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第6日目(8月27日・日曜日)

 怒濤の夜が明けると、胃の調子は完全に戻ってはいなかった。出発直前までトイレと親交を深め、名残りを惜しむ。そんなこの日は、よりによって2時間のバス移動からスタートだ。途中でバスを止めるハメになりませんように・・・

ティンプーの交通整理のお巡りさん(信号がないから)。

ブータンのタクシー。

 

 パロまでの道は、第2日目に通った道を戻るかたちとなる。もう寄り道もなく、まっすぐパロに向かうだけだ。ティンプーを出発して10分ほどでシムトカ・ゾンを過ぎ、さらに10分ほど走ると、もう人家は途絶えた。山をまわりこむかたちで道が敷かれているため、振り返ればはるかにティンプーの町を見ることができるが、すぐ近くの風景と遠くのティンプーの街を見比べれば、さびれた温泉街などと表現したティンプーが、大都会であったことがわかる。

 車の中で、胃は落ち着きをとりもどした。車内で聞いたブータンのポップス音楽(オーソドックスかつ単調)が心地よい。そんなバスは、寄り道をしなかったためか80分ほどでパロに着いた。

 ふと見たパロ空港に飛行機がいない(もう着いているはずなのに・・・)のが若干気になるが(墜ちていたら帰れない!)、ともかく昼めしである。入ったのは2日目のレストランのナナメ向かいくらいにある店だ(店名失念)。ハッキリ言って、メニューは見慣れたものばかりだ。まだ食傷にはならないのだが(僕は、日本でも同じメニューを飽きるまで食べることがよくある)、全員でつついているゴマ昆布や、海苔の佃煮もちょっと食べることにする。少しくらいは味に変化を・・・と思ったが、とにかくこの日の昼食について、僕は声を大にして言いたい。「辛くないってすばらしい!」

タ・ゾン付近よりパロ銀座(これで全部)を遠望。

 

 午後イチに向かったポイントは、タ・ゾン。パロ・ゾンのすぐ上にあるゾンで、その昔はパロ・ゾンの望楼の役目を果たしていたそうだが、現在は国立博物館となっている。曼荼羅あり、仏画あり、仏像あり、古民具あり、シカの頭のはく製あり。宗教的なものから日常生活に使われた民具まで、なんでもかんでも収蔵されている不思議な博物館である。ゾンの一種であるから写真撮影はできなかったが、なんとも不思議な博物館だ。なんせ、入口が4階で、6階まで昇ってから1階の出口へ向かうのだから・・・きっと、攻められてもうまく守れるようにわざとややこしい作りをしたからだろう。もっとも、それをキチンと使用しないでほしいが・・・

 複雑な博物館から、手の届きそうな位置にあるパロ・ゾンに向かう。山を50mほど下れば着きそうだが、道の都合でぐるっとまわりこむ。そんなパロ・ゾンは一切拝観禁止というはずだったのだが、そこを(なぜか)なんとかしてくれるのが名ガイド・ゲンボさん。中庭さえ見られないはずだったのに、どこまでも入れることになった。

 このパロ・ゾンは、ベルナルド=ベルトルッチ監督作品の映画『リトル・ブッダ』の撮影地である。映画では、ドルジェ老師の生まれ変わりであるとされた少年と少女が集い、ノルブ老師が亡くなり、砂曼荼羅が作られていたその場所だ。中庭から見上げた本堂の白壁が、中庭をぐるっと取りかこむ僧房が、そして所在なげにこちらを見ている少年僧が、映画の1シーンを彷佛とさせる。

パロ・ゾン。上にちょっと見えるのがタ・ゾン。

 

 この日のパロ・ゾンは、首都ティンプーからも大勢の僧侶がやってきて、大規模な法要が行われていた。そのために本堂は入れなかったが、本堂ウラ手の大広間は見学ができた。そこには超巨大な黄金のグル・リンポチェ(パドマサンババ)像がそびえ、この日の法要のために作られた砂曼荼羅が奉納されていた(本物は拝観不可で、練習用だけ見せてもらえた。練習とはいえ、おそろしく細かい作業だ。なお、本物は法要終了後に壊して川に流すそうな)。その傍らでは、ティンプーから来た少年僧がお経を呼んでいたが、みんな飽きているのがよくわかる。寝るのはまだカワイイほうで、ほとんどがこちらを物珍しそうに見ている。お経が途切れないのだけはさすがだが・・・

 パロ・ゾンからしばし歩き、パロ川にかかる屋根つきの橋まで歩く。ここも『リトル・ブッダ』の撮影に使われた場所だ。そこからパロ・ゾンを見上げると、先に行ったタ・ゾンまで見上げることができる。どこにカメラのファインダーを向けても、いい写真が撮れそうだ。そんなことを考えていたせいか、30分ほどでフィルムを1本使ってしまった。

『リトル・ブッダ』に出てくる橋です。

橋とゾンとの2コマ。

 

 橋からほど近いパロ銀座で、しばし自由行動ということになった。200mほどのパロ銀座を端から端まで歩いて、あちこちの店を冷やかしてみるが、コレを買いたいと思うものはとくにない。仏具屋があって、そこで売られていた経文旗やお線香・お経本などにはけっこう惹かれたが、自宅での置き場を考えてやめることにした。ウチは日本天台宗のお寺なのだ、ゾンじゃないんだ、と言い聞かせながら。で、結局買ったのは炭酸ジュースであるミリンダ。本当はペプシが飲みたかったのだが、冷えてなかったのでやめる。ミリンダは冷えていて、味は炭酸と甘味が少ないファンタレモンといったところだ。20Nu(70円)と言われて高いと思ったが、すでに栓が抜かれているのでキャンセルができなかった。まあいいかと飲んでいると、僕の次に店に入ってきた西洋人が、冷えていないペプシを買って、おいしそうに飲んでいる。

 この日最後の観光スポットは、民家である。ごくごくフツーの、単なる民家。でも、ごくごくフツーの人の生活が見られるのだから楽しみだ。門をくぐると、すぐ脇に牛がいた。なるほど、1階は家畜小屋なのね。2階は?暗いのでよくわからない(素通りした)。僕たちが通されたのは3階である。

民家の2階から中庭を見下ろす。写っている人はこの家のご主人の旦那さん。

 

 まず、3階に水道とかまどがあってビックリ。かまどを3階にもってくるというのが予想外だ。で、仏間で豪華な仏壇(壁には仏画とダライ・ラマの写真と国王陛下の写真)を見て、その隣の部屋でお茶をいただく。お米を加工(調理方法不明)した茶菓子が4品。それをつまみながら、まずはバター茶。僕はしょっぱいバター茶が苦手である。民家の女主人(ちなみに、ブータンは完全な女系家族であり、世帯主はおかみさんである)はせっせと注いでくれるが(ちなみにその2。ブータン人は“マイカップ”を懐に入れて持ち歩き、こういったときは自分のカップでお茶を飲むそうな)、飲まなきゃ失礼だと思う反面、なんとかゴマ化したい。米菓子にも手をつけてみたが、どれも油の味か米の味しかしない。甘さはほんのちょっとだ。一息つくと、こんどはアラという蒸留酒が出てきた。こっちは泡盛のような味だが、僕は蒸留酒も苦手なのである。だから、おいしんだかまずいんだかわからない。

柱の奥が仏間。

 

 この日から泊まるホテルは、パロのドゥック・ホテル。パロ・ゾン下の橋から徒歩でも行けるそうだが、けっこうキツい坂を昇ったところにホテルはあった。明日行く予定のドゥゲ・ゾンを模した建物らしく、きれいな建物だ。ところが、僕たちの部屋だけはとんでもないところだった。まず、部屋が蚊だらけ!網戸がないのに窓が開け放たれ、緑に囲まれた山の中の蚊がわんさと部屋に入っている。10分間で12匹もの蚊を退治し、お次はシャワーからお湯が出るかのチェックだ。こっちは問題ないようだが、なんか蛇口の根元(壁)からもお湯がでるのが気にかかる。

 夕食は、例によってビュッフェ・スタイルである。ヤクのピリ辛炒めがおいしかったが、それよりもちょっと辛いだけでドキドキだ。昨日の今日、さすがに懲りている。

 夜、シャワーを浴びようと蛇口をひねると、壁からお湯が出てきた。蛇口を壁の方にギュッと押し付けると、壁に作り付けのシャワーからお湯が出てきた。明日は部屋を変えてもらうことにしよう。

 

第7日目につづく

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