考古学のおやつ

改訂探検−投稿規定の型式学・中篇

萬維網考古夜話 第47話 30/Nov/1999,21/Dec/1999

ほかのコーナーがどんどんアクセスを増やしている中,唯一閲覧者が減っていた当コーナーですが,どうやら当コーナーにコラムを追加すると当サイト全体のアクセスが減るという事実が確認されました。

「なくてもいいコーナー」ならなんとなく続けていけるのですが,「ない方がいいコーナー」というのはシャレになりません。登場以来1年,なかなか50話に届きませんが,そろそろ……というところでしょうか。


さて,前話は予告だけで終わってしまいましたので,今回こそは資料篇として,『考古学研究』各号の横書き用の投稿規定がどのように推移してきたか,見ていきます。

第40巻
第40巻第1号(1993年6月)pp.2-3
横書き用投稿規定の初見。
「『考古学研究』投稿案内」として,「『考古学研究』編集委員会」名義で掲載。前文のほか8条(第八条は5項からなる)と,「注および参考文献の表記例」(これだけは横組みで印刷されている)からなる。
前文冒頭の「会員の皆さんからひろく投稿を歓迎します。」という文言が,投稿資格にかかわる唯一の明文規定となる。
「注および参考文献の表記例」では,橋本1992が日本語単行本,江本編1988が日本語報告書,滝沢1991が日本語論文,Chang 1986が欧文単行本,Pearson 1992が欧文論文の代表と思われる。
直前ページの「会誌改善」のお知らせ末尾に「今後,原稿は,この投稿案内に則ってお寄せ下さるようお願いします。」とある[p.1]。なお,これに関連する第39回総会委員会報告は同号p.16に掲載。
このときを境に,それまで奥付けページ〈3段組〉上段にあった旧投稿規定は消え,編集後記の欄になった(編集後記はそれまで奥付けの前ページ末尾に入っていた)。
第40巻第2号(1993年9月)表2
内容に変更なし。ただし前文はなくなり,参考文献の例は載せない(前号を見るように指定)
第40巻第3号(1993年12月)不掲載,この号からアナウンスのないまま英文要旨掲載[pp.148-149]。
第40巻第4号(1994年3月)pp.1-2
前文が完全に入れ替わり,論文・研究ノートの要旨・キーワードの規定(第八条第(2)項)の追加を明言(この前文は今回だけ)。
第一条付則の1ページ文字数に,1行の字数と1ページの行数が括弧書きで付記される(まぁ,私は因数分解して推定してましたが(^^))。第一条付則末尾に「なお,論文タイトルはできるだけ短く簡潔に願います。」を追加。
要旨・キーワードに関する第八条第(2)項を追加。以下の各項は順送り。
第41巻
第41巻第1号(1994年6月)p.12
この号から『考古学研究』は横書きとなり,「『考古学研究』投稿案内」も本文まで横書き表記に。各条もアラビア数字により表記。
第1条の「展望」の内容として,「歴史教育」がこの号だけ「歴史的教育」に。
第8条に,実際は下にあるのに「左記に従って下さい」とあるのは縦書きのときのまま(この号まで)。
第8条第(3)項に「版面はタテ(10センチ」とあるのは「20センチ」の誤植(この号のみ)。
第8条第(4)項に「引用・参考文献は注から分離し,注のあとに編著者の50音順かアルファベット順に列挙します。」と追加され,文献の注からの分離を明言。表記方法については,ページレイアウトが変わったので「上記」を「下記」に変更。
第8条第(6)項の原稿送り先のうち,「郵便書留」と「宅配便」を太ゴチック表記。同項の「左記」は縦組みのとき以来,この号まで。
注の件を除くと,いずれも,「投稿案内」自体を始めて横組みにしたことに伴う変更が多い。それにしても,どうみても「写し間違い」と思われる誤植があるのを見ると,少なくともこの前号までは「投稿案内」をフロッピー入稿していなかったということですね(^^。
総会の委員会報告で英文要旨の掲載についてアナウンス[p.10]。
第41巻第2号(1994年9月)p.9
冒頭,「『考古学研究』編集委員会」の文字がこの号から消える。
第1条「展望」で「歴史的教育」が「歴史教育」に戻り,「文化財問題」と「歴史教育」の間がコンマ(,)からなかぐろ(・)になる。
第4条の抜き刷りに関する条文に「掲載誌1部と」を追加。
第7条の著作権に関する条文がかなり変更されており,「掲載文」が「掲載論文」になり,「それぞれ」を追加。第3文冒頭の「ただし」を略し,第2文冒頭の「また」を「ただし」に変更。第2文の「本会事業としての掲載誌の復刻に際しては」が「本会事業として掲載誌を復刻する場合は」に変更(文意変わらず)。
第8条の「左記」が「以下」に,第8条第(6)項の「左記」が「下記」に,それぞれ変更(やっと横書き対応)。
第8条第(6)項の「お送りください」が「お送り下さい」に(前号まで,ここだけひらがなだった)。
「引用・参考文献の表記例」が「注および引用・参考文献の表記方法」に改称し,充実化。注のつけ方・文献の引き方を例示した。配列法や注・文献リスト部分の行数・文字数を明記。例示された文献リストは,日本語文献を著者の50音順に並べ替え(欧文の2文献はもともとアルファベット順なので配列を変えなかったのだろう)。
投稿規定自体の縦書き化により生じた誤植などを訂正するとともに,注・文献リストの充実化へ力点が移って全体に記述が増え,行間が詰まっている。
第41巻第3号(1994年12月)p.108
2か所改訂されている。
第3条に後段「なお,校正時に必要な原稿のコピー等は各自お持ち下さい。」を追加。
「注および引用・参考文献の表記方法」のうち,日本語文献の例がなぜか全部入れ替え。都出・福永編1992は日本語報告書,石川1994は日本語論文,岡村1991が日本語単行本の例と思われるが,著者名の50音順でもアルファベット順でもなくなった。
第41巻第4号(1995年3月)p.113
第1条「会員通信」に「カット」追加(「400字以内」のカットと言われてもねぇ(^^;)。これに伴い第1条付則に「図・カットはスミ入れをして下さい。」を追加。
第4条の抜き刷りに関する規定に「・日本の遺跡・世界の遺跡」を追加。
「注および引用・参考文献の表記方法」で例示する文献のうち,Pearson 1992について,「Archaeology」を「archaeology」に変更し,雑誌名とページ数の間の記号をコロン(:)からコンマ(,)に変更。また, Kondo 1986(論文集中の1篇)を追加。欧文文献リストの充実化を図ったのか。ただし,欧文文献リストも著者名のアルファベット順から逸脱した。
第42巻
第42巻第1号(1995年6月)不掲載
第42巻第2号(1995年9月)不掲載
阪神大震災により時期のずれた総会日程が掲載された号。
第42巻第3号(1995年12月)p.122
第2条のみが完全に変更され,査読制について明記。従来の「原稿の採否・掲載時期は編集委員会にご一任下さい。」から「原稿は,編集委員会から委嘱した査読者の審査を経て,編集委員会が採否を決定します。なお,掲載時期は編集委員会にご一任下さい。」に。
前号(第42巻第2号)の総会報告に,査読制についての言及はない。
第42巻第4号(1996年3月)不掲載
第43巻
第43巻第1号(1996年6月)不掲載
第43巻第2号(1996年9月)表2
内容に変更なし
第43巻第3号(1996年12月)不掲載
第43巻第4号(1997年3月)p.122
最も謎めいた改訂。
第7条の復刻に関する規定について,「投稿時点において」が「最初の掲載時点において」に今回のみ変更。
第9条「本会から依頼された原稿についても,本執筆案内に準ずるものとします。」を今回のみ追加。
いずれも1回限りの規定で,有効期間も不明。
第44巻
第44巻第1号(1997年6月)不掲載
第44巻第2号(1997年9月)表2
第43巻第2号の内容に戻る。アナウンスなし。
第44巻第3号(1997年12月)不掲載
第44巻第4号(1998年3月)不掲載
第45巻
第45巻第1号(1998年6月)不掲載
第45巻第2号(1998年9月)表2
第1条「論文」の規定ページ数に「英文要旨を含め」を追加。
第8条第(6)項の原稿送り先のうち,郵便番号の7桁化に伴い「〒700」を「〒700-0027」に変更。
第45巻第3号(1998年12月)不掲載
第45巻第4号(1999年3月)p.118(このページはノンブルが打たれていない)
内容に変更なし。
第46巻
第46巻第1号(1999年6月)p.122
内容に変更なし。
第46巻第2号(1999年9月)表2
内容に変更なし。

今回は,資料だけで異様に長くなってしまいました。これだけで,私の話の意味がわかった方もいらっしゃるでしょうが,続きは次回(多分,今度は短い内容(^^;ゞ)に。

(21/Dec/1999)なぁにが短い内容でしょうか。第48話は過去最長のコラムになりました。

とりあえず中篇までは11月中に公開できました。


[第46話 縦組横組−投稿規定の型式学・前篇|第48話 妥当と安定−投稿規定の型式学・後篇|編年表]
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