考古学のおやつ

実測の世紀1−濱田耕作

萬維網考古夜話 第30話 17/Jun/1999

このコーナーで何度か話したことで,くどいかも知れませんが,日本の考古学は,編年を当面の目的とする型式学に力を注いできました。そこでは,個体差を切り捨てて型式差(この場合は主に時期差につながりそうなもの)を際立たせることになります。私も編年っぽい文章(あまり得意ではないですが)では,そのように遺物を見てきました。

ところが,大刀とか馬具とかは,実物を見ると図から想像もつかないくらい個体ごとの個性があって,こんなに面白いものだったのかと驚かされます。

実測した人が「下手」という意味ではありません(こんな注釈は蛇足だと思うんですけど,書いとかないとすぐ曲解する人がいるので,窮屈です)。

私は主に土器で個体にこだわった研究を試みていますが,個体を観察して得た事実や,これを組み上げていく論理を,出来合いでない文法で表現していかなければなりません。骨の折れる研究です。それでショッカーくんに頼ったりするわけですね。このほかにも,いろんな模式図とかが試みられています。

そして,実測という方法もあります。でも,個体特有の情報って,実測図にどんな風に描けばいいんでしょう(もう描いてるけど)。そもそも,そんなこと実測図に描いていいんでしょうか(だから,もう描いてっだろ)。

今まで何度か先送りしていた遺物実測図の問題を,少しずつ話し始めるとしましょう。とはいえ,別に私なりの考えがまとまっているわけでもありません。

そこで,やや反則かも知れませんが,これまで実測図についてどのように触れられてきたか,というところからお話を始めましょう。

あらかじめお断りしておきますが,この話に結論はありません。まぁ,いつものような一方的な結論に比べれば,それもまたいいのかも知れませんが(^^;ゞ。


さて,当サイトに似合わずオーソドックスなやり方ですが,濱田耕作から始めることとしましょう。

,濱田耕作,1922,『通論考古学』,東京,大鐙閣,

この本では,主に「第三編 調査」のところに関係の記述があります。なお,この「第三編 調査」は,前半2章が発掘調査の流れを記し,後半2章が記録の取り方を解説しています。濱田がここで言う「調査」は,私たちから見ると「記録」と呼び換えてもよさそうな場合を含んでいます。まず,「第三章 調査の方法(一)」で,調査の方法を「(一)写真,図写,模造等による器械的方法」と「(二)文書による記録的方法」を分け,器械的方法を重視しています。

考古学の調査に於いて文書による記録を主とし,其の足らざる所を写真図画等の器械的方法を使用せんとするは第一の誤謬なり。宜しく写真,図画等の及ばざる所を,文字を以て補足するの態度を取る可きなり。此の両態度の差違は即ち旧き考古学と新しき考古学との区別を生ずる所以なりと知る可し。〔濱田1922:115-116〕

濱田耕作の時点での「旧き考古学」ってのも想像しにくいのですが,それはともかく,写真や図を重視することを強く訴えていますね。また,「第五編 後論」/「第一章 考古学的出版」のところにある次の言葉も同様の意図に発しているのでしょう。

考古学に於いては,図版は本文と同様,或は其れ以上の価値を有す。(中略)斯の如きは単に考古学のみに止まらず,多くの記述的科学に於いて然り。物質的資料を研究の対象とする考古学に於いて殊に然るを覚ゆ。〔濱田1922:185〕

どうやら,考古学を近代科学のまっとうなメンバーに加えようと考え,そのためには写真や図の使用が重要な位置を占めると考えているようです。話を「第三編 調査」に戻し,具体的な「器械的方法」の話を見ましょう。

写真は物体のレンズを通じて見ゆる形像を示すと雖も,常に遠近法陰影等の支配を受くるを以て,其の物自身の形状を写せりと云うを得ず。されば宜しく製図(drawing)によりて其の必然の幻覚を除去したる形像を描出す可し。製図は写真と共に相俟って其の効用を挙ぐるものにして,其の一方を以て正確なりとし,他方を以て不正確なりと捨つ可きに非ず。〔濱田1922:123〕

この「製図」が私たちの言う「遺物実測」です。写真は「みかけ」の姿であるのに対し,実測図は「みかけ」ではなく形状そのものを表現できるというわけです。

されば考古学者は美術的絵画の能手たらずとするも,正確なる写生見取図(sketching)をなし,併せて製図法による図写を作るの素養を要す可し。〔濱田1922:124〕

あ〜,耳が痛いな(^^;。この部分は,最近も酒井龍一先生が引用され,さらに

日本考古学では図面を極端に重視する。図面がいまひとつのできばえだと,論文の信憑性まで疑われる。このことは,浜田耕作の提言が原因となっているのだ。〔酒井1997:85〕

と書かれてますね。ほんっと,耳が痛い(^^;ゞ。

,酒井龍一,1997,『歴史発掘(6) 弥生の世界』,東京,講談社,

さて,濱田耕作はこの後,実測の細々した方法や注意点(縮尺に3/8や4/7は使うな,といったギャグのような話とか)を述べた最後に,改行して次のように付け加えています。

精細に過ぎたる製図は却って明確なる観念を与えざることあり。適当なる抄略は常に正確なる図面における必要条件なりとす。〔濱田1922:125〕

どうも,実測特有の「正確」さが存在すると考えているようです。それは写真と比べてどっちがより正確,といったものではなく,また,「精細」な図だからといって必ずしも保証されるような「正確」さではないようです。むしろ,「適当なる抄略」をもおこなって,人に「明確なる観念」を与えるもののようです。
う〜ん。何だ,それは??そこのところが一番知りたかったのですが。

とりあえず,実測者が計測なり観察によって「この遺物はこんな形状だ」と思ったものが,できあがった図だけを見た別の研究者にの頭の中にも再現される,その再現された姿は,どの研究者がその図を見た場合にも同様になる,ということを理想としているようです。


なんか,単に当たり前のことを言ってるだけで,このコーナーらしくないですね。しかも,やたらに引用が多いし(^^;ゞ。

最近忙しいし,体力的に辛い季節だし,しかも関係文献をチェックしながら(読んでもいない文献を参考文献に挙げたりはしないからね(^^))なので,話も短めで,公開の間隔も開くと思いますが,断続的にこの話題をお話ししようと思います。


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