考古学のおやつ

1998年の新羅緑釉陶器研究・前篇

萬維網考古夜話 第6話 29/Dec/1998

今年の萬維網考古夜話は、今回が最後になります。「考古学のおやつ」の今年中の更新も,これが最後の予定です。みなさん,本当にありがとうございました。m(_ _)m

帰省などの事情のため,年明けにこのページをご覧の方もいらっしゃるでしょうね。

TVでは,今年を振り返る番組が数多く放送されてます。どうして,どれもこれも面白くなく作るのかな,と毎年不満に思ってましたが,今年はささやかとはいえ発信する側なので,他人事じゃないですね。(^^;ゞ


年末だし,「1998年の考古学業界」でもお話しできればいいんですが,それほどの見識もないし,膨大な情報をにわかには処理しきれないので,内容を限定してお話します。ちょっと的を絞りすぎの気もしますが。ただ,書いてみるとけっこう長文になってしまいましたので,前後篇に分け,後篇は年明けの1月5日公開を予定しています。
はっきり言ってマニアック(苦笑)なので,毎週見てくださるプロの考古学者でも,ちょっとついていけない場合があるかも知れません。お詫びといってはなんですが,1月12日公開予定の第8話には,もう少し一般ウケする話題を準備していますので,それまでお待ちください(こんなこと言って,第8話がウケなかったらどうしよう(^^;)。

新羅緑釉陶器についてお話しするのは,私自身が関わっているからです。今年は秋に新羅緑釉陶器について見解を発表しましたが,これを準備してたころには,この件について,ほかにあまり文献もなく,みんな大して興味も持っていないのかな,と気楽に構えてたんです。ところが,今年になって国立歴史民俗博物館名古屋市博物館で「陶磁器の文化史」展,五島美術館と愛知県陶磁資料館で「日本の三彩と緑釉」展と,関連する展覧会が開かれ,シンポジウムなども行われて,何人かの方が見解を示され,従来の何年か分,研究が進んでしまいました(それほど静かな分野だったのです)。しかも,その中で,光栄なことに私の見解を取り入れてくださったり,私の見解にコメントしてくださったりした方もありました。非常に恵まれたかたちで研究が世に出たことになります。日本の巨大な考古学業界から見れば,数多い研究動向のごく一部ですが,その流れの一部に立ち会えたのが,単純にうれしかったので,この件について,ちょっと話を遡りつつお話ししましょう。

愛知県陶磁資料館は2013年6月1日から愛知県陶磁美術館

1996年の末か1997年の初めごろ,私は,東京国立博物館(東博)に保管されている新羅緑釉陶器に,現在の土器編年に当てはめると6世紀の末くらいまでに遡るものがあると気づきました。小学館の『世界陶磁全集』では8世紀になっている作品です。

これまで,漠然とではありますが,朝鮮半島の新羅の緑釉陶器は,新羅が朝鮮半島を統一(676年,668年とする立場もある)した後に登場すると考えられていました。しかし,最近進んできた新羅印花紋土器の研究や,私自身が最近考えてきた土器編年に照らすと,新羅緑釉陶器が登場する時期って,どうしても新羅の統一よりもかなり古くなっちゃうんですよね。このこと自体は前からわかってたんですが,せっかく適当な資料があるし,これを素材にして議論が可能ではないかと思ったわけです。

1997年1月23日,立命館大学吉井秀夫さんに問い合わせたところ,いくつかの参考文献とともに,当時国立歴史民俗博物館(歴博)におられた高橋照彦さん(現在は奈良国立博物館)が,この件について何かご存じではと教えてもらいました。

高橋さんに2回だけ面識のあった私は,不遜にもその日のうちに歴博に電話を入れました。高橋さんもお忙しい中,私の話を聞いてくださり,いくつかの助言を得ることができました。

新羅の印花紋土器(ご本人の表現では印花文陶器)を編年された京都国立博物館宮川禎一さんにも確認を取り,私はこの緑釉陶器を素材に,新羅緑釉陶器の成立を論ずることを決めました。じきに,原稿の締切が1998年6月,刊行が1998年10月と決まりましたが,このときは,1998年が新羅緑釉陶器にとってどんな年になるか,予想もしていませんでした。

1997年7月7日か8日,東博陶磁室の伊藤嘉章さんを通じて,東博の新羅緑釉陶器の年代観について聞かれました。何かと思ったら,1998年春の歴博の企画展にこの緑釉陶器が出品される予定なのでした。そのとき私がお渡ししたデータは高橋さんのところにも送られ,13日には高橋さんからその件の連絡がありました。
私が乏しい関連資料を集め始めたころ,1998年を極東の鉛釉陶器にとって特別な年にする動きが始まっていました。

しかし,私はお気楽なことに,
「緑釉陶器が東博から4ヶ月も貸し出されちゃう。原稿の締切以前に実物が見られなくなるから,急いで観察しなきゃ。」
という程度にしか考えていませんでした。

そんなわけで,今までしてきた資料紹介の要領で,図面やら拓本を準備し始めました。実は,新羅緑釉陶器の成立という予定していた論点とは別に,東博の所蔵資料は,施された紋様,印花紋に面白い部分があったので,拓本をもとにスタンプの単位を実物大で実物大で描き起こしたりしました。
一方,年代を論ずるためには日本で遺構・遺物に伴って出土した新羅緑釉陶器が有効ですし,緑釉陶器と同じ形をした新羅土器も見逃せません。そして,私が扱おうとしていた6世紀の末から7世紀にかけて,これらの資料が数多く出土しているところが,ほかならぬ当時の首都,飛鳥・藤原京の地域なんですね。そこで,そのころ東博の考古課長だった田辺征夫さん(現在は奈良国立文化財研究所)にお願いして,奈文研の出した概報の一部を参照しました。

ここからが1998年です。

2月の中旬から3月末まで,ほとんどうちにも帰れない状況になると予想できたので,これらの作業は,最後のまとめを残してそれ以前に終わっていました。

3月,京都・奈良を訪れる機会のあった私は,次の文献の存在を教えてもらいました(その後,高正龍さんが郵送してくれましたm(_ _)m)。

これには,私が関心を持っていた新羅緑釉陶器についても,記述がありました。

半島の鉛釉陶は、いずれも統一新羅時代のもので、盤口型長頸瓶・杯・獣脚円面硯・同蓋・小型器台が知られる。

という言葉とともに,豊浦寺で出土した緑釉印花紋壺を例に挙げています。これは私の考えでは統一新羅よりも古いのですが,遺構自体は新しい時期のものなので,巽さんの理解も,まぁ,一応従来説と言えるでしょう。身勝手な私は,「やはり,早く原稿をまとめて,新説発表しなきゃ。」ぐらいに思ってました(ホントに不遜(^^;)。

3月24日から,歴博で企画展示「陶磁器の文化史」が始まり,新羅緑釉陶器はその冒頭部分に展示されました。私は会期の終わりごろになってようやく見に行ったのですが,展示の冒頭に置かれた件の新羅緑釉陶器につけられた解説は,伊藤さんを通じてお送りしたものと,ほとんど同じでした。カタログなどに載せられた年代観も,「7世紀前半」とかになってました。もちろん,所蔵者に問い合わせた年代観を尊重するのは当然といえば当然のことですが,この年代観って,新説なんですよね。図らずも,「陶磁器の文化史」展は新説の先行公開となりました。

所蔵館である東京国立博物館では,1997年2月から,新説を明記した展示が行われていました。
また,「新説」といっても,論文などで積極的に論じられていなかっただけで,研究者の一部が考えていたことでした。

まぁ,新羅緑釉陶器の年代観が少々遡っても,日本に緑釉陶器生産技術が入ってくるのは7世紀後半という,高橋さんの考えに影響ないから,ということも手伝ったのかな?この点について,話の都合上,ちょっと引用をしておきましょう。

日本では、奈良三彩に先立って既に7世紀後半代に緑釉単彩のやきものを焼成していた。7世紀代の遺跡からは、新羅製の緑釉陶器も出土しており、日本の緑釉技術は新羅からもたらされた可能性が強い。

高橋さんの,日本の緑釉生産が7世紀後半からという見解は,4月19日歴博フォーラムや,『陶説』の座談会でも少しだけ出てきます。が,その背景についてはぼかした表現になっています。

ただ,カタログに吉岡康暢先生が書かれた概説には,次の記述があります。

遣唐使が中断し対新羅外交が推進された669〜702年を中心に、新羅の印文施釉陶(緑釉陶)が鴻臚館−難波津−宮都と周辺の寺院から点的に出土し……

ここで吉岡先生が想定されている資料って、おそらく私が7世紀の前半から半ばぐらいに年代を遡らせちゃった資料なんですよね。ついでに言うと、鴻臚館で印花紋陶質土器は出ていても、新羅緑釉陶器は出てなかったと思うんですけど(^^;ゞ。

自分に都合のいい展覧会に気をよくした(た,単純ですねー(^^;)私は,新説の原稿を何とか書き上げたのでした。都合がいいのも当然で,出所は同じなんですけどね(^^;ゞ。
このとき,もう一つのテーマだった印花紋の施文技法については,成稿直前に章ごと割愛して別の機会に回しました。やはり,一つの文に二つの見せ場は必要ないと判断したのでした。

これと併行して,東京国立博物館では東洋館の開館30年を記念した簡単な図録『東洋美術150選』を作るという話が進んでいまして,その中で,新羅緑釉陶器の1点も紹介されました。これが,7月に出まして,新羅緑釉陶器に対する私の年代観と解釈が,作品解説のかたちで初めて公になりました。

ここまでで,ちょうど1998年7月が終わったところです。この続きは次回に。


経済危機の中,考古学業界も厳しい冬を迎えています。現場や報告書を年度内に終わらせるために,年末年始の休みも返上して遅くまで残業されている方もいらっしゃることでしょう。みなさんによい新年が来ますように。


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白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1998-2015. All rights reserved.