考古学のおやつ

妥当と安定−投稿規定の型式学・後篇

萬維網考古夜話 第48話 21/Dec/1999

ちょっと時期を外したかも知れませんが(^^;ゞ,神奈川県警って本当にひどいですね。
坂本弁護士事件を解決できなかったはずです。そして,その後に起こった事件も,神奈川県警がしっかりしていれば(考えがたい仮定ですが),もう少し違っていたかもしれませんね。

もう,こうなったら神奈川県警に破防法(破壊活動防止法)を適用するしかないでしょう。もし実現すれば,初の団体適用となりますね。
え?それは無理だろう,ですか。う〜ん,それじゃぁ,神奈川県警新法を国会で通すしかないね:-P。

警察法の改正は実際に検討されているようですね。

冗談はさておき,法的安定性という言葉があります。法律がコロコロ変わってしまうと,依拠したり信頼することが難しくなります。ある程度,同内容のものが維持されていないといけませんし,解釈や運用もそう簡単に変わっては困ります。そこで,法的安定性が重視されるのです。罪刑法定主義一事不再理,あるいは時効などの制度も,権利関係を安定させるためですね。

一方で社会の変化に法律がついて行けなかったり,法律の持つ不具合が放置されていては意味がありません。そのためには,ある程度柔軟性や可変性も必要です。……と,法律の話を続けても仕方ないので,「具体的妥当性法的安定性」という言葉でも挙げておきます。「あれかな」くらいに思っておいてください。わからなくても,別に支障ありません。


さて,ムダ話が長くなりました。本題に戻りましょう。前回,『考古学研究』の投稿案内が絶えず変わっている(いた)ことに触れました。また,前々回,「『考古学研究』の横書き用の投稿規定は9型式があり,3期に分けられます。」と指摘しておきました。
そう。今回お話しすべきことを,もう全部バラしてたんです(^^;ゞ。しまったぁ……と気づいたときは後の祭り。

それと前回,第40巻2号には投稿案内が「不掲載」と言ってたんですけど,表2(表紙の裏側)に載ってたのを見逃してました。すみませんm(_ _)m。前回の方にも直しを入れておきました。

気を取り直して,型式設定をしておきましょう。各型式の投稿案内が載った巻号数と,掲載回数,そして適用期間(一部推定)を挙げます。

話を引っ張っても仕方がないので,時期区分もしておきましょう。普通なら,9型式の投稿案内を比べて,条文が似ているものを寄せ集める,というふうにするのかも知れませんが,ここでは見方を換えて,型式と型式の間で,何が変わったかの共通性で分けることにしましょう。つまり,本来は法的安定性が求められる(であろう)投稿案内を変更するには,それなりの具体的妥当性があったはずで,その理由は「変化の仕方」に現れると考えるからです。

「今回はこんな目的でここを変更しました」ってアナウンスしてくれてれば,こんな時期区分は必要ないんですけど,まぁ,お遊びってことで(^^)。
1期 第1型式第3型式:1993年6月〜1994年9月(15か月)
基本的に横書き化のための変化が多い,要旨・キーワードの規定が追加されたり(第2型式:第40巻第4号),注と文献リストの分離が明言される(第3型式:第41巻第1号)など,新たな体裁が追求される。1期のうちに横書き化した最初の号(第41巻第1号)が刊行される。
2期 第4型式第6型式:1994年9月〜1995年12月(15か月)
校正に関する規定(第5型式:第41巻第3号),抜き刷りなどに関する規定(第4型式・第6型式:第41巻第2・4号),著作権に関する規定(第4型式:第41巻第2号)など,投稿者の権利関係を明確化する変更が多く加えられている一方,各型式とも「注および引用・参考文献の表記方法」(第4型式:第41巻第2号から改称)の充実化が図られている。
3期 第7型式第9型式:1995年12月〜現在
査読制が謳われた(第7型式)後,ほとんど変更がなくなり,毎巻第2号の表2(表紙の裏側)に載ることが多くなる。一時的な変更(第8型式:第43巻第4号)を挟むが,ほぼ安定している。

さて,1期新たな体裁を模索している時期であることは,言うまでもないでしょう。アナウンスとの前後関係はありますが,だんだんと体裁を整えようとしていることが窺えます。また,今の私たちからは想像もつかないことですが,当時は(第3型式の第41巻第1号でも,編集中は),読者も執筆者も編集者も横組みの『考古学研究』を見たことがなかったわけですから,模索の時期と言うことですよね。

2期は,上でも少しお話ししましたが,執筆者の権利に関する規定が充実化していきます。どうもこのあたりは,実際に横組みの『考古学研究』を編集してみて,また,横組み用の投稿案内に対して原稿が送られてきて,いろいろと修正すべき点が認識されたのかもしれません。それを次々と投稿案内として結実させていったと見ておきましょう。

もう一つ,2期の特徴は文献リストの整備です。1期のうちに,注と文献リストの分離は言われていたわけですが,2期になって規定がかなり具体的になってきました。憶測になりますが,実際に投稿されて来た論文の注や参考文献リストを見て,まだまだ意図が通じていないという認識でもあったのでしょうか。
注と引用法を例示すると(第4型式:第41巻第2号),今度は例に挙げた文献リストを自ら改訂していったわけですが,せっかく50音順に並べた日本語文献(第4型式:第41巻第2号)を,次の号で全部差し替えて50音順でなくしてしまう(第5型式:第41巻第3号)など,細部では意思が貫徹していないように見受けられます。だいたい,例示した日本語文献の総入れ替えなんて,この時だけなんですけど,何のつもりなんでしょうか(←あ,これ,わざとらしいですね(^^;)。

結果的に,2期は非常に変化が激しかったわけです。おそらく現実に投稿された原稿に対処する中で規定の整備が図られたのでしょうが,投稿案内のページ以外では,その変化についてほとんどアナウンスがなかった気がします。

3期は,査読制の登場(第7型式:第42巻第3号)とともに,定型化が果たされます。定型化の証拠として,3期では,毎巻第2号(9月発行)の表2に投稿案内が載ることが多くなり,ほかの号にはあまり載らなくなります。第43巻以降,ずっとそうなのですが,おそらく,その前年,つまり3期の始まりを告げる第42巻第3号の投稿案内も,本来はその前号,第42巻第2号に載る予定だったのではないでしょうか。
というのも,第43巻以降,第1号表2に会則,第2号表2に投稿案内,第3号と第4号の表2に次年度総会案内が載っているのですが,実はこのパターンは,まだ縦書きの第40巻(投稿案内はすでに横書き用)でも確認できます。その前,第39巻(まだ横書き用の「投稿案内」が登場せず,縦書き用の「投稿のご案内」が奥付ページに置かれていたころ)でも,第2号に見瀬丸山古墳に関する文書が掲載されているほかは同様です。第41巻(横書き初年度)では第2号に東京集会の話が載っているだけで,同様です。ところが,第42号だけはそのパターンが崩れています。

第42巻では,第1号表2に総会案内,第2号表2に会則,第3号・第4号表2に次年度の総会案内が載っていて,どうも総会がずれ込んでいるために投稿案内が入るべき第2号表2が埋まっているようです。
この年は,阪神大震災のため,総会の日程が7月になってしまったのです。日程変更は第41巻第4号表2の総会案内でアナウンスされ,総会報告が載った第42巻第2号には「阪神大震災の影響で,異例の7月開催となった」と明記されています[p.2]。

つまり,毎巻第2号表2が投稿案内の定位置と目されており,第42巻で定位置への定着が図られる予定だったのに,震災の影響で第2号に投稿案内の居場所がなくなったのでしょう。

そういうなら,もし第42巻第2号に載ったら,そこには査読制は謳われていたのか,不掲載の第42巻第1号ではどうか,もっと踏み込んで,査読制は本当はいつ始まったのか,白井の言う定型化の意味を曖昧にしてしまうんじゃないか,とかという問題になってしまう気もしますが,今回は型式学ごっこなので,ツッこまないでくださいね(^^;ゞ。

いえ,実は上の割注覚えてる(^^?),あまりシャレにならなかったりします。3期の最も不思議な点は,1回だけ登場する第8型式(第43巻第4号)です。この1回だけで,次に登場する第44巻第2号では第7型式に戻ってしまい,ここだけは変化の単一方向性が破られています。これだけなら,第44巻第2号の時,うっかり古い原稿を渡したとか,同じ表2だから印刷所まかせで以前の版下を使ってしまったとかという可能性もありますが,さらに1年後の第45巻第2号で登場する第9型式は,明らかに第7型式に小変更を加えたものですから,やはり第44巻第2号の時点で第7型式に戻っていたと考えざるを得ません。しかし,第8型式の登場と消滅についてのアナウンスは,今回は見つけ切れませんでしたし,だいたい,第8型式が適用される期間は,前後に投稿案内が不掲載の期間を挟むので,不明確になってしまいます。

第9型式(第45巻第2号)にも気になる点があります。この変更は郵便番号の7桁化に対応しているのですが,7桁化が実施されたのは1998年2月2日です。ところが,第9型式の公表は9月です。実は,奥付では,7桁化実施前の第44巻第3号(1997年12月)に7桁郵便番号が載せられているのに,次に投稿案内が定位置に登場する第45巻第2号にならないと第9型式は公表されません。そうすると,第9型式はいつできていたんでしょうか。

どうやら3期は,改訂の末に,規定が変わらないという点で法的安定性がより重視されるようになった反面,実は,安心して依拠できるという意味での法的安定性には疑問符がつきます。

ね,査読制が本当はいつからか,不安になったでしょ(多くの人にとってはどうでもいいことでしょうが)。
ところがこの査読制,第45巻第4号の編集後記でなぜか突然言及されるほかは,あまりアナウンスがないのが不思議です。

それと,同じ第45巻第4号から,私の手許にある最新号,第46巻第2号まで,3号続けて投稿案内が載っています。これ,4年ぶりなんですけど,広告が1ページ足らなかったのかな?


具体的妥当性法的安定性」という面倒くさい観点から,『考古学研究』の投稿案内を眺めてみました。本来は,実際の掲載論文に規定がどのように適用されているかを検証しないと,この観点が貫徹されないのですが,『考古学研究』ばっかり読んでるわけにもいかないので,規定の字面を追うだけにしました。

でも,「投稿規定の型式学」といいながら,これはあんまり型式学っぽくないですねぇ。やっぱり型式学って苦手(^^;ゞ。

関係者の皆さんから,あまりに的外れな憶測を笑われそうです。私が投稿したら,こわい査読が待ってるんでしょうね。

え?そんなに投稿したい論文は,どんな内容か,ですか?いえ,その,まだ1行も書いてないんですけど(^^;ゞ。


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