考古学のおやつ

竹の中からお姫様

萬維網考古夜話 第31話 23/Jun/1999

はっきり言って,●●●●●゛びいきです……じゃなかった,暇つぶし企画です(^^;ゞ。タイトルは,「ドジョウが出てきてコンニチハ」と,どっちにしようか迷いました(^^)。


考古学のどういう部分が面白いのでしょう。

ふと考えると,こういう基本的なことはまだお話ししたことがなかったような気がします。自分の話したことをいちいち覚えてもいないので(おいおい),忘れてるだけかも知れませんが(^^;ゞ。

いろんな人の話を「あんな声もある,こんな声もある」と挙げていっても不毛なので,さっさと自分の場合の話に入りましょう。

とはいえ,私にとって,考古学の面白さが不変であった訳ではありません。むしろ,その楽しみ方は変化してきているので,その変化自体も話題にしましょう。こんな個人的な話,面白くないかも知れませんが(^^;ゞ。


何が面白いと言って,やはり,遺構から遺物が出てくることが,最も面白く,興味をそそります。ここで,遺物が出てくることだけに重点が置かれているかのような誤解をなさらないように。遺構からの部分を省略してはいけません。

もちろん,私が実際に遺構から遺物が出てくる場に頻繁に立ち会えたのは,現場に出ていたほんの数年だけでした。しかも,一度に出てくる遺構の数も遺物の数も半端じゃありませんでしたが。

ここで断っておかないといけないのは,私は自分の専門分野の遺跡を調査したことがないし,専門分野の遺物を調査で掘り出したこともない,と言うことです。

報告書を作っていて,出土遺物の中に瓦質土器が混じっているのに気づいた,ということは一度だけありましたが。

つまり,専門外の遺構から専門外の遺物が出てきたのを面白かったと言ってるわけです。もし,単に報告書を眺めただけだったら(専門外の報告書なら,めったに繙いたりはしなかったでしょうが),また,ただ出土遺物を見せられただけだったら,そんなに面白くもなかったでしょう。

とはいえ,どんな遺構からどんな遺物が出てきても面白いか,と問われると困るんですけどね。やはり許容できるものとできないものがあるような気も……(^^;ゞ。

何よりも,単なる遺物,あるいは単なる記録(報告書とか)と違い,目の前の出土状況は情報の宝庫です。その圧倒的な情報量に気づいたときの興奮と言ったら……


話の途中なのですが,ちょっと時間を戻しましょう。

なぜ,自分の専門の遺跡を調査したことがないのか。それは,事情は複雑なのですが,無理やり簡単に言ってしまうと,専門が外国だからです。留学とかもしてないし。その上,卒論とかで扱った資料も,(言えない)事情があってほとんど目にできなかったし。今にして思うと,あまりにも奇妙と言うか,ムチャクチャな状況だったのです。

その一方で,周囲の勧めもあって,学生時代から土器の資料紹介を始めました。今に至るまで,少しずつ対象ややり方を変えて続けているわけですが,私の,やたら1個体の属性間の関係にこだわった遺物の見方は,この,出土状況のわからない土器の取り扱いの中で身についた,という一面があります。

つまり,強引に要約すると,報告書でしかわからない遺跡・遺物と,目の前のホントにそれっきりしかない遺物,この奇妙な世界が,私の専門で,しかもそれが当時の私の考古学のほとんど全てだったのです(あー,気色悪い)。

この部分はいくつもの注釈が必要だと思うんですが,これまた先送りとさせていただきます。なんだか,先送りばっかりで申し訳ないですねぇ(^^;。

今にして思うと,このころは考古学の何が面白かったのかなぁ。いや,もちろんなにがしか楽しんでいたはずなのですが,そして,全く記憶にないわけでもないのですが,現在の自分を納得させられるものではない気がします。


寄り道終了。続きです。

遺構から遺物が出てくる,その出土状況は情報の宝庫です。1個体の遺物に負わされた意味も非常に大きいのです。ここからさまざまな解釈を導き出すことができます。しかし,何でも勝手に想像できるわけではなく,遺構や遺物の抱える情報が複雑に組み合わさって,目指すべき道筋を指し示しています。

その情報とは何か。このコーナーをずっとご覧になってきた方なら,だいたい予想はつくでしょうが(なにしろ「一つ覚えのような研究」ですから:©高橋徹さん←しつこいね,私も(^^;),そりゃーもう,過去の人間の「行為」を示す情報ですよ。ここから,過去に行われた人々の営みを復元する大きな手がかりがあるわけです。

遺構から遺物が出てくることの豊富な情報量と圧倒的な説得力。ところが,調査の担当者としてこれに直面した場合は,ラッキー(^^)な巡り合わせである一方で,自分がこの情報を正しく見極め,記録しておかないと,ほかの人に伝えることができないという問題があります。責任重大です。単に面白がってるだけでなく,図や写真を使い,表現方法を工夫して,なんとかほかの人にも伝えなければなりません。単に報告書や由来不明の遺物だったら,こんな緊張感のもとに観察や記録をしたでしょうか。

とはいえ,私は頭の中に入れてからしばらく時間をかけて咀嚼しないとアイディアが沸いてこない方なので,一瞬でその面白さに気づく,というわけにもいかなかったのです。
いえ,それどころか(今回は逆接が多いな(^^;ゞ),その面白さをはっきり認識したのは,遺構から遺物が出てくることから再び遠ざかってからでした。う〜ん,鈍いんだなぁ。


今の私は再び現場をやらない立場になってしまいました。またもや,報告書や由来不明の遺物がお相手となったのです。すでに遺構から遺物が出てくることの面白さを知った身には,最初,どうも物足りない気がしていたのですが,そうも言っていられません。逆に,遺構から遺物が出てくることを知っている立場から,これらを捉え直さなければならないのでしょう。でも,どうやって??

と,何とも半端な状態ではありますが,現状をありのままに言うと,こんなに半端になってしまうのだから,しょうがありません。まだまだ修行中なのです。


最近はどこの大学でも,学生が現場に出ないのが悩みだそうです。まぁ,これについては私も人のことを言えた義理ではないので(学生時代の私を知っている人がいっぱい見てるので,隠しようもありません(^^;),私が言っても説得力に欠けるのですが,やっぱり夜中までインターネットとか繋いでないで,早起きして現場に行こうね(なんか,自家撞着だね(^^;ゞ)。

さて,なぜタイトルを「ドジョウが出てきてコンニチハ」にしなかったか,理由がおわかりいただけましたでしょうか?


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