考古学のおやつ

伝えられるもの

萬維網考古夜話 第25話 13/May/1999

前話,よみがえるオーパーツ・後篇は,連休明けのアクセス増に乗って,7日間で85アクセスがありました。ありがとうございましたm(_ _)m。過去最高のアクセス数でした。でも,同じ人が日に何度もアクセスされてるようですけど(^^;ゞ

前話のおしまいの方は,実は充分1回分にふさわしい話題だったんですが,3回シリーズにしたくないばっかりに……というのも,前々話・前話と労力も神経もけっこう使ったので,もうこれっきりにしようと,無理やり押し込んだんです。人のことを「文意不明」などと批判しながら,あえて文意不明のままにしてますので,お暇な方は,ご自分でお調べください。実を言うと,アルミニウムの話よりも面白いネタになったかも知れないんですけどね。

感想や情報をくださった方,ありがとうございました。いちいちお名前は挙げませんが,勉強になりました。

それにしても,久しぶりに中国語を読んで,すっかり頭が充血してしまいました。中国語って声調があるでしょう。黙って読んでても,読み進めるうちに声帯のあたりがしびれて来るんです(え?そんなことない?)。中国の人って偉大ですね(なんのこっちゃ)。アクセントのない朝鮮語(地域によっては特徴的な抑揚がありますが)に喉が慣れちゃってるんですよ,私は。


何だか,連休が終わったらいきなり考古学関係のニュースが増えまして,きまぐれNEWSLINKがすごいことになっています。

最近よく,「どうやってあんなに調べるられるんですか?」なんて聞かれますが,実のところ,ネタ集めは夕方の30分ぐらいでできてしまいます。ただ,載せる記事が多い場合,文章を仕上げ,リンクを確認するのにむちゃくちゃに時間がかかります。7時くらいになると,全国から「そろそろかなー?」と覗きに来る方がいらっしゃいますが,「あ,まだだからねー。待っててねー。」とディスプレーに向かって虚しく声をかけています(気色悪いっつーの)。


昨日(5月12日),きまぐれNEWSLINK吉井秀夫さんのページのことを載せましたが,吉井さんからの連絡に次の文がありました。

> これにて、正式な開室宣言といたします。あとは、煮るなり
> 焼くなり好きにして下さい(!?)。

私って,煮たり焼いたりしてますかねー(^^;。そんな風に思われてるんですねー。とりあえず,いただいたメールを料理させていただきましたm(_ _)m。あ,やっぱり煮たり焼いたりしてた(^^;ゞ。
吉井さん,リンクありがとうございます。

え〜〜〜……っっと,今回こんなに前置きが長いのは,今回の本題は,準備してみたら意外に短くおさまってしまったので,まぁ,水増しってヤツです。
それでは,そろそろ……。


私が前の職場に入ったばかりのころ,埋蔵文化財センターで小学生向けの考古学講座が開かれました。現在熊本大学におられる小畑弘己さんが企画されたのです。そのとき,若手の職員を講師に立てようということで,私もその一人でした(当時,私が一番若かった)。

4日間で,平板測量して,石器や土器をスケッチして,最後は自前の報告書を作る,という企画で,私はその4日目,最終日を担当することになりました。

センターに行くと,小畑さんが,前日までの参加者の描いたスケッチを見せてくれました。

「どれが小学生で,どれが親御さんの作品か,わかる?」

なんか,すごく精緻な図やら,訳のわからん黄色いかたまりやら,玉石混淆とはこのことでしょうか(いえ,全部土器のはずなんですが)。しかし,うまい図とみょ〜ちくりんの図は,何というか,不連続な感じ(漸移的でない)ですねー。なんなんでしょう(^^;??

実際にこの日の講座が始まって,各自が昨日までの描きかけの作品を取って作業の続きを始めたとき,答えがわかりました。こういう言い方をすれば,精緻なのが親,みょお〜なのが子供,というわけじゃないことはおわかりですね。実は,精緻な作品の作者どうし,みょお〜な作品の作者どうしが,それぞれ親子だったのです。

精緻な作品というのはどんな風かというと,なぜか選んだ土器は須恵器(この,選び方の時点ですでに特徴が現れていたりします),しかも奈良時代かなんかの渋いの(通ですねー)。で,よく見ると,ケズリとナデを描き分けてるんです。もちろん,これがケズリ,これがナデと理解していたわけじゃないでしょうが,なんか違うぞと見破って,表現を変えているんです。で,親子そろって黙ってお互いほとんど言葉も交わさず(かわすときは二言三言,静かに話しかけるだけ),黙々と作業を続けてるんです。そのさまが親子でそっくり。

みょお〜な作品というのも,なぜか親子の作品だったりします。こちらも,描写は差し控えますが(もう,だいたいわかるだろうし),よく似た親子でした。

遺物のどこをどう測るかは各親子の自由にさせていたので,型にはまった「実測法」のなかでの巧拙というわけではありません。

なるほどー。これは面白い。親子の作品が似すぎなんですから。上で,絵のうまい・へたみたいな表現を使いましたが,それは一面的な言い方でして,要するに,親子間の作風の類似性が,同じ世代間のそれよりもはるかに強かったというわけです(おいおい,話が固いぞ)。古い言葉に,「子は親の鏡」なんてのがありますが,ホントにそうなんですねぇ(ホントに古い(^^;ゞ)。

さっきは「作風」と言ってごまかしましたが,実のところ,目前の対象のどの特徴に着目するか,それをどのように表現するか,という部分でもっとも違いが鮮明でした。
で,今みたいにメディアが発達して,コンピュータゲームとかが当たり前のように家にある時代でさえそうなんですから(っという話の持って行き方自体も,相対化されるべきかも知れませんが),もっと古い時代には,こういう集団間の違いはさらに開いていたかも知れません。


この体験は,印象的だったので,ずっと気になってたんですが,講座の間は,「この人とこの子が親子」とわかるし,2人の行動がどんな風に似てるから,結果として作品がこんな風に似る,と言うことが全てわかったんですが,さて,これを物言わぬ遺物(つまり,作品だけ)に置き換えると,難しいんですよねー。どうしたもんでしょう。

で,このときの思い出で1回分と思ってたら,なんか短かったんですねー。中途半端ですが,今回はこれだけとします。疲れてるし。

こんなことなら,「よみがえるオーパーツ」を3回シリーズにしときゃよかった(^^;ゞ。


[第24話 よみがえるオーパーツ・後篇|第26話 下野の渡来人|編年表]
白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1999-2012. All rights reserved.