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第4日(8月20日・木曜日)
根室(600)―釧路(824) 5624D 根室→釧路
 寒い朝だ。雨も少し降っているし、風は強い。半分寝ぼけながら根室駅に向かった。列車は3両編成だが、ガラガラもいいところである。
 昨日は真っ暗でわからなかったが、今日は外が(雨が降っているが)見える。まず東根室は、本当の無人駅、ホームの作りもチャチで、「最東端」という標識が寂しい。その先は原生林の中だ。駅があっても人家はなく、遠くにチラっとサイロが見える程度である。私の好きな作家・宮脇俊三氏はこの路線を「もっとも北海道らしい」というが、寝不足の体には睡眠薬でしかなかった。天気も悪く、旧標津線跡を探すどころではない。

釧路(855)―網走(1148) 3728D 快速しれとこ 釧路→網走
 風雨はだいぶひどくなり、湿原は単なる原っぱにしか見えない。さらにガスがかかり、標茶では旧標津線跡はまたもや見つけられなかった。あまりに天気が悪いので外を見るのを諦め、釧路で買った雑誌を眺める。相棒Tは寝てしまった。
 目線の先にある雑誌が明るくなった。外を見ると川湯温泉、いつの間にかきれいに晴れていた。ここから次の緑駅までは、まさに緑・緑・緑!この明るさはなんだろう。2日ぶりの太陽が心地よい。このぶんなら、途中下車すれば摩周湖も見えるのでは?周囲の畑にはビートとネギが植えられている。
 知床斜里で、旧根北線跡を発見!!相棒Tも知らない根北線は、もう廃止されて25年以上も経つのに、こんなにハッキリと・・・しかし裏を返せば、それだけ道床跡の利用価値がまったくないということではなかろうか。
 そして、北浜ではオホーツク海がすぐそこに見える。4時間半で、太平洋からオホーツクまでやってきたのだ。明日は日本海だから、あわただしいことこの上ない。

網走(1208)―遠軽(1446) 4662D 網走→遠軽
 キハ40の2連は、ボックスに1〜2人程度で、やはりガラガラだった。網走を出てさっそく旧湧網線跡を探すが、なぜかわからずじまい。一方、美幌では旧相生線跡を確認。道床跡には家も建っていた。この付近には広大な水田も広がっている。しかし、並の広さではないぞ、これは。
 留辺蕊付近ではダイコンを栽培しているようだったが、豪雨の影響からか、倒れているものが多かった。
 そして、かの「常紋トンネル」へ。超低速でゆっくりと勾配を上って行くと、まず信号所が現われる。構内路線図も書いてきたが、不思議な配線だ。しかも、僕たちの乗った列車・対抗列車とも、ダブル・スイッチバックをする。平地がないところに、強引に平地を作ったせいであろう。長々と止まって(運転士が一服)、トンネルに入った。が、あっさりと抜けてしまう。恐ろしく長いトンネルだと勝手に思い込んでいたのだが、5分くらいだっただろうか。拍子抜け。しかし、こんなところにトンネルを掘ることは、並大抵のことではない。
 こうして遠軽到着。たっぷりと時間があるので、あっさり見つけた旧名寄線跡を少し歩いてみた。高台の上でバラストが残っているものの、草が生えて歩きづらい。遠軽駅から400メートルくらいで高い草が生え、もう進めない。戻ろうとすると、下の民家のおばちゃんから不審な目で見られる。ことを大きくしないためにも『廃線跡を見に来た』とこちらから言ってみたら、疑いの色は消えた。

遠軽(1626)―旭川(1956) 4626D(上川から4534D) 遠軽→旭川
 100分近くも待たされてからやっと乗った列車は、網走からの列車と同じ列車だった。この列車は、白滝から上川まで各駅に止まる、この日唯一の列車である。平均乗降客0人というとんでもない駅がどんなところか楽しみだ。
 その問題の乗降客0人の地帯である奥白滝からは、まさに秘境だった。なんでこんなところに駅を作ったのだろう。昔は人が住んでいた過疎地帯とは、とても思えない。駅を作ったところで、熊でも乗せるつもりだったのだろうか。
 石北トンネルを抜けると、そこは上越信号所で、15分の運転停車。ここは廃止された旧上越駅だ。駅舎も残っている。「石狩・北見国境標高六三四米」という立て札も見えた。雰囲気は駅らしいのだが、周囲は秘境である。駅が廃止されるのも当然かもしれない。所在なげに運転士も一服している。
 次の中越にも「標高478米」の立て札がある。しかし、工事現場とその施設しかない。 さらに次の天幕は「382.252米」の立て札。ずいぶん下ってきたことを実感するが、何もないことに変わりはない。繰り返すが、本当に何もないのだ。畑さえもないのだ。そこから2分くらい行くと、久しぶりに人家が現われ、やっと現実世界に戻ってきたかのように思える。
 上川で2両増結し、3両になった。この増結作業の合間に入場券を買おうと窓口に行ったが、誰もいない。まだ18:30なのにどういうことだ!と思ったら、駅員は全員で増結作業を手伝っていた。駅前は夏祭の真っ最中で、バンドの演奏がやたらとうるさい。
 上川を出るともう真っ暗、いつの間にか寝てしまった。
 旭川では定宿(?)に宿泊。前回に引き続いてうまいラーメン屋を探すが、どうも失敗続きだ。ガイドブックなしの行き当たりばったりでは、しかたないか。



第5日(8月21日・金曜日)


 この日は、相棒Tとは朝から別行動。夕方の札幌で、もう1人の会いたい友人で札幌在住のTsと、遅れて東京を出発したSの2人と合流予定だったため、そこで集合ということにした。

旭川(644)―富良野(759) 723D 旭川→富良野
 まだソバ屋も開店していない旭川からの乗客は、3両のキハ150に私を含めて2人だった。天気はすばらしくいいが、まるで回送列車のようである。燃料のムダだよなあと思っていると、上富良野で生徒が大量に乗車してきた。うわ!朝ラッシュ!思う間もなく、次の中富良野でも大量の生徒が乗車。なるほど、美瑛で後ろ1両を落としたのは、上りのラッシュ時対応列車だったのか。それにしても、ラッシュなんて久しぶりだ。
 富良野では乗り換え時間を利用して立ち食いソバ屋へ。13分もあるからと思っていたら、大量の生徒が改札に殺到し、まるで列が動かない。ソバ屋は改札の外だ。なんとかたどりついてソバを注文するも、ソバ屋のおばちゃんがどっからきたの?とか昨日はどこに泊まったの?とか話かけてくる。もちろん、作業は極めて遅い。時間ねえんだよ!と心中で叫びながらソバを一気食いし、列車に駆けこんだ。

富良野(812)―滝川(917) 3428D 快速 富良野→滝川
 息を切らして飛び乗った列車はガラガラのキハ40だった。この区間は、とにかく上芦別からが絶景!天気がよかったから余計にそう思ったのかもしれないが、ともかく遠くに見える真っ白な「北海道大観音」には圧倒される。
 芦別は広大な構内の駅だった。しかしペンペン草が目立ち、悲しい限り。旧三井芦別鉄道の跡はわからないが、この広大な構内が名残だろう。そんなことを思っている間に寝てしまい、気付くと滝川駅についていた。
 コーヒーが飲みたくなったので、滝川で「北海道限定ミルクコーヒー」なる「日本アスパラガス(株)」製造の缶コーヒーを購入。お世辞にもうまくない。

滝川(1038)―深川(1053) 13D 特急オホーツク3 札幌→網走
 ここから深川までは、異常に鈍行の運転本数が少なく、特急を利用せざるをえない。なんせ、出発列車案内のLED(上りと下りの各3本が表示できる)に表示された6本が、すべて特急なのだから・・・そこで、ディーゼル車両に傾倒している僕は、迷わず『オホーツク』に乗車することに決めた。
 『オホーツク』の自由席は5割の乗車率だった。さすがに乗り心地はいいが、深川までわずかに15分。あっけないものだ。

深川(1107)―留萌(1206) 4925D 深川→留萌
 3年ぶりの深川だ。前回は深名線に乗りに来たのだった。その深名線ホームとして使われていた6番ホームは、1日2本の到着専用ホームとなっていた。仕方ないとはいえ、寂しさを覚えずにはいられない。
 さて、今回は留萌本線である。2両のキハ54(ただし、後ろの車両は客扱いしていない)は、7割の着席率である。まずは石狩沼田で旧札沼線跡を確認。ただし、だいぶ宅地化が進み、わかりづらい。それにしても、この付近はものすごい穀倉地帯だ。たまにトンネルが現われるが、そこを過ぎればまた水田。すごい。
 留萌駅は広大な構内で留置線も多いが、ほとんどが放置されている。線路が敷かれたまま、草は伸び放題。この駅も往時の繁栄が偲ばれる。さて、腹が減った。迷わず留萌駅の立ち食いソバに入る。あれ?朝食はソバだったよな?朝昼連続ソバはやだなぁ。そんなことが一瞬頭をよぎり、違いを出そうと思わずきしめんを注文してしまった。

留萌(1230)―増毛(1256) 5921D 留萌→増毛
 さっきと同じ車両だ。ただ、回送してきた後ろ1両は切り離され、折り返し深川行きとして仕立てられた。旧羽幌線跡はわからずじまい。港に向かう廃線跡があったが、あれだろうか?それだとすると、どうやって川を渡って対岸に行くのか?ひょっとして、留萌駅構内のずーっと向こうに専用ホームがあったのか?謎だ。
 発車して間もなく、日本海が目の前に広がる。白波が目立つが、日本海だ!という思いのほうが強い。ところで、国鉄時代は仮乗降場だった阿分・朱文別・箸別の各駅は、どれもホームが10mくらいしかなく、列車は当然ドア付近しかホームに止まらない。いくらなんでもこんなホームの作り方をしなくてもいいと思う。
 増毛駅は大分古びているが、しっかりした作りの小さな駅だった。

増毛(1305)―深川(1436) 4928D 増毛→深川
 今乗ってきた列車でそのまま折り返す。乗客は大人12名、子供2名。うち大人7名は明らかに鉄である(自分を含む)。留萌でだいたいの席が埋り、午後の明るい日差しの元、列車は深川まで戻った。
 深川で待ち時間を利用して駅付近を散策。神社の夏祭があって、賑わっている。せっかくだからお参りしようと思ったが、どこに神社があるかわからずに断念。その間に相棒Tから電話があった。ヤツはどこに行った?
 <後日談>このとき相棒Tは「初志貫徹」して上砂川と歌志内を訪れていた(第2日の記事参照)。

深川(1516)―旭川(1548) 3183M 快速いしかりライナー ほしみ→旭川
 こんな時間だからか、列車は異常に空いていた。この区間の鈍行は3時間ぶりなのに・・・半分呆れながら乗ったものの、とりあえず旧深名線跡を探す。といっても廃止からまだ3年、旧道床はハッキリ確認できた。伊能からは生徒が大量に乗車。下校専用列車の雰囲気だ。私だけが車内で浮いている。

旭川(1612)―滝川(1658) 3278M 快速いしかりライナー 旭川→手稲
 わずか30kmの未乗区間を片付け(まさに片付けたといった状態だ)、その列車であっさり折り返す。下校ラッシュの逆方向だから、今度こそ空いている。このまま2時間半座っていれば、もう1人の会いたい友人・Tsと合流だ。わくわくしながら座ってはいるものの、まったくやることがない。岩見沢まではすでに乗ってしまっているし・・・そう考えた途端、衝動的に滝川で降りてしまった。その理由とは・・・

滝川(1704)―岩見沢(1732) 2022M 特急ライラック22 旭川→札幌
 いい歳をしてすることではないが、思わず「薩摩守」を実行してしまった。わずか30分ならなんとでもゴマ化せるし、札幌には30分以上も早く到着できて、時間の節約ができる、という悪魔の誘惑に負けた。列車は混雑していたが、首尾よく座る。ただし、立客もいるのでとても肩身が狭い。

岩見沢(1734)―札幌(1813) 3272M 快速いしかりライナー 岩見沢→小樽
 さすがに岩見沢で降りて、始発の列車にゆったり座る。さっきまでの混み方がウソのようにガラガラだ。少々の乗客と大量の空気を乗せて、711系6連は札幌方面に向かう。この列車に乗ったことで、2つの駅で途中下車することが可能になった。小さな駅で降りて、入場券を買って・・・と思ったが、あまりにバカバカしくなってやめた。おとなしく札幌に向かおう。
 夕方の札幌駅は混雑していた(あたりまえだ)。いつもは早朝の、ソバ屋しかやってない札幌駅しか知らないので、多少戸惑う。ただ、雑踏が懐かしいのは東京人たる由縁だろうか。ともかく、まだ集合時間には早いのでとりあえずおみやげでも買おうと、改札隣のキヨスクに入る。おっ、じゃがいもだ。5kgか・・・宅配便で自宅に送り、満足して店を出ると、もうみんな集合していた。
 ここで初めて全員が顔をあわせたのだ。私、相棒T、遅れて出発したS、そして札幌在住の友人Ts。すすきので飲んで(そのときに道内時刻表を店に忘れてきたことが悔やまれる)、Tsの家で夜遅くまでくっちゃべった。


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