だった。給油のみの経由と聞いていたが、数人が降りる。その後もタラップが接続されたままなので、せっかくだからと機体から半身を乗り出してみた。・・・暑い。しかも信じられないくらい蒸している。とりあえず写真でもと思ってカメラを構えようとしたら、すぐそばをライフルを持った兵士が歩いていて、目があってしまった。命が惜しくなって視線をそらしてゴマ化していると、戦闘機が2機飛び立ってゆく。とんでもないところを経由するんだなあ・・・

 45分ほど給油すると聞いていたが、30分ほどのストップでバングラディッシュを後にした。相変わらず地上は水浸しである。通常の状態を知らないから、ひょっとしたらこの水浸しは“いつものこと”なのかもしれないが、実際のところはよく分からない。個人的に後で調べてみることにしよう。

水浸しのバングラディッシュ上空(離陸2分後)

 

 ほどなく、パンとケーキの軽食が出てきた。さっき食べてからまだ2時間半弱、さすがにお腹に余裕がない。中身をチェックし、おやつにと甘そうなロールケーキだけ食べることにした。カステラ部分がちょっとパサパサだったが、まずまずの味だ。

 窓の外が緑だらけになってきた。山深いという気はしないが、平野もなくなってきた。窓の外に見える山の標高は・・・?そんなに高そうには見えないが、空港のあるパロが2300mだから、やっぱ3000m級なのか?高度計があるわけではないから、さすがにわからない。飛行機はそのうちにグングン高度を下げ、ブータンの田畑が見えてきた。平地は水田ほとんど、畑若干、民家ほんのちょっと、あとは全部山。そのうちに民家が密集してくるだろうと思っているうちに、ダッカからちょうど1時間、ブータン時間11:00にパロ空港に着陸した。アッサリと速度を落とし、左向きにキュッ。これで飛行機はとまったのである。

 飛行機を降りて僕がまず目にしたものは・・・超伝統的ブータン風建築(ただし鉄筋コンクリート)のパロ空港の建物である。それと、僕たちを乗せてがんばったKBの機材。とりあえず、写真を見ていただくことにしよう。余計な説明ナシでこの写真を見ていただければ、僕と“当たらざれども遠からず”の印象を抱いていただけるのではないだろうか。それと、山のいたるところに経文旗(ダルシン)が立てられているのが見える。旗が1回はためくと、お経を1回読んだのと同じ功徳があるそうな。


ドゥック航空BAe146の機材。飛行機の左上の幟みたいなのが経文旗。

回れ右をして、空港ターミナルを撮影。

 

 空気の薄さなんか感じることなく、超ホノボノムードの入国審査を終え、まずは両替。ブータンの通貨はニュルタムで、1円が約0.4Nuのはずである。ところが、みんなで1万円を出し合い、5人分まとめて両替えしようとしたら“金がない”と断られた。しかし、1人ずつ1万円を出せば両替えしてくれるのである!変わった国に来ちゃったんだなあ。

空港を遠望。中央やや右に飛行機。

 

 空港の外に出ると、現地ガイドのゲンボさんとドライバーのチミさんが待っていた。あいさつもそこそこにまずは昼食と、スーツケースをマイクロバスの屋根に乗せる。屋根の上にはチミ氏1人、軽くないスーツケースを引っ張りあげる姿を見るのはヒヤヒヤだ。

 空港から走ること15分、パロの町に入った。そのメインストリートを“パロ銀座”と呼ぶことにしたが、・・・まあ銀座か。その銀座の中にある“ソナム・トフェル”というレストランがブータン初食事の場である。ビュッフェ・スタイルの昼食は、パサパサのご飯にヤキソバ、ギョウザ、ポテトのクリーム煮など。ブータン料理は辛いと聞いていたが、そんなことはない。外国人向けなのかなあ?ナスととうがらしを使った料理があって、さすがにそれは辛かったが、それでも“辛いけどウマい!”という程度である。インドのビール・ブラックラベルもうまい。高度のせいかアルコールの回りが早いような気がしたが、片っ端からおいしくいただいた。

食事はいつでもこんな感じ。ライスと焼そばを入れて、7〜8品といったところ。(写真提供・鈴ぽちぇさん)

 

 

 食後のちょっとした時間を利用して、パロ銀座をぶらついてみる。どうも端から端まで200mほどにしか見えないのだが・・・(実はホントに200m程度である)とりあえず、店から空港の方に戻る方向に歩いてみることにした。商店を覗くと、ネパールの雑貨屋のようにどの店も品揃えが同じように見える。そんなパロ銀座を100mほど歩くと広場があって、キャンプファイヤーのように木が組まれ、そばにテントが張られ、人々が集まっていた。見ると、高僧が法要中だという。チベット仏教カーギュ派が主流のブータン、きっとこれもカーギュ派の法要(家内安全御祈祷中)なのだろう。ちゃっかり加持を受けようかとも考えたが、住民の宗教感情を害したらイヤなので止める。しかし、添乗員さんは加持を受けた証拠である紐(スンケという)をもらってきてくれた。首に巻いておくと御利益があるそうな。自然にほどけるまで首にしておくものだと言われたが、結び方が弱かったのか、夜にほどけてしまった。

パロ銀座。レストランは中央の建物。

法要中の高僧。なんと、後日再会することになる。

 

 パロを後にし、首都ティンプーに向かう。この道中は50kmほどの道のりなのだが、山道なので1時間半もかかるらしい。未舗装かとの心配はさすがに杞憂だったが、道は狭く、ブラインド・コーナーの連続だ。たまに対向車がくるが、そうすると舗装面をはみ出し、路肩に車輪を落とさないとすれ違えない。そんな路肩は山側がガケ、谷側がホントに谷底と、スリル満点だ。だから、ブータンの交通マナーはめっぽう良い。ちなみに、僕たちのマイクロバスが時速40km以上を出すことは、めったになかった。

 またしてもいつの間にか寝てしまい、起きたらバスはパロ川の渓谷の右岸を走っていた。途中、タチョガン・ラカンという寺を対岸に見るポイントで撮影小休止となった。たまたま通りかかった少年に、付け焼き刃で覚えたゾンカ語で挨拶してみる。「クズ・ザンポー(こんにちは)」、これが、僕が初めて喋った現地の言葉である。少年たちも「クズ・ザンポ」と返事してくれた。かなりうれしい。

タチョガン・ラカンへの橋(歩行者専用)。

欄干にかけられた経文旗。橋に悪魔がつきませんように、という理由から。

 

 お次の休憩ポイントはパロ川とティンプー川の合流点・チュゾン。何をチェックするのか分からないが、とにかくチェック・ポイントがあって、兵士がいる。ドライバー氏がチェックされに行くが、緊迫した雰囲気はどこにもない。僕たちは、近くの巨大マニ車を撮影したりして時間をつぶす。あまりにもチェックが長いので退屈しかけてきたが、なんとその先の辛うじて見えるところに故障車がいる。ラチが開くまで出発しなかったドライバー氏の好判断。

 エンジンが死んでしまった軍用トラック(ただし教習中)の脇をすり抜け、ひたすら走ること数十分、首都ティンプーに近づいてきた。といっても、ブータン様式の民家が増えてきたな、程度だ。さすがに首都、パロよりははるかに人口が多いのはわかるが、建物はすべてブータン式・・・実は、法律で建物はブータン式と決まっているのだ。ついでに、ブータン人には民俗衣装着用義務もある。鎖国していた時代というのはそんなに昔ではないが、そこから固有の文化を大切にしながら、ブータンは近代化への道を歩んでいるのである。自国の文化なんて知ったこっちゃない、というどっかの国とは大違いだ。

 ティンプーに着いたのは17時、“ティンプー銀座”の入口に位置する最高級ホテル、ドゥック・ホテルに入る。12畳くらいある部屋に驚いたが、さっそく必要なものだけを持って、夕食までの間に街をぶらぶらすることにした(ホテルで両替・50米ドル→2250Nu)。それにしても首都って雰囲気のない街だ。なんだか、温泉場にやってきたノンビリ感がただよっている。すべての建物がブータン建築だからだろうか?ブラブラと首都の入口まで10分弱歩き、ティンプー川にかかる立派な橋の上で川面を眺める。雨季だから水量は豊富だが、滔々と流れると言うよりも単なる濁流だ。そんな橋の上で、スレた子供がナゾの割引券を売りつけてきた。もちろん買わないが、なんだかブータンではない気にさせる。

 ティンプー銀座入口、すなわちホテルのほぼ真向かいのお店で、例によって最初の買い物はたばこにした。価格チェックついでだ。手に入れたのはインドたばこのWILLS、10本入りで25Nu(63円)だったから、やや高い買い物だったか。ちなみに、味も大したことはなかった。

 夕食のメニューは、昼食と同じビュッフェ・スタイルで、昼食と同じようなメニューだった。春巻きがあったことくらいが昼食との違いか?ちょっと辛い牛肉のそぼろ煮に舌鼓を打ち、テーブル上に置かれたチリ・パウダーを利用して、ヤキソバを挑戦的な味付けにする。こうして辛い辛い言いながら、ブータン最初の夜は更けていった。

 就寝後、1回だけ目が覚めた。首筋を蚊に刺されていた痒さのためだった。

 

 

第3日目につづく

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