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第7日目(8月28日・月曜日)

 ついに、この旅行のメインともなるべき日がやってきた。ブータン人が一番の聖地とする、タクツァン僧院までの山登りである。虎に乗ったグル・リンポチェ(ブータンに仏教を広めたとされる。パドマサンババとも言う)が山に降りたという伝説のポイントに僧院があるのだ。徒歩で往復6時間かかると聞かされていたが、僧院が不審火で消失(3年くらい前)してしまい、その再建工事のために資材運搬の道路ができたため、徒歩の区間は片道1時間ちょいだそうな。1時間ならどうってことねえや、とタカをくくっていた。
 起床したときに、まずはお腹のチェック。大丈夫だ、安心して登れる。大いなる過信とともにホテルを出発。途中、パロ銀座でミネラルウォーターを買って補給を行う。そこからバスに揺られること30分ほど、添乗員さんが「ここまでバスで入れるんだぁ」と感心するポイントまできた。そこで先生から、空気が薄いから歩行速度は平地の半分で、とのお言葉を頂戴する。自分のペースを守って歩きたいのだが、実は僕は標高800m以上の山になんか登ったことがない(富士山の8合目までは行ったことがあるらしいが、小さかったのでまるで覚えていない)。ここは先生のお言葉を肝に命じておこう。なんせ、出発点が標高2300m以上、僧院のある場所は標高3000m近いはずだから。

出発地より僧院を望む。白い壁が僧院です。

 

 1本道だから迷うことはないが、ゲンボさんが先頭だ。雑木林の中をダラダラと歩くと、山肌が急にキツくなった。その斜面を削って人が通れるようにした、といった道である。もっとも、道幅は2m以上あるからルートの選択肢はいくらでもある。小石だらけの危険な箇所を避けるのは容易なのだ。問題は、とにかく酸素が薄いこと。比叡山よりは楽だからと調子に乗ると、すぐに息が切れる。高山で歩く速度は平地の半分とはよく言ったもので、普段の半分の速さで登ればまったく苦しくならない。ただし、自分のペースとは違うからやりにくいし・・・

 登りはじめは涼しいくらいだったが、登りはじめたらすぐに暑くなった。ウィンド・ブレーカーを脱ぎ、肩かけサイフもリュックにしまい、ひたすら登る。谷から吹いてくる風が心地よい。空は雲が厚いが、曇っているから涼しくてよいのだろう。これで晴れていたらたまんないよな。

 ひたすら登り続け、汗はだくだくである。そろそろ歩き飽きたころ、やっと小休止となった。あと10分くらいで目的地とのことだが、ほとんどの人の表情がなくなっている。足も重くはなっているのだが、後ろを振りかえれば自分が登ってきた分、視界が開けてきている。出発点は眼下の森の中だった。自分の足でこれだけ登って来れたんだと実感する。さあ、あとちょっと!

出発点は左下の森の中。

 

 登りはじめて80分、タクツァン僧院を望む第1展望台(勝手に命名)に到着したのは、11:00のことだった。ここにはレストハウスがあって、昼食もここでとるという。だが、タクツァン僧院と同じ眼の高さに第2展望台があって、希望者はそこまで行ってみよう、ということになった。僕はもちろん行くつもりだ・・・みなさん行くようだ。その前にキチンと休息を。暑さを自然の風で紛らわせつつ、紅茶で喉を潤す。水分はキチンと補給しなきゃ。

第1展望台直前にあった、マニ車とダルシン。

 

 第2展望台への道の出だしはキッツイ登りで閉口したが、それを過ぎると・・・やっぱり“程度としてさっきよりマシ”な登りである。ほとんど道は平坦だと言っていた添乗員さんを恨みつつ、第2展望台を目指す。途中、茂みの中から兵隊が姿を現した。まつたけを手にしているが、この兵隊は何をしにこんなところに来たんだろう?

 第1展望台から登ること30分少々、ここまでずっと森の中を行進してきて、視界が開けはじめた。第1展望台も小さく見える高さから、ぐるっと山肌をまわりこむ。すると、目の前にタクツァン僧院が飛び込んできた。そこが第2展望台だったのである。手に取るように僧院が見え、修復工事をしている人に手をふれば、ふりかえしてくれるほどの距離だ。ちなみに、ここからタクツァン僧院に行くには、目の前の谷をいったん降りてまた登らねばならない(徒歩1時間)そうな。1時間ってのはツラいが、外国人が立ち入れるのは第2展望台までというのも残念だ。

第2展望台より僧院を望む。工事中なのが残念。

 

 下りはラクラクだが、急な部分はちょっと怖い。まあ、どうということはなく第1展望台に戻る。食事はいつものビュッフェ・スタイルだ。ここでは粉ふきいもカレー風味がうまかったとメモってあるのだが、写真を撮っていないのが残念。そのかわりに、おみやげ用のチベット・ホルンを吹かせてもらった。金管楽器と同じ要領なので僕はけっこう楽に音が出せたのだが、音の高低がきれいにできない(僕が悪いのではなく、楽器の特性と思われる)。あんまり高低は使い分けないのかなあ?

売り物を買わずにこれでもかとばかり熱をこめて演奏する筆者(写真提供・鈴ぽちぇさん)

 

 1時間以上かけて登った区間だったが、下りは40分ほどで降りてしまった。その間、第1展望台にいた2匹の犬(いつの間にかみんなでワタナベさん・ナカムラさんと呼んでいた)がついてきた。いつまでついてくるかと思ったら、結局ふもとのバスの所まで来てしまったのである。その後あの犬は再び山を登るのだ。元気だねぇ。

 タクツァン僧院を後にし、ドゥゲ・ゾン(正しい発音だと、「ドゥックユゲ・ゾン」を早く言うかんじ)に向かう。ここは40年ほど前にバター・ランプを倒したことから出火・消失してしまい、現在は廃虚となっている。再建計画はないそうで、景色がいいからと行ったのだが、現在は雨期。乾期にはチョモラリ(7314m)も見えるそうだが、その方角は厚い雲に覆われて見ることはできない。ただし、小高いところにゾンがあるので、周囲を見渡せるのがよい。なお、肝心のゾンの内部は草ぼうぼう、焼け残った壁が煤けていて、火事のすごさを伺い知ることができる。

完全に廃虚のドゥゲ・ゾン。

 

 この日最後の訪問地は、ブータン最古のお寺であり、国王陛下の菩提寺でもあるキチュ・ラカン。無数の摩尼車がお寺らしさをかもし出している。写真をパチパチ撮りながら中庭に入ると、このお寺の住職がいらっしゃった。聞いてみると、なんとこの住職は2日目にパロの街で法要をやっていた、その御本人だという!偶然の再会には驚いたが、その住職の計らいで本堂も参拝させていただいた。巨大なパドマサンババ像に迎えられ、その前で般若心経をお唱えする。全然自分の宗派とは関係のない本尊さんなのだが、いざ般若心経を唱えはじめれば、無心に黄金のパドマサンババを直視している自分がいる。ブータンだろうとどこだろうと、やはりお寺はお寺なのだ。バスに乗り込んで戻ろうとすると、住職が見送ってくださった。しばらく手を振ってくださった。



キチュ・ラカンの外観と、壁を一周していた摩尼車。

キチュ・ラカンの入口にいた女の子たち。

 

 これで、ブータンでのすべての観光が終了・・・しない。まだ買い物をし足りない方がいるので、パロ銀座に立ち寄る。僕はもう何も買いたいものはないし、冷やかす店もない。せっかくなので、ジュースを買うことにした。ブータン最後の買い物だ。なぜかこの旅行中に、一行にバカウケしているミリンダ・レモン(そんなに甘くないファンタを想像していただければ正解)を、H先生におごっていただいた。冷えていない炭酸ジュース、お腹がガボガボになる。時間がまだあるので、お土産用にタバコを買おうかとも思ったが、それは売っている店を見つけそこね、購入に失敗した。

 ホテルに戻ると、うまい具合に部屋が変更となった。シャワー(お湯)がキチンと蛇口から出て、蚊がまったくいない部屋だ。その部屋を満喫する前に、カメラを持って僕は取材に出た。取材目的は、石焼き露天風呂!ドツォという露天風呂は、“焼け石に水”をせっせとくり返して沸かした風呂である。本館から少し離れたところにある風呂小屋の裏手では、石が真っ赤に加熱され、見るからに熱そうだ。それをどんどん湯船に放り込むのだが、浴槽の水量を温めるにはかなりの焼け石が必要だ。さっそく入ったH先生は熱い風呂がお好みか、どんどん焼け石を追加してくれと言う。焼け石を放り込んでいる人は、ホントにこんなに入れていいの?と困っている。後で湯船に手を入れてみたらまだぬるかったので、ブータン人はぬるめの風呂がお好みなのだろう。

石を焼く。

投入口から湯船に焼け石を入れる。

これが湯船。石が落ちてくる場所と人が入る場所はさすがに別。

 

 最後の晩さんも、例によってビュッフェ・スタイル。持ち寄った食材の処理のため、佃煮やふりかけなど、いろいろなものを食べたが、僕は結局ブータンの料理を食べ飽きることはなかった。お世辞にもバリエーションのある食事とは言えないが、おいしくいただけたのはめでたい。また、この日も誕生日のお祝いがあった。翌日がホントの誕生日だそうだが、1日繰り上げてお祝いだ。

 この日の夜は、一行が揃う最後の夜でもあり、ゲンボさんも呼んで深夜までみんなでいろいろな歌を歌ったのだが、ゲンボさんはどーしても歌わない。どんなバツでも受けるからというので、誰かが奥さんにもらってくれと言い出す始末!ゲンボさん、なぜか「カエルの歌」を知っていると言うので、結局全員合唱でシメた。ゲンボさん、そんなに音痴じゃないんだけど。

 

第8日目につづく

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