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第4日目(2月27日・土曜日)
今日は、チャンドラコットまでのミニ・トレッキングが目玉だ。途中で「ご来光」を見るために、今日も早起きをした。起きた瞬間から空腹を感じた。今日も絶好調だ(実は、ここですでに勘違いが始まっていた)。「お弁当」(まだ中身は分からない)を持ってホテルを出発したのは、まだ暗い5:30、旅行会社のいつものバンだ。車は「高速道路」(ただしタダ)を快調に飛ばす。ご来光までまだ1時間あるが、それまでにトレッキング開始地点のルムレには着かない。途中でご来光を眺めるそうな。
車は順調に飛ばしている。ホテルから10分も走れば、もう郊外だ。あとはぽつりぽつりと民家があるだけで、これといったものはない。途中に砂利採石場らしきものがあり、トラックが停まっている。そこを過ぎると、バンは上り坂に入った。出発してから1時間ほど走っただろうか、車は見晴しの良いところで停まった。本当はもう少し行ったところの小高いところでご来光、という予定だったらしいが、残念ながらまた雲がかかっていて、マチャプチャレも辛うじて見えるくらいである。Tシャツにウィンドブレーカーという格好だからけっこう寒いが、日が昇るまでの我慢である。日が昇れば、どうせ暑くなるのだ。道ばたで震えながら立っていると、どこからともなく子供が集まってくる。遠くを見つめる日本人と、それを物珍しそうに見るネパール人の子供。そんなシチュエーションの中、ご来光もなんとか見えたが、山の端から朝日が出る肝心の瞬間は、雲がかかって残念ながら見えなかった。
さらに20分くらい走っただろうか、ルムレに着いた(標高約1500m)。ここから約60分ほどのミニ・トレッキングである。マチャプチャレの方角に山があって直接は見えないが、チャンドラコットという朝食ポイントはその山を廻りこんだところにあり、雲さえなければ絶好の見晴しだそうな。うまく雲が切れることを期待して、歩き始めた。
山の中腹にそって道は続いていて、道ぞいには小さな村(ひょっとしたらルムレの村が長細いのかも知れない)が点在している。周囲は山の下の方に向かって棚田が続き、向いの山まで見晴しが良い。道は細かいアップ・ダウンがあるがほぼ平たんで、石で舗装がなされているから、歩きにくいことはない。村では子供が元気に遊んでいる。まだ朝の7:30くらいだが、学校ももう始まっていた。道ばたに公共の水道があり、裸のおばさんが体を洗っている。エロチックな想像をするよりも、いくらなんでも寒そうだ。
ひたすら歩く。もうお腹はペコペコだ(胃がぐるぐるしている)。道はまったく楽だが、ともかく空腹がこたえる。早くチャンドラコットに着いてほしいが、そんな時に限って時計の針は進んでくれない。なんとかチャンドラコット村に着いて、山をぐるっと廻りこんだかたちになった。
視界が開けた。目の前に、ネパール人の愛す山・マチャプチャレが姿をあらわした。雲はまったくかかっていない。うまく雲がきれて、マチャプチャレの全貌が見える。景色に圧倒されてしまった。この山はお世辞抜きできれいだ。本当はここからずいぶん距離があるはずだが、まるで手が届きそうな距離に山がある。周辺のアンナプルナ連峰(最高峰はアンナプルナ1で8091m、マチャプチャレの隣に見えるアンナプルナ3は7555mだが、距離の関係でマチャプチャレの方が高く見える)も文句なし。しばらく呆然と(発した言葉は『スゲエ』だけだったような気がする)眺めてから記念撮影、そしてお弁当の時間となった。
お弁当の中身はサンドイッチと菓子パンと缶ジュースとゆで卵が2個に生ハムにオレンジ。缶ジュースの飲み口は悲惨なまでに汚れていたので、ウェットティッシュでていねいに拭く。こんなところで腹をこわしたらたまらない。サンドイッチをパクつき、ジュースを飲む。だが、最高の風景なのに、なんだか食べたものが胃に落ち着かない。ジュースで流し込むかたちになってしまうが、まあいいや。こんないい風景なんだから、気にすることはない。この絶景をどう表現したらいいかわからないが、ともかくマチャプチャレまで遮るものは何もないのだ。マチャプチャレの前にもたぶん3000m級の山があるのだが、その山の名前は何?と言うIさんの問いにも、ラビンさんは「あれは山じゃない。丘!」と断言する。しかも「名前ないね」とまで言い切った。一同苦笑するしかない。
さて、お弁当はかなり量が多い。ぼくはどうも腹に落ち着かないので少し残し(それでも一同の中ではけっこう食べた方だ)、ハムは途中からついてきた犬(人なつこい黒い犬だが、予防注射をしていないから危険)にあげたり、オレンジはこれまた途中からついてきた子供にあげた。サンドイッチ類はDさんがまとめている。気付くと、いつの間にかむしろを広げた露店商まで現れている。「オミヤゲ、ブツブツコーカン」と言うが、大したものは(もちろん)なく、誰も何も買わない。ティッシュを出して、何かと代えようかという顔をしたら、追い払う仕種をされた。
お弁当と風景を堪能し、今来た道をそのまま引き返す。子供も犬もついてくるから、なんだかメンバーが増えたみたいだ。途中から子供がどんどん増えだした。学校に行ってない子供だろう、持ち物をやたら欲しがる。子供達が知っている言葉は「Hello」だけだから、とにかくハローを連発し、手を伸ばしてくる。僕が持っているのはゴミなのだが、子供達にとってみれば、何が入ってるかわからない、魅惑のモノではないのだろうか。これはゴミだから、と言っても通じない。あまりにもしつこい女の子がいたので、しかたなく「ジャウ!(あっちに行け)」と言ったら、ぶたれた。Dさんは適当に残ったパンなんかを渡している。もっとも、渡したら一目散に逃げていってしまう(他の子に取られないため?)ので、ありがとうなんかは言わない。僕はやっとゴミ捨て場を見つけてゴミを捨て、子供にたかられなくなった。本当はノド飴を持っていたが、うかつにあげて子供の虫歯を増やしては申し訳ない(何かのガイドブックに要注意とあった)。どんどん歩けば大人と子供の足である。いつの間にか、犬もいなくなった。
こんな道中に、公衆トイレはない。「青空トイレ(ラビンさん公認)」しかない。青空の元、山の中腹から下の方に向かって用を足すのはとても爽快だ。女性がいたら大変だが(実際に大変らしい)、男のみの集団だから、気兼ねはいらない。こんな爽快な軽犯罪はないだろう。そしてバンに乗り、ポカラに戻った。道中、1回だけ車を道ばたにとめ、改めてマチャプチャレを見直す。本当にきれいな山だ。その周りのアンナプルナ連峰、やや遠いダウラギリ(8167m)までクリアに見える。すばらしい。
帰りは、昨日も行ったニュー・バザールに寄るという。それまで約1時間、みなさんはよく寝ているが、僕は眠くならない。のんきに外を眺めていたら、気分が悪くなってきた。食事をしてから1時間以上たっているのに、さっきから腹は落ち着かない。なんだか胃の中がぐるぐる回ってるみたいだ。めまいもする。車酔いなんていつ以来だ?「もうダメ」という直前でニュー・バザールに着いた。吐き気がすごい。ここでI先生が野菜を買っていたのだが、まったく目に入らない。周辺の匂い(ごく普通の街の匂い)も、吐き気に拍車をかけている。本当に気分が悪い。これは車酔いの症状だけではない。どうして体調を崩したのだろう?
ホテルに戻ったのは10:30だった。部屋に直行、同室のDさんに気分が悪いと告げ、困った時の正露丸を飲み、ベッドにもぐりこんだ。12:00になって目をさまし、Dさんが昼飯どうする?と聞いたが、食欲は皆無だ。お昼はホテルのレストランでカレーと聞いていたから、食べたいのはやまやまだ。でも、今はまったく食べたくない。寝てますとDさんに言い、寝直した。ところが30分ほどしたら、ドアをひたすらノックする人がいる。起きて行ってみると、ベッド・メイキングだと言う。このまま寝ていたいが、しかたないのでソファーでぐったりする。サリーを着たきれいな女の子(きっと年下)なのだが、こちらはそれどころではない。早く終わってほしいのに、女の子は懇切丁寧に片付けて出ていった。出ていくなり僕はベッドに直行、再び寝た。
しばらく記憶が不確かで前後するのだが、16:00ごろ目を覚ました。外を見たら雨が降っていた。Dさんに胃酸を押さえる薬をもらった(食い過ぎで胃酸過多になったと判断した。たぶん、前日の唐辛子の煮込みがきいたのだろう。寝不足からくる疲労の可能性も特大)。ベッド・メイキングの女の子がチップを持っていかなかったので、Dさんが改めて渡した。これが夕食前だったと思う。夕食はホテルのレストランだったが、そこにはなんとか起きて行った。みなさんに心配をかけてしまったが、自由行動の時間帯だったのが唯一の救いか。結局、夕食はほとんど食べられなかった(油っこいものを食べたくなかった)が、紅茶はおいしかった。食後はホテル内の店でお土産用『カーマ・スートラ(日本語版)』を4冊(4冊で1300RS)買い込んだ。この日もボーイ達が演奏をしていて、僕の顔を見るとこっちへどうぞ、という顔をしたが、今日は手を振って通過した。部屋に戻ると、自宅に電話をした。わずか2分ほどの通話で、料金は742Rs(1484円)。それから少しDさんとしゃべったら(僕が寝ている間に、DさんはHさんとIさんを誘って自転車を借り、ペワ湖畔に行ったそうだ。そこで刺しゅう入りTシャツを作ったそうな)、僕の内蔵電池が早々と切れた。明日は大丈夫だろうか・・・
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